#15

 一頻りコーチンのギターに触れて満足したのか、美咲は「はい」と無造作にギターを俺に預けて、そのまま部屋を出て階段を下りて行った。コーチンの形見が両手にズシリと伸し掛かる。大事なギターに何かあってはいけないと、簡易的な木製のメンテナンス台にギターを横たわらせた。


 湿度管理がされたこの一室、買い手を待つギターに囲まれながら耳を澄ますと、日夜稼働し続ける加湿器の音だけが鳴り響く。ふと、中道君が電話で伝えてきたこのギターの寸評が頭を過ぎった。


『あのギターはずぶの素人が作ったものです。プロのミュージシャンが使う機材ではありません』


 中道君の言葉を思い出しながら表面の塗装をよくよく見れば、なるほど彼の指摘通りに塗装ムラが目立ち、お世辞にも「仕上げが良い」とは言い難い。ボディエッジの仕上げ処理やネックポケットも、木工製品としては少々お粗末な仕上がり具合を見せている。工具箱からプラスドライバーを取り出してネックのトラスロッドカバーを外すと、見た事がない部品が現れて、いったいどうやってネックの反りを調整するのか、俺には見当が付かない。


 楽器メーカーが製造した既製品でないのは明らかで、オリジナルの一品物であることに疑う余地などない。そして、この道のプロである中道君の言葉のとおり、プロのミュージシャンが使う機材としては失格なのだろう。


 ボディにマウントされた二つのピックアップの仕様が気に掛かるが、セットされている弦を外して良いものなのかと一瞬躊躇する。だが意を決してペグに手を掛けて、六本の弦を丁寧に外していく。フロントピックアップを固定するエスカッションは、経年劣化で色がクリーム色に変色し、ヒビが入っていた。エスカッションを固定している四本のネジを取り外すと、埃とともにピックアップ単体がボディから離れた。


 ピックアップの裏面を確認すると、メーカーや型番を示す刻印の類はそこにはなかった。ギターを製作したビルダーのオリジナル品か、それともただの名もなきB級品が取付けられているだけなのか。


 コーチンが奏でる独特の乾いたあのサウンドは、こんな他愛もないパーツが影響を及ばしているのかも、と勝手な推理を働かせて悦に浸る。元の状態に戻そうとした瞬間、フロントピックアップを格納していたキャビティの底の部分に、アルファベットの文字を見つけた。


 黒いマジックらしきもので書かれた文字は色褪せて、劣化した木材の変色に紛れて読み取りにくい。工具箱から取り出したペンライトで照らしながら目を凝らすと「MISAKINGKOCHINE」と読めた。


 これはシリアルナンバーなのか……いや、違う! 「KOCHINE」って、コーチンじゃないか!


 その手前は「KING」――キングなのか?


 先頭の「MISA」は女の名前?


 コーチンが使い続けてきたギターに、何でキングの名が記されている? それにミサって誰だ? この文字が何を意味するのか、今ひとつ判断が付かない。だがこのギターがコーチンの所有物であった証拠を示す手掛かりとなりそうな予感がする。普段はピックアップで覆い隠されているこの文字、気が付いたのはラッキーだった。


「MISAKINGKOCHINE」


 文字群を一度声に出して読み上げて、スマートフォンにその文字の画像を残した。

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