#14

 頭の中をどんよりとした厚い雲が覆い尽くしたまま、電車を乗り継いで自宅へ戻ると、玄関で美咲が出迎えてくれた。


「『帰る』って連絡したくせに、遅いよ」


「……ごめん」


 着替えを終えてリビングに入ると、美咲が用意してくれた夕食の数々はとっくに冷めきって、無表情のまま俺の到着を待っていた。午後の仕事を辞めた美咲が、久々に手料理を準備してくれていたらしい。申し訳ない気で一杯になる。美咲に温め直す気がないのを察して、そのまま席に着き、箸を手にする。


「あのギター、結局どうするの?」


 会話の口火を切った美咲が、コーチンの死を知った上で俺にこんなことを聞いているのか、今ひとつ状況を掴み切れない。


「さあ……どうしたもんだか」と曖昧な返事をしておいた。


 美咲が作った煮魚を口に運ぶと、白身魚の程よい食感と甘辛い煮汁が口に優しく広がる。冷めているのが残念だった。


「とりあえず懸賞金の連絡先に電話をしてみれば?」


「……そうだな、そうしてみる」


 美咲の提案はもっともだ。俺はまだ、コーチンのギターの情報提供先にコンタクトを取っていない。でも、コーチンが亡くなった今となっては、いったい誰がギターの懸賞金を払うっていうんだ?


「ねえ、あとであのギターをもう一度だけ見せて」



 美咲が仕入れたギターに興味を持つなんて珍しい。彼女のリクエストに従って、夕食後に二人で二階の部屋に向かう。


 黒いハードケースに静かに横たわるコーチンのギターを取り出すと、美咲は「私には価値があるようには見えないなー」とお気楽に言い放ち、ネックを鷲掴みにして俺からさっと奪い取った。


「おいおい、大事に扱ってくれよ、コーチンの形見なんだぜ」


「形見って、まだ本物って決まったわけじゃないでしょ」


「形見」という言葉をさらりと受け流した美咲は、コーチンの死をすでに知っているのだと理解した。


 美咲はその場にしゃがみ込み、ギターを膝の上で抱え込む。その慣れた手つきに呆気に取られ、そういえば美咲はギターが弾けるのか、俺はまだ聞いていなかったのだと気が付く。


 膝の上でギターを抱え込んだまま、まるで懐かしいものを眺めるような目つきを見せる美咲、そんな彼女を見つめる俺の視線に気づいたのか、彼女は右手で弦を適当にかき鳴らす。弦を緩めていたので気味の悪い不協和音が部屋に鳴り響くが、美咲が久しぶりに見せた満面の笑顔の破壊力に敵うものなどない。

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