#12

 抑揚に乏しい仕事を終えて帰路に付き、いつもの少し混んだ通勤電車に揺られていると、俺のスマートフォンにLINEの通知が届けられた。工房AKIRAの中道君からだった。


 そういえば懸賞金のニュースを知らせてくれたのは中道君だったな、と思い出しながらLINEのメッセージを確認すると、そこにはネットニュースのリンクだけが貼られていた。前回と同様のシチュエーションに不安を募らせつつ、すぐにリンクを開いてネットニュースの記事を目で追った。




    ✳


【元DECOY コーチン死亡 自殺か】


元DECOYのギタリスト、コーチンの死亡が明らかになりました。死因は自殺と見られています。所属する音楽事務所のソユーズが事実関係を明らかにしました。


コーチンは二日前に、盗まれたギターに三百万円の懸賞金を掛けたことが話題になったばかりでした。ギターはまだ発見に至っておらず、その行方に更なる注目が集まることが予想されます。


葬儀の予定などについては事務所のホームページ上で公表するとしています。


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「血の気が失せる」という言葉の意味を、この歳になって身を以って思い知らされた。頭部から首筋にかけて、まるで黒い幕が降りるように、目の前の視界が失われていく。右手で掴んでいた吊り革を握り直し、その場に倒れ込まないように姿勢を維持し続けた。


 体に緩やかな減速を感じて、電車は次の駅への到着を知らせている。まだ途中の駅だったが、迷わずに下車すると決めた。乗り降りの少ない駅のホームになんとか降り立って、改札へ向かう人の流れをよけながら、自動販売機の横にあるベンチに向かう。


 直前まで誰かが座っていたのだろうか、生暖かい感触のベンチに腰を下ろした刹那、涙が止め処なく頬を流れ落ちる。俯いたまま涙と鼻水を地面に垂らしながら、三十分ほど嗚咽が止まらなかった。恥も外聞もへったくれもない、ここが人気の少ない駅であるのが、唯一の救いだった。


 コーチンの自殺にあのギターは関係しているのか? 俺があのギターをすぐにコーチンの元に返せば、状況は変わっていたのか? そんな自意識過剰で身勝手な想いに胸が締め付けられる。


 こんな想いをするぐらいなら、オークションの出品者にすぐにギターを返すべきだった。自分の欲深さのために、こんな苦しみを味わうなんて予想だにしなかった。


 あのギターの出品者に連絡を取りたい、それがどんな意味を持つのかさえ、今の自分には分からない。でも無性に、顔の見えない匿名の相手にもこの事実を知って欲しかった。それで自分の罪が軽くなる、というわけでもないのに。


 あの出品者の別の商品ページから、質問欄を通じて何らかの連絡が取れるかもしれない。そんな一縷の望みからスマートフォンをポケットから取り出して、オークションのアプリを立ち上げる。涙も鼻水も拭かぬまま、自分の購入履歴の一覧を探る。手慣れているはずのアプリの操作が覚束なくて、焦っている自分に落ち着け、と命令を下す。


 あのコーチンのギタ―を入手した購入履歴をようやく見つけ出し、取引のページを開いてすぐに異変に気付いた。出品物の商品画像はすでに削除され、そして出品者のID欄には『このアカウントは削除されています』と文字が綴られていた。


 オークションの取引を終えた後に出品者から何の連絡もなかったのは、こんな糞みたいな理由だったのを知って酷く腹が立つ。匿名の出品者との接点が消滅した事実を知り、ようやく悲しみの淵から現実へと自らを引き戻した。

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