#9

 その日の夜、嫌な夢を見た。


 大規模フェスのステージ袖から見渡すオーディエンスの群衆は左右に不規則なうねりを発生させて、いつ連鎖的な転倒事故が発生してもおかしくない危険な状態を知らせている。この光景は若かりし頃にテレビの音楽番組で見た気がする。あれはレディングだったか、いや、モンスターズ・オブ・ロックか。


 コーチンのギターを肩にかけた俺が舞台袖で出番を待つ。そんな摩訶不思議なシチュエーションに図々しくも違和感はない。


 ステージ中央にはDECOYのボーカル、キングが煌びやかなスポットライトを浴びて、客を煽っている。その左脇にはベースのジェシー、後方にはドラムのチャンクが控えていた。


 コーチンは? コーチンは何処だ? と思うも束の間、ボーカルのキングが「Hey! 慎一!」と俺をステージへ呼び込む。コーチンを除くDECOYのメンバーが勢揃いしたステージへ臆せずに進むと、ドラマーのチャンクがスティックでカウントを取り始めた。


 え? 演奏するのか? と急に現実に引き戻されて、荒れ狂う群衆を前にびびる俺。手にしたコーチンのギターにはいつの間にかシールドが繋がれて、右手にはピックを掴んでいる。チャンクとジェシーのリズム隊がノリの良いビートを刻み始める――でも俺はこの曲を知らない。


 おい、待ってくれよ、DECOYだろ? DECOYの曲なら俺は全て弾けるんだぜ。なのに、何で俺はこの曲を知らないんだ? あんなに好きだったのに、あんなに憧れていたのに!


 一向にリフを刻み始めない俺にイラつき始めたステージ眼下の群衆が、中指を突き立て、俺に向けて一斉に唾を飛ばし始める。ドラムとベースの野太いリズム隊のサウンドだけが響き渡るステージ上、ステージに向けて放たれる無数の唾液とブーイングの嵐。阿鼻叫喚の地獄絵図、その中にコーチンのギターを抱えて、ただ立ち尽くすだけの俺。


 気付けば、死んだ魚の目をしたキングが俺の元へ歩み寄り、さっと俺の胸ぐらを掴んだ。そのまま俺をステージ中央の最前列へ引き摺り出し、マイクを通してオーディエンスに叫ぶ。


「なんでお前がコーチンのギターを持ってんだよ! この野郎!」


 キングは胸ぐらを掴んだまま、俺の上半身を前後左右に揺さぶり続ける。ステージ両脇の巨大スクリーンに映し出されたその光景に満足したのか、獣の咆哮にも似た群衆の歓声が会場を包み込んだ。




 キングの揺さぶり具合が急に穏やかな揺れに変化して、誰かが自分の背中を押しているのだ、これは夢だ、とようやく気付いた。目を覚ますと、隣の布団で寝ていたはずの美咲が起き上がって心配顔を浮かべている。うなされているのを見かねて、俺の体を揺すって起こしてくれたらしい。


「大丈夫? うなされてたよ」


「……酷い夢だった……ありがとう、起こしてくれて」


「明日も仕事でしょ、早く寝ないと」


 美咲は隣で布団を被り直し、しばらくすると彼女の静かな寝息が俺の耳に届けられた。悪夢から現実へと呼び戻してくれた美咲に感謝して布団を被ると、掻いた汗でぐっしょり濡れたシーツの感触が手のひらに伝わる。興奮状態が収まらない俺は、常夜灯に照らされる天井を見つめながら、夢の中でキングが叫んだ言葉を反芻した。


「なんでお前がコーチンのギターを持ってんだよ! この野郎!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る