#8

 夕食後に車を飛ばして工房AKIRAへ向かう。美咲に「ギターを引き取りに行くけど、一緒に行く?」と夜のドライブを提案したが、少し考えた後に「疲れているから、無理」とやんわり断られた。


 工房AKIRAで俺の来店を待っていた中道君は黒いハードケースを手に、


「安田さん、このギターはどうするんですか? 懸賞金が掛かっているみたいですけど」


と心配顔を浮かべる。


「こいつのことは、暫くは口外無用で頼むよ」


「何かマズイことでもあるんですか? まさか――」


「大丈夫、俺は盗んでなんかいない。これはネットオークションで手に入れたんだ。ただ、少々訳ありの事情があってね……」


「訳ありの事情」を察した中道君はそれ以上何も言わずに、いつもの笑顔を浮かべて黒いハードケースを俺に手渡す。常連客に必要以上の問いを重ねない彼の立ち振る舞いは、この店の成功を示唆している。


 昨日よりずっしりと重さを感じるハードケースを後部座席に横たえて、工房AKIRAを後にする。少し遠回りをするルートを選択して、いつもより流れの速い街道を自宅へ向けて車を走らせる。周囲の車の動きに注意を払いつつ、後部座席に置かれたコーチンのギターについて想いを巡らせた。


 憧れのギタリストであるコーチンのギターが、俺のすぐ後ろ、一メートル以内に距離に在る。この事実を知っているのは世界広しとはいえ、俺と美咲と中道君の三人だけ。オークションサイトに購入履歴は残っているものの、出品者が掲載した画像は日本製のビンテージギター。探偵気取りのネットの民が懸賞金欲しさに、数あるフリーマーケットサイトやネットオークションサイトのデータを漁ったところで、奴らがこのギターに辿り着くとこは絶対にないと確信している。


 唯一の気掛かりは出品者だ。出品者は本当に間違えて俺の元へギターを発送したのか、それとも確信犯的にこのギターを手放したのか? 今ひとつ判断が付かずにいる。懸賞金の告知が公になったのは俺の手元にこのギターが届いてからのことだった。出品者が懸賞金に気付いたのなら、このギターを取り戻しに来るのか、いやもう気付いているのにスルーしているだけなのか?


 DECOYデビュー以前からコーチンが奏で続けたこのギターの価値は、ファンの俺にとっては三百万円どころでは済まされない。金持ちのコアなファンに向けて四百万円辺りで売り払うことも可能だし、このまま俺が所時し続けることだってできる。


 いや、そもそも懸賞金を出してまでギターを返せと請うコーチンに対して、俺は裏切り行為を犯しているんじゃないのか――。コーチンは俺が最も敬愛するギタリストではなかったのか――。


 見慣れた景色がフロントガラスに映し出されて、車が自宅に近付きつつあることに気付く。遠回りの帰路で妄想を膨らませたところで、これから俺が取るべき行動がそう簡単に決まるものではなかった。自宅の駐車場に車を停めて、黒いハードケースを車の後部座席から引っ張り出す。ハードケースは工房AKIRAで感じた時より一層重さを増して、俺の右腕にずしりと響いた。

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