#6
中道君にコーチンのレプリカギターを預けてから数日後の本業のサラリーマン勤務中に、俺のスマートフォンにLINEのメッセージが届けられた。業務時間中の私用のスマホいじりは御法度だが、メッセージの送信者が中道君であるのに気付いて、スマートフォンを掴んですぐに自席を離れる。
そのままトイレに向かい、個室の便器に腰を降ろしてLINEのメッセージを確認する。すると『ヤバいことになってます』との一文と、ネットニュースのリンク先が送られて来ていた。
中道君らしからぬ不躾な一文が気にかかり、釣られるままリンク先をクリックするとブラウザ画面が立ち上がり、そこには高級なギタースタンドに立て掛けられたコーチンのギターの画像が見える。すわ、コーチンの久々の活動再開の知らせかと胸が高鳴り、急いでその記事を目で追った。
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【元DECOY コーチンのギターが盗難被害 有力情報提供者に懸賞金を提供と表明】
大手音楽事務所ソユーズに所属するギタリスト、元DECOYのコーチンのギターが盗難被害に遭っていたことが判明。所属事務所のホームページ上で「有力な情報提供者には懸賞金三百万円を提供する」と声明を発表した。またコーチンは現時点では警察への被害届の提出は考えておらず、盗んだ犯人であったとしても有力な情報には懸賞金を提供するとしている。
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記事を目で追いながらも、その内容を自分の脳が認識するのを拒んでいる感覚に襲われて、幾度となくその記事に目を通す。ようやくその内容を理解すると「マジかよ」とトイレの個室で思わず声を漏らしてしまった。
記事の横にあるギターの画像をクリックして拡大し、さらにスワイプしてボディ表面の傷や塗装の剥がれ具合を確認する。スマートフォンの画面上に描かれた景色は、数日前に自宅の部屋や工房AKIRAで目にした景色と似ていなくもない。
願わくは、決定的な相違点を見つけて「違うだろ!」と完膚なきまでに否定をしたい。だが、頼りない記憶に縋って、レリック加工だと思いこんでいたギターの傷やボディトップの木目をチェックすればするほど、まさか、との思いが強くなり胸の鼓動が勢いを増していく。
トイレの個室を勢いよく飛び出して、手も洗わずにそのまま階段を上がってビルの屋上に出る。人気のない場所まで移動して、スマートフォンでこの情報主の中道君に連絡を入れた。
六コール目で電話に出た中道君は少々興奮気味に『僕にはあのギターが本物に見えます』と言った。
『ネット記事に載っている正面からの画像だけでは判断が付かないので、コーチンがライブ演奏している画像をパソコンで探して、手元にある現物と細かな部分も比較しました。あのギターはコーチンが懸賞金を掛けて探しているそのものズバリです』
信頼する中道君の言葉を聞いて、眩暈がした。嘘でもいいから「違う」と言って欲しかった。だが中道君は、彼らしく、全て正直に語ってくれた。「厄介」の二文字が脳裏に浮かぶ。
「そうか……分かった。今夜そちらに引き取りに行くから、メンテナンス作業は止めておいてくれないか?」
『はい、幸い作業はまだ手を付けていませんでしたので……では安田さん、今晩お待ちしています』
通話を終えて何気なく空を見上げると、嫌味なぐらい爽快な秋空が視界を覆い尽くし、思わずその目を閉じた。
屋上から自席に舞い戻るも、仕事は全く手に付かずにいる。あのギターが頭から離れようとしない。
何かの間違いで俺の元へやって来たあのギターはコーチン本人のオリジナルで、誰かによって盗まれた挙げ句に、懸賞金を掛けてコーチンが探している代物だった。出品者は盗難品だと知ってて俺を騙しやがったのか、と憤ったところで後の祭。落札した品とは違う、と知りながらオークションの取引を完了させたのは俺の所業。元を正せば金に目が眩んだ俺の側に原因はある。
さて、どうするか。今からオークションサイトや出品者に連絡を取って、返品の手続きをするか、いや、待て――。
ネットの記事には「有力な情報提供者には懸賞金三百万円を提供する」とあった。俺はコーチンからギターを盗んじゃいない。ただ偶然に、そうだ、たまたま偶然に、コーチンのギターを入手してしまっただけじゃないか!
俺には懸賞金を得る権利がある、そうだ、俺は何も悪くはない。
三百万円という人参を急に目の前にぶら下げられて、興奮しない馬鹿はいない。とりあえず目の前の滞った仕事をこの興奮状態のまま全て終わらせて、今日は早めに帰宅すると決めた。
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