#4
一階のリビングのドアを開けると、ダイニングの上には美咲が近所のスーパーで買ってきたお惣菜が綺麗に並べられていた。遅い夕食を摂りながら、二人で会話をシェアする。美咲の仕事は不規則で朝は早く、俺が布団から這い出す頃には、いつも一つ目の仕事に出かけていて、朝の二人の会話はない。この夕食の二人の会話は、夫婦でなはく、パートナーという不確実な形態の俺達を繋ぐ大事な役目を担っている。
美咲は俺と出会ってからずっと、自分から身の上を語ろうとはしないので、こうした些細な会話から少しづつ彼女の抽斗を開けるのが俺の日課だった。
美咲は口数が少ないので、会話の口火を切るのはいつも俺の役割だ。今日の話題はあのギターと、DECOYにする、と決めた。
「初めてDECOYを聴いたのはいつ?」
「うーん、いつだったかな……だいぶ前のことだから、もう覚えてないよ」
「CDは持ってたの?」
「ううん……知り合いがアルバムを全部持ってたから、それを借りた」
「それって、元カレ?」
「そんなの、どうでもいいでしょ」
「そっか……美咲はキングにしか興味がないんだろ」
「そんなことないよ、コーチンだって好きよ。でもコーチンはもう、終わってるじゃん」
美咲の辛辣な言葉には、ぐうの音も出ない。
コーチンの薬物使用疑惑が週刊誌面を賑わせた際、情報をリークしたのは旧知のキングだとファンの間で噂が流れた。記事が出た後に、コーチン本人は無言を貫いたが、キングが疑惑を肯定するかのような発言を週刊誌のインタビューで仄めかしたために「コーチンを週刊誌に売ったのはキング」と、ファンの間でちょっとした騒動となった。
キングとコーチン、互いのファンの間で相手を罵り合うSNS上での非難合戦が繰り広げられて、それらを面白おかしく報道する下衆なネットニュースによって、音楽に興味を持たない一般人にまで薬物使用疑惑を広めてしまう結果となってしまった。
これらは俺が美咲と知りあう以前の出来事、べつに二人して中傷合戦を繰り広げたわけじゃない。だけど俺と美咲の間に微妙な空気の漂いを感じる。こういうのを世間一般では「すきま風」とでも呼ぶのだろう。この話題を振ったのは、俺の失敗だった。
「あのギター、どうするの?」珍しく美咲のほうから口を開く。
「私が『買い』と言ったのはあのギターじゃないよ。コーチンのギターは確かに珍しいけど」
「なんだ、気付いてたのか……もう出品者に受取連絡は済ませたから取引は完了だ。あのギターはメンテナンスして売りに出すよ」
「そう……もう終わってる人のギターだから……呪われないように気を付けて」
先に食事を終えていた美咲はそう言って席を立ち、自分の皿を台所に向けて運び始める。俺はその言葉に苦笑しながら美咲の後姿を眺めるしかない。背を向けた彼女の長いうしろ髪は、いつにも増して艶やかで、タイトなジーンズを履き着こなす腰から下のプロポーションは申し分ない。美咲のクールな言葉は彼女の美貌を引き立たせる重要な要素なのだ、と最近になってようやく理解をしつつあった。
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