#2

 美咲がパートの仕事を終えて帰宅するまで、まだ時間に余裕がある。いつもの遅めの夕食に慣れている俺は、今日届けられたギターの状態を確認するために、再び二階の部屋に向かう。


 まだ多額のローンが残るこの中古物件の二階の一室は、仕入れ後の簡易なメンテナンス処置を受けた売り出し前の十数本のギターで占拠されている。「邪魔ね」と言いつつも、副業に協力的な美咲には感謝の言葉しか浮かばない。


 嫁入り前の新参者として新しく迎え入れたギターに近づくと、エアパッキンで包まれた個体にふと、違和を感じた。エアパッキン越しに透けて見えるのは黒い長方形のハードケース。思わず「違う、これじゃない」と独り言が出る。


 数日前に美咲が「超お買い得、買わないなら糞ね」と目星を付け、俺が他の入札者を押し退けて強気に競り落としたのは日本製のビンテージ・レスポールで、そのケースは本家ギブソン社の物に似せた茶色の丸身を帯びたハードケースだった。


 エアパッキン越しに見ても、届いたケースは形も色も違うのは明らかだ、何てこった。


 慌てて配送伝票を確認すると、宛先には『安田慎一』と俺の氏名が記してあった。ネットオークション特有の匿名配送なので、送り主の住所や氏名は記載されていない。


 以前にも同じようなことがあったな、と数年前の同様の出来事を思い返して、自然に溜息が漏れる。俺と同様に多くの出品物を抱えている輩は、オークションサイトにうようよいる。そんな輩から間違えて発送された商品の返品手続きは実に面倒なもので、オークションサイト側が指示する高飛車な「返品案内」に辟易しながら返品の手続きをした記憶が蘇る。


 いちおう中身を確認するためにエアパッキンを丁寧に引き剥がし、黒いケースのロックを外して少々思い蓋を開けるとやはり、そこには自分が落札したギターとは明らかに形状が異なるギターが静かに横たわっていた。予想した通りの光景を目にして落ち込む自分を、仕方がないさ、と無理に納得させて、そのまますぐにスマートフォンを取り出してオークションアプリから返品の手続きをしようとした刹那、脳裏に一人のギタリストが浮かび上がった。


 はっと気が付き、そのギターを二度見して、思わず声が出た。


「これ……コーチンのレプリカじゃないか!」


 コーチンは二十一世紀を代表する日本の伝説的ロックバンドDECOYの元ギタリスト。本名、年齢は「不詳」とプロフィールされている。風の噂によると「コーチン」とは名古屋コーチンから取って名付けたとされているが、本人が名古屋出身であるか否かは誰も知らない。卓越したカッティングの技術と個性的なギターソロの旋律、優れた作曲能力でDECOY時代の活動は多くのファンを魅了した。


 コーチンはデビュー当初から、市場では見かけないオリジナルシェイプのギターを使用していた。そして超有名アーティストであれば当然のように締結する楽器メーカーとのエンドース契約を決して結ばなかった。DECOYのデビューから突然の解散、そしてソロ活動の現在に至るまで一品物のオリジナルギターを使い続けた結果、コーチンのレプリカ品のギターが市場に出回ることは希だった。


 そのコーチンのレプリカ・ギターが、いま俺の目の前に横たわっている。


 ストラトキャスターやレスポールとは一線を画すボディと、特徴のあるヘッド形状。ピックガードの色やシースルーレッドのカラーリングまでも、本物とよく似ている。コーチン本人の承諾を得ずに、誰かが勝手に制作したレプリカ品にしては良く出来ている。メンテナンスをしてオークションに出品すれば、それなりの値が付くはずだ、といつもの悪い癖で皮算用をし始める。


 美咲の指示で俺が数日前に落札したのは、落札額八万二千円の日本製のビンテージギター。簡易なメンテナンスを施した後に転売したところで、得られる利益は二万円がいいところ。だが、何かの間違いで俺の元にやって来たこのコーチンのレプリカギターは、もう少し俺を儲けさせてくれそうだ。


 唯一の不安材料があるとすれば、コーチンが現在のミュージックシーンから忘れ去られている点だ。四年程前に週刊誌に載った薬物使用疑惑の記事は、コーチンの音楽活動に甚大なダメージを与えてしまった。その記事が掲載されて以降、コーチンの目立った音楽活動は全く聞こえて来ない。


 そんな状況下でも、昔からの根強いファンは確実に存在しているのだ、と信じている。もちろん、俺は今でもコーチンの狂信者の一人だ。

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