2——「忌子を殺していただきたいのですが——」
「
七月に入ってすぐの頃、私の家に、そんな
もちろん、私の職業を考えれば、それは不穏ではないし、
もちろんそんな感情はおくびにも出さず、私は第一印象こそ衝撃的だったものの、話してみると
場所はどこか。
対象は何
対象は暴力的か。
緊急性の高い案件か。
報酬金はいくらになるか——などなど、である。
総括すると、
違ったのは報酬金の異様さだ。
いい話が来た、と内心、心が
「忌子という存在を、ご存じですか」
私はそこで一旦話を止めて、
「僕もそれが気になった。これはどちらの
「ご認識の通りです」
「なんだその気持ち悪い言い方は」
と、三月さんは不服そうに言った。
どうやら、私が丁寧な言葉遣いをするのが
思春期頃には敬語も使わずに接していたのだし、確かに今更だろうが——すぐに昔通りに戻れるほど、私は器用ではなかった。
「……私も気になって、電話越しに意味を確認しましたが、確かに
「濁るばかりが方言じゃないから、
「それは、『
「いやあ、まだわからない。けど、名前なんて
私は、ここに来るまでの間に考えていた、
つまり
「……とにかく、三月さんと共通認識が持てたところで話を進めますね」
「いや、もうひとつ確認したい。そんな法外な——そもそも我々の仕事が合法かと言うと微妙なところだが——報酬を約束するなら、それなりの理由があるんじゃないのか」
「ええ、ありました。
「今、しているじゃないか。それに、我々の業界じゃあ、
「いえ……ただの守秘義務ではなく、相手が誰であろうと——
「ふうん……少し妙だ。であれば尚更、僕に言うべきじゃない」
「その理由はあとで話します。覚えていればですが」
「忘れていたら、僕から
「わかりました。では、続けますね」
二日後、私はいつもの仕事道具を持って、仕事用の服を着て、長野駅を目指した。
仕事道具というのは、忌子を殺すための
そもそもが
もちろん、殺しを依頼する側からすれば、処刑人の服装など気にしないと言われそうなものだが——それは、女が
とにかく私はそれなりの格好で長野駅へ向かい、そこで依頼人と落ち合った。
依頼人は、
「お初にお目に掛かります。この度はご足労いただきありがとうございました。林檎森家の執事をしております、
紛うことなき紳士。
そう、つまり、外国人であった。
電話口で感じた
白髪が
「直流は、なんて自己紹介するんだい」
「そこは別にいいじゃないですか」
「直流が独り立ちしてから、仕事ぶりを
「別に普通ですよ、私は。
「ふうん。まあいいか、続けてくれ」
自己紹介を終えた私は、案内されるがままに車に乗った。いわゆる
私がそのことを——もちろん異常などという言葉は使わずに——尋ねると、蔵前と名乗る紳士は人当たりの良い笑みを浮かべながら、
「我々もご依頼するにあたり、
と言った。まったく答えになっていない。
「ご存じいただいているようで、
「とんでもない。失礼ながら、今回の件でどうしても適任者を選ぶ必要がありましたので、色々と
綿密に——というのは、どの程度を指すのだろう。
少なくとも今現在、
そもそも、恐らく、歴史には残らない。
残してはいけない
だから、
であれば——それなりの対価を支払い、全国各地から情報を仕入れた、のだろうか。
だとしても、簡単な話ではない。
だというのに、六人という人数を
ちょっと
「あのう、失礼でなければ、私が適任であった判断基準を伺ってもよろしいですか? ……
「もちろん、前評判が素晴らしかったというのが一番の理由ですが——」これは多分嘘だろう。「女性であることと、土地が近かったことが決め手となりました」そして、こちらが本音と思われる。
女性であることが有利に働く場面とは何だろう? と私は考える。
性別を理由に断られることはあっても、逆は今まで、経験がなかった。
何しろ、殺害が終着点の仕事だ。力仕事なのだから、女よりは男の方が頼りになると思われるのが普通だろう。
そもそも退魔師とは——乱暴な言い方をすれば、ただの処刑人だ。
しかしながら、
法には穴がある。むしろ穴だらけだ。
法で
法の裁きを待っていたら——取り返しの付かないことになる事案は、いくらでもある。
法を犯さずに、あるいは法に見つからぬように悪事を働く人間は——生かしておくべきではない。単に、違法行為で金を
というか、殺すしか解決策がない。
他人に迷惑ばかりかけ、不幸ばかり降りかけ、何の役にも立たず、
自分一人の力でも、寄り集まった力でも
言わば、
あるいは、駆け込み寺のようなものとも言える。
子を働かせて自分は酒ばかり飲む親、金を得るために子を売り物にする親。あるいは親に暴力を振るう子、親の稼ぎで飯を食い働かぬ子。生活苦なのに何の役にも立たず存在する老人。障害を
主に家族関係の依頼が多い。
殺すべきだが、殺せない。死んで欲しいが、殺せない。
そんな彼らを援助して、力を貸して、助けてやることは難しい。全ての人間を平等に助けることなど、不可能だ。法に出来ないことを、我々一個人が出来るはずもない。
だが、
そうした罪を肩代わりして、世の中に
まあもちろん、これではまるで、退魔師という存在は違法者の集まりのように聞こえるが……これは違法行為ではない。もちろん合法でもない。世界の
それは
とにかく、そんな立ち位置の我々だから、人を殺すのが仕事だった。そのため、仕事道具として必ず日本刀を所持している。正式名称ではないのだが、見た目からして単なる日本刀だ。日本では明治の初め頃に
うん。
まあ、なんだろう。
なんだかややこしく話してしまったけれども——とにかく、退魔師というのは法の外にいて、だから日常的に帯刀をしていても通報されないし、仮に通報されたとしても、お
それでも時代の流れとともに、周囲からの視線は冷ややかなものになっている。だから正直言って、長野駅からわざわざ自動車で送迎されるというのは、ありがたいことだった。話の結論は、つまりここだ。
私は車中の
無論、私、
だからわざわざ、信頼を得る目的もあって、べらべらとこちらから話していたのだけれど、蔵前さんは話す前から
それでも蔵前さんは「そんなことは知っています」などという下品なことは言わず、私の説明を一通り聞き終えてから、
「そうした世間の目もあるかと思い、長野駅からの道中はお車でお送りしようと思った次第です。大きなお世話かとも思いましたが、ご本人様からそのようなお話が聞けて……安心しました。ああもちろん、恩を売るつもりなどありません」
と言った。
つまり、道中、一時間か二時間掛けてようやく、
「どうして自動車など出してくれたのか」
という私の最初の問いに対し、
「帯刀して電車に乗るのは
という答えが返ってきた、という話である。
金の余裕は心の余裕、とはよく言ったものだ。私は蔵前さんの厚意に感謝し、そのような気遣いが出来る林檎森家に対して、好印象を持ったわけだ。
「いや、それは違う気がするな」
と、私の説明を
「何が違うんですか! いい話だったでしょう!」
「いい話なのは確かだけどね、
言われてはっとした。
流れるように生き、流されるままに生きてきた私である。
正直言って、そのことに今の今まで思い至っていなかった。
「……そうなんでしょうか? 私はすっかり、優しい方々なんだと、思い込んでいましたが……」
「いやあ、もしかしたらそうかもしれない。僕が考えすぎという可能性は多いにある。でも、そういう可能性もあるだろう? いや——その可能性の方が高いんじゃないかな」
自分では割と思慮深い方だと思っているのだけれども……言われてみれば、その方が理由としてはしっくりくる。というか、三月さんに言われると、そうとしか思えなくなる。
自分の悪い癖だ。
自信を持って言われると、すぐに信じてしまうのだ。
「長野駅があるのは……確か、
「朝一に
「だろうね。電車ならもう少し早く着くだろうから、そこまでして退魔師に気を遣うとは思えない。それに——本当に気を遣うなら、越後まで迎えを出すのが礼儀だろう。そのくらいの資金はありそうに思える。だから、どうも中途半端だなあ、という
「……もしかして、私の前評判が良かったとか、女だからとか、そういう理由も全部でっち上げで——単に、私の
「いやいや……流石にそこに嘘はないんじゃないか。まあ……
紫狂島というのは、下の名前を
まあ、今は関係のない話だ。
今はというか、この件には、紅古さんはあまり関わってこない。
「女を選んだ理由というのも、説明はあったんだろう?」
「ええ、今話しておきましょうか? 翌日聞いたんですが——」
「いや、あったことを時系列に
「そうですか? では……時系列通りに話しますね」
「うん。ああ、ちなみに……仕事と関係がなければ、道中の詳細な説明はいらないからね。余計なところは飛ばしてほしい」
「途中で美味しいお蕎麦を食べたとか——美味しいお焼きを食べたとかは、不要ですか? ちなみに、あんこの入ったお焼きでした」
「そう、よかったね。今聞いたからもう充分だ。じゃあ、続きを話してくれ」
前述の通り、私が蔵前さんの運転によって林檎森家の敷地に到着した頃には、すっかり夜になっていた。
とは言えそれは体感的な
「まずは林檎森家の皆様とご対面いただき、その後、お部屋に案内させていただきます。お疲れの所とは存じますが、
正直に言ってまったく疲れていなかったし、私がしていたことと言えば、車の椅子を着物越しに尻で
「蔵前さんこそ、長時間の運転でお疲れじゃありませんか?」
「いえいえ、
蔵前さんは、降りようとする私を制止する。
「荷物が……どうかされましたか?」
「こちらでお運び致します」
私が持っている荷物と言えば、日本刀と、小さな旅行鞄だけである。
旅行鞄と言っても、中に入っているのは衣類と化粧道具くらいなものである。事前に、寝間着や一通りの生活用品は揃っていると聞いていたから、かなり
「このくらいでしたら、一人で運べますので。お気遣いありがとうございます」
「いえ、失礼でなければ……どうかそのままで」
再度荷物を持って降りようとする私を、蔵前さんはまた引き留めた。尻が限界だったので早く立って背伸びでもしたかったのだが、私はここでしばらく足止めを食らうことになった。
「いえ、ですが……」
「お客様にそんなことをさせては、私が叱られてしまいます」
蔵前さんは困ったような表情をして、少し笑った。
なるほど、執事という仕事も色々大変なのだろう。
私にも身に覚えがある。例えるなら、嫁入り後に
まあ、私は独身なのでそんな経験をしたことはないのだけれども。
弱い立場の人間というのは、
ここで私が
「もちろん、貴重品を手放すのが心配ということでしたら……先に、お荷物を持ってお部屋にご案内するという手もございます。しかしながら、当家の人間を待たせている手前もありますので、出来れば……」
電話越しでも車中でも、かなり自己主張の少なかった蔵前さんがここまで言うとなると、
刀を手放すというのは少々気になったが、私の愛刀は、
なので、他者の手に渡ったところで
「本当によろしいんですか……? ご迷惑じゃありませんか?」
「とんでもございません。慣れたものです」
「ありがとうございます。まるで
などとしおらしいことを言って、板に付いてきた作り笑いを浮かべる。
「折櫛様はその通り、来賓でございますから。さ、どうぞ、足下にお気を付けて」
私は駐車場——と呼ぶには
そして——
そして、林檎森の
いや——全貌など
私には普段から、
だから、降りる段になってようやく、自分のいる土地を見た。
いや、見たというより、
広大な、あまりに広大な————
もちろん夜中だったから、全てを見通せたわけではない。だから当然、全貌など見られるはずもない。しかし、人家——林檎森
やはりどれくらい広い敷地なのか、一見しても全くわからない。つまり、
「……すごいですね」
車を降りた私が、その光景に圧倒されてなんとも粗末な感想を口にするも、蔵前は意に介さず「こちらでございます」と、私を人家に案内した。
「つまり、農家なのかな」と、三月さんが口を挟む。
「いえ——元々はそうだったらしいですが、今は……なんて言うんでしょう? 地主って言うんですかね? それとも
「管理者といったところか。じゃあ、
三月さんは、まだ帰ってこない、このビルの持ち主の名前を出した。
浩平さんは『
ただし、林檎森家の方が、土地の広さと屋敷の大きさから見て、人々が思い描く『
都会の
まあ、貧乏者の一意見に過ぎないのだけれども。
「その時点で、
「どうして建物が気になるんですか?」
私は気になって聞いてみる。何故なら、その倉庫というのが、今回の物語の
「また、当てずっぽうですか?」
「今回は経験上の
「そうですか? じゃあ……続けますけれども」
少し挨拶をする程度だと思っていたが、私が招待されたのは、あろうことか食事会であった。
十人は座れそうな広さの
男性の右手側には、綺麗で物静かな女性が座っている。日本的な美人で、
まだ誰も、一言も発していない。
否、蔵前さんだけが、我々の行動を制御していた。
「乾杯用のグラスをお持ち致します。折櫛様は、アルコールは苦手でしょうか」
「あるこーる」
「左様でございますか。せっかくですから、ご用意させていただきます」
何がせっかくなのかはわからなかったが、依頼人の厚意を
そういう意味では、蔵前さんも似たようなものだろう。家の内部を知り尽くしているような、洗練された動きをしているのが印象的だった。
「こちらはシードルという種類のアルコールで、シャンパンのようなものです。乾杯用に是非。もちろん、お口に合うようでしたら、
私の席でも、蔵前さんによって、細長い
私は
単にお腹がすいていた、というのが正直なところだ。
かなり豪華な料理が並んでいたのである。
流れるように生きるのが私だ。
仮にそれが
名前のせいだ。
直流という名前が全部悪い。私のせいじゃない。
私はそんな風に自分を正当化して、今日は何も考えないことに決めたのだった。
「んん!」
大きな咳払いが聞こえた。
「えー……遠いところをわざわざご足労いただき、ありがとうございます。本日のゲストは、新潟からお越し頂いた——」
「折櫛様です」
いつの間にか主の隣に立っていた蔵前さんが、小声で耳打ちをした。ただ、小声と言っても一帯が静まりかえっているので、私の耳にも充分に届いた。
「折櫛さん。今回は依頼を受けていただいて、ありがとうございます。ささやかではありますが、
そしてあろうことか、その主は私に向かって——頭を下げた。
富豪の
反射的に、私は立ち上がる。
「こ、こちらこそお招きいただき……いやっ、私にご依頼いただきまして、ありがとうございます。若輩者ではありますが、精一杯務めさせていただきますので、
四者の視線が、
「ああ、折櫛さん、どうかお座りください。我々はそんな、大した者ではありませんから。どうか、楽にしてください。こんな言い方は失礼かもしれませんが——お話を
「
「
「とにかく——そうだな、せっかくだし、最初は立って乾杯しましょう」
私が
「そう言えば、紹介が遅れてしまいましたな。私は林檎森家の当主、林檎森
紹介された女性——美咲さんは、私を
「そしてこちらが、
「まだ十二歳だよ」花長と呼ばれた少年は、
「は、はじめまして……折櫛直流と申します」
「居守の紹介はもういいな。じゃあ、乾杯しよう。何に乾杯するのかわからんが……とにかく、我々は貴女を歓迎します。どうか一つ、よろしくお願いします」
それぞれが
「さあ、食事にしましょう。貴女のお話も
「忌子はその場にはいなかったんだね」
話が
「ええ、結局その日は、見ることも出来ませんでした」
「今の段階だと、登場人物は——洋介、美咲、花長、蔵前、そして家政婦くらいだった。家政婦は一人?」
「いえ、二人いらっしゃいました。私たちが食事を始めてすぐ、蔵前さんが彼女たちを家まで送ると言って、わざわざご挨拶に来てくださいました。住み込みではなかったようです」
「となると、蔵前という男は住み込みというわけだ。ふむ……」三月さんは考え込んでから、煙草を取り出して、火を
「まだ、忌子が登場していませんが」
「この時点でも、不可解な点が山ほどある。まあ直流の話を聞いているだけだから、実際のところどうなのかっていうのはわからないけどね。それにしても、細部を聞かなくても感じる違和感というのが、いくつもあった」
「そうですか? ……この時点では私は、別に、何も不思議じゃありませんでしたけれども」
「夕飯にしては遅い」
三月さんは言って、ようやく火を点ける。
それはまあ、私も感じていたことだ。
だが、それほど気にはしていなかった。夕飯が遅かったのは、私たちの到着が遅かったからである。何も、日常的にその時間に夕飯を食べているわけではないだろう。
「とは言っても、九時を過ぎていたんだろう? 育ち
「いえ……確か、水曜日だったと思います。翌日も、
「それじゃ余計におかしい。当主の洋介とやらはいいとして、平日の夜遅くに酒盛りなんか始めるかね、普通。何かのお祝いというわけでもないんだ。だって、忌子を殺してくれっていう依頼なわけだろう。にも関わらず、まるで
「まあ、言われてみれば……」
確かに、おかしいのかもしれない。いや、私も最初はそう思っていたはずだ。少し挨拶だけして、すぐに寝室を案内されると思っていた。そして私は忌子を殺すか殺さないか判断して、仕事をして、帰るだけだと思っていた。
なのに宴が開かれて、歓迎された。
そしてその空気に飲み込まれ、完全に場に流されてしまっていたらしい。
三月さんに言われるまで、その状況を、よくある光景だと思い込んでいた。
私のよくない癖だ。
堂々とした振る舞いには、どうも、従ってしまう。
「力関係が気になるな……まあいいや。とにかく、美咲という妻も気になる。控えめな性格なんだと言われればそれまでだけど、直流の印象からすると、あまり喋るような
「ええ、それはもう。日常的に、特に室内で洋服を着ているなんて……今時
「
三月さんは、急にわけのわからないことを言った。
だが——それは
「……誰が、誰にですか?」
「話の流れでわかるだろう。花長という息子が、洋介と美咲という両親から出てきたような顔立ちだったか、と聞いたんだよ」
「それは——はい。花長くんは……よく、似ていました」
美咲さんの方は目鼻立ちのくっきりした美人、という印象だったが、洋介さんはどちらかと言えば、見目の悪い部類と言えた。もちろん、ある程度の年齢を超えた男性の見た目など、正直言ってどうでもいい。立派な仕事をしているのか、社会的地位が高いのか、理知的で、社交的で、
だが、冷静に思い返してみても、花長くんは両親に似ていた。目元は父親似だったが、全体的な顔の作りは母親似だ。一般的な視点で見て、美男子に分類しても、問題はないように思える。
「もうひとつ気になることがある」
「なんですか?」
「気になるというか、これは確認だな……家政婦を送り届けて、住み込みで身の回りの世話をしているのは蔵前一人。となると、蔵前は独身ということになるね」
「そう……だと、思います。すみません、そこはあまり気にしていませんでしたが」
「うん。新潟、と言った時と、直流の名前を呼んだ時、洋介の様子はどうだった?」
「どう、というのは」
「折櫛という名前を、
「そう言った発言はなかったように思いますけど……それが、何か気になりますか?」
「大いに気になるね」
三月さんは
昔からの癖だった。
何かを整理している時の癖だ。
私はその隙を狙って、すっかりぬるくなった
「——
「はい」
「林檎森家には、望まれずに生まれ、
三月さんは一息に言い終えて、吸いかけの煙草を灰皿に押しつけると、湯飲みを手にし、
「……と、言ったところか」
と結んで、玉露を飲んだ。
「いえ……私はそんな詳しい話はしていないはずですが……」
「お得意の当てずっぽうだ。最初の夜、直流の
「私に質問していますか? それとも、
「自問に近い。ただ、うん。最初に直流がした約束——仕事の話を
三月さんは自分に言い聞かせるように言ってから、「今のは
意図せず、私は三月さんの興味を引いてしまったらしい。
三月さんの視線の奥には、
こういう、
「違うと思って、念のために聞くんだが……」
「なんでしょう」
「わざわざ僕にその話をしているということは、依頼人の要望通りの仕事が行われなかったということだと考えられる。つまり、
「ええ、違いますね」
「だろうね」
三月さんは頭の後ろで両手を組む。
「つまり、何らかの不可解な出来事が起きた、ということだ。
「ええ。でも、人はちゃんと死にました。
「……そう来たかあ」
三月さんは間の抜けた声を出して、
そしてどこか悲しそうな表情をした。
こんな仕事をしていながら——家から一歩も出ないような生活をしていながら、
人が死ぬのを極端に厭がるのだ、この人は。
「なるほどね。これは、悲しい話だったわけだ」
三月さんは目を
「つまりこの仕事は、まだ
「そうです。食事会はその後、特に仕事の話も出ずに終わりました。……話を続けてもいいですか?」
「気乗りはしないけど……ここまで関わったなら仕方がない。ああそうか、僕はまんまと直流の
「私は何も言ってませんよ」
事実、そんなつもりはなかった。
一人で考えすぎて思考が暴走するのは、三月さんの悪い癖だ。
そして、要点をはっきり話さない——というか、話せないのは、私の悪い癖だ。
「とにかく三月さんの仰る通り、この仕事は継続中です。意見を聞きたいのも、お手伝いいただきたいのも、本心です。今まで話したのは、ただの
「……まあ、とりあえず、聞くだけ聞くよ。別に忙しくはないからね」
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