『林檎森の忌子』

福岡辰弥

1——桜木町駅で目が覚めた。終点だった。


 桜木町さくらぎちょう駅で目が覚めた。終点だった。

 四年か五年ぶりに、この駅を利用している。前に来た時は、ここは確か横浜よこはま駅という名前だったはずだけれども、ひとつ前の駅——東京方面に駅が増えて、そこが新たに、横浜駅の名をかんするようになったらしい。それで、元々は横浜駅だったこの駅舎が、町の名前を取って、桜木町駅を名乗るようになったとのことだ。

 もちろんこれらはすべて、人から聞いた話だ。

 電話口だっただろうか。次に来る時は間違えないように、と言われた気がする。

 私はその駅舎の名前を示すどことなく新しく見える看板を眺めながら、そんなことを思い出していた。

 駅を降りて、自分が今どこにいるのか確かめた。自分という存在そのものが、時代の中で、世界の中で、どんな立ち位置にいるのかという話ではない。単純に、地理的な意味での確認だ。もっとも、自分が時間の中で、空間の中で、社会の中で、どんな立ち位置にあるのかということを明確に理解しているのかと言えば、それは微妙かもしれない。

 名前のように、流れるように生きてきた。

 だからあんまり、現状把握という行為とは縁が浅い。

 むしろ、自分の立ち位置を把握しない方が、それらしいのかもしれないけれども。

 折櫛おりくし直流すぐる

 二十四歳。

 退魔師たいまし

 それが全てで、それ以外の情報は、意外とどうでもいいことかもしれない。

 いっそ、流れるままに生きるなら、目的など設定しない方がいいのかもしれない。

 それでもこれから向かう伊勢佐木町いせざきちょうがどの方向にあるかを把握しなくちゃならなかったから、駅前の広場というのか空間というのか——に立って、東西南北とうざいなんぼく右左みぎひだり、上流下流について考える。

 桜木町には桜川さくらがわという風光明媚ふうこうめいびとは言いがたい、用水路ぜんとした川が流れていて、この川を辿たどると大岡川おおおかがわという大きな川に突き当たる。突き当たるじゃないか。多分逆なんだ。大岡川から派生して、桜川という支流しりゅうになる。自分がという名前を持っていながら、私は川の流れだの、人の流れだの、時代の流れというものがまったくわからないまま大人になっている。流れるのは得意なのに、流れが読めない。

 とにかくだ。

 桜川を辿って大岡川にと、そこは運河うんが十字路じゅうじろになっていて、南北に流れる大きな大岡川はそのまま海に流れ着くわけが、十字路の部分で左右に——東西に分かれて、その片方が桜川、そしてもう片方が大岡川と名前を変える。慣れない土地のことだが、それくらいのことはなんとか記憶していた。そして派大岡川にかる吉田よしだ橋こそが、これから私が目指すべき伊勢佐木町への指針となる重要な橋だった。

 思い出してきた。思い出したということは、忘れていたということだ。

 私はなんでも忘れてしまう。

 物忘れが激しいと言うより、忘却に優れていると言った方が正しいくらい、なんでも忘れてしまう。もちろんすべてを忘れてしまったら生活が出来ないから、どちらかと言えば、興味のないことは記憶の奥底にしまい込む癖がある、ということなんだろうけれども。

 とにかく、歩こう。

 歩き出さないと話が始まらない。

 伊勢佐木町に行く目的はひとえに知人——あるいは仕事仲間——または師匠——それとも家族だろうか——わからないけれど、ごと恩人おんじんに会うことだ。桜川の流れに逆らって、日本随一ずいいち繁華街はんかがいである伊勢佐木町を目指す。

 不覚ふかくにも恩人は異性であって、私も若い頃はその御仁ごじんに恋をしたりなんだりしたものだけれど、今思えば異性だから恋をしたわけではなくて、その御仁が魅力的だから好いたようなものだ。だから私は異性が好きなわけでもなくて、かと言って同性愛の気があるわけでもなくて、つまり特定の好みというものが存在せず、だから私はなんだかわからない。

 私はその御仁を好きになり、その願いは成就じょうじゅせず、時間と共に好きでも嫌いでもなくなってからも——これと言ってそういう色恋沙汰いろこいざたには無縁な人生を送っている。珍しい仕事にいているせいもあって、仕事と結婚したのだと言われて久しいが、仕事とは結婚出来ないんだから結婚はしていない。独身だ。独身のまま二十四歳だ。愚かしいことこの上ない。不覚である。流れるまま、流されるままに生きてきたらそうなっただけだと言うのに、人々は時の流れに逆らってまでそういう色恋沙汰にわざわざ精を出すんだろうか。結婚と色恋沙汰は違うと言うけれど、私なんかはまだ恋愛の先に結婚という線があって、その先に肉体関係だの子作りだの繁栄はんえいだのという概念がいねんがあると思っているようだから、多分一生独身なんだろうという気もしている。

 気が滅入めいる。

 いや、滅入っちゃだめだ。

 まいってしまう。

 別のことを考えないといけない。

 桜木町駅は横浜駅だったのにいつの間にか桜木町駅に名前を変えていて、しかし名前が変わったところで特に不便はなかった。だから案外、名前というものは雑多で記号的で、ただの名前でしかない、ということを考えることにした。願いや意味がけられた名前というものも、時間の経過と共になんとなく来て、別段その由来なんかはどうでもよくなる。

 伊勢佐木町の名前についての話を思い出していた。これもその止ん事無き御仁から聴いた話だ。なんでも、伊勢佐木町という町名の由来は、その町をおこすのに尽力じんりょくした有力者の名前から拝借しているらしい。伊勢屋いせやなんとか、佐川さがわ云々うんぬん、佐々木なにがしというのがその有力者であるらしい。その話を聞いた当時、私は十六歳とかそのくらいの多感な時期だったように思う。止ん事無き御仁が地元浅草あさくさを離れ、伊勢佐木町で事務所を立ち上げるという話が持ち上がった時に聞いたのだった。それまで同じかまめしを食べながら一緒に暮らしていて、張りけんばかりの恋慕れんぼ肥大化ひだいかさせていた私にとって、なんとも心苦しい話であった。思い人が、私が心中しんちゅうを打ち明けることも出来ずにしているうちに、知らぬ土地に行ってしまうというのだから当時の私はひどく悲観的になったものだ。悲観的になったし、感情的になった。感情的になりすぎた

「なんですかその伊勢佐木とか言うのは。何者ですか。年頃の女ですか」

 とまで言った。土地に喧嘩を売るんだから当時の私も大したものだ。

 そして御仁は、前述の通り、有力者の名前を取って付けた町名であり、繁華街なのだと説明してくれた。そんな説明が聞きたかったわけじゃないのだけれども、そうなんですかと納得する他なかった。そもそも、説明も聞きたくなかったし、歴史も知りたくなかったし、話がしたかったわけでもないのだ。

 ただ私は、あの人に、どこにも行ってほしくなかっただけなのだ。

 今思い返してみると、その逸話はなんとも奇妙に思える。伊勢屋なんとか、という有力者がそのまちおこしにかなり貢献こうけんしたということはなんとなくわかる。伊勢佐木のうち二文字をになっているのだから、つまり半分以上の功績こうせきがあったように。真実は知らないけれど、見た目からそう。そういう観点から見ると、どうにも佐川云々の不憫ふびんさが目立つ。伊勢佐木のの字なら、佐々木某のの字で間に合っている。

「伊勢屋と佐々木が頑張ったから、二名の名を取って、伊勢佐木というんだよ」

 と言われた方が納得しやすい。なるほど、双方から二文字ずつ取って伊勢佐木としたのだ。その方が納得する。だけど口伝くでんされる情報を元にすると、佐川云々という誰かさんがいたらしい。可哀想だ。あんまりだ。ちょっと泣けてくる。せめての字を使ってあげればかったのに、とさえ思う。でも字面的にも発音はつおん的にも、あまり好ましくなかったんだろう。漢字の一字いちじ一意いちいひびき、というのが当時はよかったのかもしれない。そう思わないと佐川さんが可哀想で仕方がない。私に出来ることと言えば、その佐川さんの存在を歴史の闇にほうむることなく伝え続けることだけだ。伊勢佐木の佐は、佐川の佐なんだと言い続けるしかない。

 けど、多分今まで誰にも言ったことなどない。

 そもそも伊勢佐木町の話題が普段の生活の中で出ることなんてないのだから仕方がない。じゃあ嘘だ。私に出来ることは、その話を忘れずに、いつ何があってもすぐに思い出せるように考え続けることかもしれない。

 どうでもいいことを考えているうちに、運河十字路に辿たどり着いた。

 桜木町だの、桜川だのという名前から分かる通り、この一帯は桜の木に恵まれている。前に見たのはいつだろう。七年くらい前のような気がする。不覚にも現在は八月も終わりに向かっている夏の時節じせつなので、この辺りには桜のの字もない。とは言えそうした植物の良さがなくとも、私はこのあたりの土地が好きだった。なんと言っても、ぞく関内かんないと呼ばれる、馬車道ばしゃみちやら外国人街のある派大岡川より南側に位置する土地の雰囲気が好きだった。

 関内というのは、読んで字の如く、日本に設けられた関所せきしょの内側である。港町であるこの一帯は、昔は外国人の乗り入れが多く、自由に出入りさせるわけにも行かないからと関所が設けられていたのだそうだ。もちろん、関所と言ってもそれも昔の話で、今となっては存在しない。しかしながら、概念的にとされている土地には、どうにも外国的な雰囲気のある建築物が多くあって、雰囲気もどこか外国っぽい。

 私はそこが、なんだか好きだった。

 別に理由なんかない。

 洒落しゃれている雰囲気がいい。

 これも御仁に聞いた話だけれども、派大岡川に架かる吉田橋にこそ、昔は関門かんもんが設置されていたらしい。つまりはその川から海側が関内であり、私がこれから目指すべき伊勢佐木町は、関外かんがいということになる。関外に入ると、これが途端とたんに古くさい日本的な商店街に変貌へんぼうしてしまう。とは言っても、私の故郷こきょうに比べれば随分と繁盛していて、都会的だ。だからどちらかと言えば関内の方が好きだったが、伊勢佐木町も、他に比べると好きな部類であった。

 要するに、比較対象によって、私の好みなど変わるのだ。

 それは本当に、好みと呼んでいい趣向しゅこうなんだろうか?

 大岡川を渡って、派大岡川に沿って進む。橋を渡るまで、私は関内に居ることになる。それも概念的な話だ。名前で言うなら、ここは桜木町や伊勢佐木町とは違って、関内町かんないちょうとは言わない。関内などという地名は存在しないのだ。あくまでも概念的なことである。しかし、ここら一帯に暮らす人間やら、あるいは馬車道やら外国人町やら横浜公園などを指す場合には、関内と言えば通じるのである。なんとも不思議なものだ。これは屋号やごうという概念に似ている気がする。または、地名が転じて名前になったような人にも似た部分があるだろう。とにかく法的に何かに登録されているわけでもないのに、人々の共通認識として存在する名前というのはどうにも概念的で、まるでだったり、だったり、それこそという、摩訶まか不思議ふしぎなものだ。私も、親戚のひとりを「つばめのおじさん」と呼んでいるが、これは単に、そのおじさんが昔、燕町つばめまちというところに住んでいたからそう呼んでいただけだ。今はもう別の土地に引っ越したらしいので、燕のおじさんが燕のおじさんたる所以は失われている。しかしながら、私が「燕のおじさん」と言えば、親戚にはそれで通じる。まったく燕らしくはない、むしろ鳥っぽくすらない、どちらかと言えば熊とかに似ている中年の御仁なわけだが、不思議なもので、恐らく一生、彼は親戚縁者にとっては「燕のおじさん」なのである。

 これは共通概念とでも言うのか、いっそ流行はやりと言っても差し支えないかもしれない。

 この一帯の土地も、港町だの関所だのという歴史はいずれは形骸化けいがいかして、というだけが残ることになるのだろう——というのは、止ん事無き御仁のべんだった。どこにも関内の名を冠する建築物などないのに、関内と一言発すれば、「ああ、あのあたりのことね」と通じるわけだ。地名でもなく、建物名でもなく、人名でもない。しかし多くの人間に通ずる名前。これは言わば方言、言わば渾名あだなであろう。

 渾名と言えば私の屋号も渾名のようなものかもしれない。

 あまりの暑さから無駄なことばかり考えている。

 考えでも起こしていないと、暑いし疲れるしで歩を止めてしまいそうだった。

 派大岡川沿いを歩きながら吉田橋を目指しつつ、私の頭は別のことを考えている。

 私の仕事上の屋号は累屋かさねやと言った。なので、大抵の場合は「累屋さん」と呼ばれることが多い。わざわざ敬称を付けられるのは、多分私が若輩者だからだ。止ん事無き御仁などは、屋号で呼び捨てにされることの方が多い。とにかくその「累屋さん」というのも、ある種の共通概念であろう。私は別に、累屋として商売をしているわけじゃないし、そういう登録もしていない。退魔師としての登録は、正真しょうしん正銘しょうめい、本名のである。しかしながら、古くから代々だいだい脈々みゃくみゃくと続く退魔の系譜けいふが、その概念が、私を累屋として認識させる。

 越後えちごの累屋さん。

 それが私の——退魔師としてのもっとも広範囲の呼称こしょうだ。

 要するに、新潟県に住んでいる退魔師のことを、多くの人間が、長い期間、そう呼んできたのだ。私の父もそうだし、祖父もそうだ。そうやって、受け継がれてきた。

 私には折櫛直流という立派な名前があるのだが、にも関わらず、仕事上でそう呼ばれることは少ない。いや、そもそも仕事を始める前から、私はであった。結果として跡を継いでいるのでその通りだが、当時は気にしたものだ。何故なら私は、自分の名前が好きだったからだ。多くの人が私を「跡継ぎ」と呼ぶので、なんで私を名前で呼んでくれないのだろうか、変な名前なんだろうか、と悩んだ時期もあったが——大人になって少し経つと分かる。一時的な交流しか生まない人間関係で、わざわざ名前を覚えるのは面倒、ということだ。だから、概念的な呼称が好まれるのだろう。

 考えを元に戻すと——累屋という名前は非常に陳腐ちんぷ由来ゆらいで、名字の折櫛が「櫛を折る」という意味だから、櫛を折ると、櫛を重ねる——つまりことになって、それを営む職業だから、なわけである。陳腐どころかそのままだ。こんな屋号ならつけない方がいい。むしろ折屋おりやでいいだろう。

 ただ、字なり名前なりというのは、やっぱり字面じづらだの響きだの、そういう特殊性があった方が良いのだというのが、これも止ん事無き御仁からの教えだった。多分、桜木町だの、横浜だの、伊勢佐木町だの、関内だの——というのと同じで、なんとなく、が善いのだろう。だから残っていて、今後も残っていくのだろうと思われる。名が体を表す場合と、体が名によって出世しゅっせする場合と、体が出来すぎて名もよく見える場合があろうが、どれにしてみてもというのはそれ相応の、を持っているように思える。

 名前は大事だ。

 むしろ名前以上に大事なものなんてないのかもしれない。

 そう考えると、折櫛という名前も今となっては見栄みばえが良いが、昔には一悶着ひともんちゃくあったようだ。私の二代前——つまり祖父の代のことだが、十一代累屋である祖父がに生を受けた当時は、我が家は折櫛ではなく、折奇おりくしという字を当てていたそうだ。読んで字のごとく、あやしさをる、と書いて折奇である。ここまでさかのぼると、退魔師の家系として何代も続いてきたことがよく分かる。生憎あいにくと私はその折奇の歴史までは知らないが——多分これも陳腐な理由で、していたのだろう。

 ただ、奇という字は縁起が悪いだの、見栄えが悪いだのということで、音の響きに合わせて、現代的な当て字が模索もさくされた。そして十一代累屋が跡目を継ぐ頃には、櫛の字を当てた名字に変わったそうだ。冷静に考えてみれば、普通は櫛なんて折らないのだから、私の名字は本来では意味が通らない名前である。櫛を折るなんてのは私から言わせれば無法もはなはだしい。それでも折奇と書くよりは折櫛と書いた方が収まりが善かったようで、この字を使うことになったようだ。

 もっとも、縁起が悪いから櫛の字にした、と言ったところで、櫛はそもそも苦死くしを連想させて縁起が悪いみ言葉であるから、何も解決していない。だったらいっそのこと、かんざしにしてしまえばよさそうなものだが、そこまで行くと原型がなくなるからいけないのだそうだ。私にはわからないが、そういうなんとなくの境界線というものがあるのだろう。ただ少なくとも、十三代累屋こと私にしてみれば、折櫛の櫛の字はなんとも綺麗に見えるものだから、これでいい気はしている。

 私は自分の名前が気に入っている。

 折れる櫛、真っ直ぐな流れ。

 意味はてんでわからないが、字面も響きも気に入っている。

 だから名前の意味なんて、別にどうだっていいことなのかもしれない。

 あるいは、誰かが気に入るかどうか、でしかないのだろう。

 それが大勢集まれば、概念化して、共通概念化するのかもしれない。

 是非、私もそうなりたいものだ。

 派大岡川に沿って歩いているうちに、ようやく私は吉田橋に辿り着いた。昔は関門があったとかいう、例の場所だ。鉄筋コンクリートにより補強された立派な橋で、橋というより道に近い。その橋を渡った先にあるのが——私が新潟から神奈川くんだりまでやってきた目的である、伊勢佐木町であった。

 伊勢佐木町というのも関内に似て概念的な呼称であり、実際には所々で地名が異なるそうだが、私も周囲の人間も、この一帯の繁華街を伊勢佐木町として認識している。共通概念である。私が以前ここを訪れたのは四年か五年前なので、町並みもすっかり変貌へんぼうしていた。だが、所々に面影おもかげが残っている。中でも、この伊勢佐木町において私が目印としているのは、以前来た時から既に貫禄かんろくを持っていた書店である第四有隣堂ゆうりんどうであった。二階建てだか三階建てくらいの店舗で、左右を店に挟まれながら、堂々と間口を開いている。店先には雑誌が平積みになっていて、この光景は、当時来た時とほとんど変わらなかった。私の住むところは雑誌の流通が遅い上に取り扱いも少ないから、なんとも後ろ髪を引かれる気持ちになったのだけれど——目的は別にあったので素通りする。その有隣堂書店から少し行ったところに、新規開店らしき喫茶店を見つけた。不二家ふじやという名前に聞き覚えがあった。元町にある洋菓子店と同じ名前だ。私は甘味かんみに鼻が利く人間であったので、すぐにその支店であることを見抜いた。見る限り、建物自体は目新めあたらしい。甘味にはおさえがかない私であったので、考えるよりも早くその店に入り、店では食べずにすぐそこで食べるからと、シュークリームをふたつ無理矢理に購入した。袋も何も持っていなかったので、パンのような饅頭まんじゅうのようなそれを両の手に持って、そのまま——有隣堂とその不二家とかいう店の間にある路地を抜け、別の通りに向かった。

 いよいよ目的地である。

 ただ、ここがわかりにくい。

 いつも迷う。

 迷うことに掛けては迷いがないくらい、迷う。

 迷わず迷えるのだ。この路地は。

 多分、伊勢佐木町の商店街以外から這入はいると辿り着けない構造になっているように思える。地球規模で何らかの不思議さがまかり通っている。迷路の行き着く先なんじゃないかと思える。五年ぶりにその迷路を、シュークリームを両手に持ちながら、私はぐるぐると回ってみる。目印らしい目印がないのだ。私が思うに、ここは拡張かくちょう世界になっていて、さっき通った有隣堂書店と不二家喫茶の間にある路地というか通りというかは、別の世界に繋がっているのだ。そんなことはあり得ないのだが、そうでなくては説明が付かない。

 どこをどう通ったかわからない割には、迷うことに迷うことも出来ず、ただ流れるように歩く。

 歩いて壁に当たり、左右を見ると右しか道がなく、二歩進んだらまた壁で、かと思ったら今度は左が空いていて、ぐるぐるというより、右往左往、右に折れ左に折れ、何回折れたかわからない、あるいは上下しているのではないかというほど、踊っているような機敏きびんさで——かと言って数分も歩いているわけでもなく——気付けば私は、目的地であった『A・Kビルヂング』という名前のビルの前にいた。

 あるいはこれは、と言えるのかもしれない。

 路地に這入ったら最後、必ずこのビルの前に出る。

 ここは三階建ての雑居ビルだった。明治の終わり頃に建てられたらしいこのビルは、一階が喫茶店、二階が何らかの出版事務所、三階に『新蘭戯あららぎ相談所』といういかにも胡散うさんくさい事務所が入っていた。私が用事があるのはその『新蘭戯相談所』であったので、シュークリームに両手を塞がれながら外階段を上がって、当然手でノックするわけにも行かないから、ブーツの爪先でドアを三回蹴った。一階の喫茶店は入り口が多分東を向いていて通りに面しているのだが、二階と三階の入り口は多分南側に面していて、ここに二階と三階へ行くためだけにある外階段が設置されている。周囲はほとんど建物に囲まれていて、とてもじゃないが集客は見込めない。唯一、通りから店の形態や名前が分かる喫茶店にしても、一体どこをどう通ればこのビルに行き着くのかわからないので、ほとんど客がいないのが常である。今日もいなかった。五年前もいなかった。だが、店が続いているということは、何らかの方法で家賃を払っているのだろう。

 返事がない。

 私はもう一度、ブーツの爪先でドアを蹴った。この場でシュークリームをふたつとも食べてやろうかと思ったが、手土産のひとつも用意せずに五年ぶりに再開というわけにもいかない。

 しばらく待つと、「おい、浩平こうへい! 客だぞ!」という声が内から聞こえてくる。この相談所の名前である新蘭戯あららぎせいに持つ、新蘭戯浩平という人物を呼ぶ声であった。つまり、それを呼ぶ声の主は、私が会おうとしている止ん事無き御仁である。「なんだ、いないのか」諦めたような声がしたかと思うと、私の前にあるドアが急に開いた。

「どうぞ」

 木哭きこく三月みつきその人であった。

「こんにちは」

「どうも」同じ言葉を繰り返したようだったが、厳密には別の言葉だったようだ。「ご依頼ですか。生憎あいにく、今、所長が外してましてね……」

 紺色の着物に、黄土おうど色の帯を巻いた出で立ちの、筋肉質にも関わらず女のように線の細い——昔とほとんど変わらない、五年経っているのに老化を感じさせない男がそこに立っていた。寝起きなのか、眠そうな表情をしていて、浴衣もほとんど着崩れている。目のやり場に困る。髪は短く、散髪したばかりのような印象を受けた。ということは、一ヶ月近く前までは、口元くらいまで髪が伸びていたに違いない。無精ぶしょうひげは見られなかった。もしかすると、接客業が板についてきて、身なりに気を配り始めているのかもしれない。

「まあ、とにかく、どうぞ」

 私が私であることに気付いていないような気がしたので、名乗らないまま「失礼致します」と淑女しゅくじょらしく頭を下げる。

 シュークリームを両手に持っている時点で、淑女も何もないのだけれども。

 部屋は変わらず土足文化だったので、ブーツを脱ぐ必要性はなかった。暑さで蒸れていたので助かった。入ってすぐの場所が応接間になっていて、中央に背の低いテーブルがあり、それを挟むようにして、長さの異なるソファが三脚配置されている。東向きの壁に窓があり、それ以外の窓は棚で埋め尽くされている。西側に、棚の間に空間があって、その先に給湯室があった。少し模様替えされているようだが、五年前の記憶とほとんど変わらない。

「どうぞ」

 この人はどうぞばかり言うな、と思いながら、勧められるままに来客用のソファに腰を下ろした。

「ご無沙汰しています」

 ようやく白状することにした。

「はあ……ん?」

 止ん事無き御仁——木哭三月は、意味のわからないことを言う客こと私を見て——驚いたような、呆れたような、疲れたような、そんな表情をして、

「ああ、なんだ……直流じゃないか」

 と言った。

 なんだとはなんだ。

「なんだとはなんですか」

「どこぞの若い娘が来たかと思ったよ。なんだ、君か」

 木哭三月——三月さんは、どっと疲れたようにして、私の対面にあるソファにどっかりと腰を落とした。そして私の両手を交互に見て、「なんだそれは」と辛辣しんらつに言った。

手土産てみやげです」

「字のごとく手土産だなあ」背後——給湯室の方を振り返り、「腐ってないだろうな」と言って、またせわしなくソファを立ち上がる。忙しい人だ。

「すぐそこで買ってきました」

「なんだ、不二家に行ったのか」給湯室で皿を探しながら、三月さんが言う。「出来て間もないんだよ、あそこは。まあ元町に本店があるから、目新しいわけでもないんだが——元町より伊勢佐木の方が最近流行ってるからな。評判が良いようだよ。まあ、そうじゃなきゃ新しい店なんか出さないか。因果いんがが逆だな」

「本当は何も持ってくるつもりはなかったんですが、甘味に目がくらみました」

「来るなら来ると先に電話くらい寄越せばいいじゃないか。おかげで、浩平は留守だぞ」

 三月さんは皿をテーブルに載せると、ソファに座ったが、ふいに思い立ったようにまた立ち上がる。「そうだな、茶でもれるか」と本当に今思いついたように言った。私はその隙に皿の上にシュークリームを置いた。手に粉っぽい感触があったので、控えめに手を打って払う。

「突っ込み遅れましたけど、私は正しく若い娘ですよ」

「うん? ……ああ、さっきそんなふうに言ったな。いや、前までそんな女性らしい格好をしていなかっただろうと思ってな。あと、若いかどうかは、定義や認識によるだろう」

「たまには流行りゅうこうに乗ってみようと思った結果です」

「そうかい」

 私は二十四歳というそこそこの年齢になってしまったが、まだ性根は乙女だったので、着物に袴に編み上げブーツという、昨今の流行りを煮染めたような服装をしていた。本来は女学生が着るような若者向けの服装だが、職業柄——というより、——着物を着ないわけにもいかないので、結局この形が無難かと思ったのだ。幸いにして、顔の幼さはまだ女学生でも通るので、道中、奇異きいの視線は向けられていないはずだった。

「しかし、そりゃ女学生が着る服じゃないのか」

 案の定突っ込みが入ったが、無視をすることにした。

 聞こえの悪い言葉は耳に入らない。

 食器などがぶつかる音がする。変わらず不器用なままらしい。

「こっちで仕事か? 繁盛しているようで何よりだな。しかし都会の依頼なら、何故僕のところに依頼が来ない? 不服だな」

 被害妄想による不満を口にしているようだったが、これは独り言だと判断して、私は返事をしないことにした。

「それはお茶ですか? それとも紅茶ですか?」

「うん? ああ、新蘭戯の趣味で、ここには玉露ぎょくろしかない。洋菓子に合う飲み物が欲しいなら、下に珈琲でも持ってこさせようか。覚えてるかい? 一階に喫茶店があったろう」

「ええ、覚えています。持ってこさせるというのは?」

「下に降りて珈琲を頼んで、あとで運んでもらうんだよ。よくやるんだ」

「貴族みたいなことをおっしゃいますね」

「浩平のビルだからな、そのくらいの融通ゆうづうく」

 玉露は好きだったので、それ以上のわがままは言わないことにした。私は貞淑ていしゅくっぽさを演出して——貞淑という概念自体わかっていないが——三月さんがお茶を用意するのをじっと待っていることにした。貞淑っぽい女性なら茶くらい自分で淹れるのかもしれないが、他人の家の勝手に立つのも貞淑っぽくない気がする。

 湯飲みと急須きゅうすの載ったぼんがテーブルに置かれて、ようやく三月さんはすべての雑事を終えたらしく、今度こそソファにどっかりと腰を落ち着けた。湯飲みを手にするが、熱かったのかすぐに手を離し、代わりにテーブルに置きっぱなしになっていた煙草を手に取って、咥える。燐寸マッチを擦って火をけると、胡乱うろんな視線を私に向ける。

 こんな予定ではなかったのだけれども——

 嗚呼ああ——なんというか、相変わらず、三月さんは格好良かった。

 五年という歳月さいげつは乙女の純情を鎮火ちんかさせるには充分であったが、それにつけても格好良いことには変わりがなかった。今更木杭ぼっくいに火がくこともなかったが、昔好きになり、嫌いにもならずに過ぎた相手の顔は、どうにも変わらず、く見える。恋の再燃こそないものの、少しばかり、懐かしいような、刺激的な匂いがした。

「最近、とてつもなく暑いな」三月さんが言う。「避暑にでも行きたいところだ。相模さがみは港町だから、どうにも湿気があって善くない。ここも川っぺりのすぐ傍だからな」三月さんは私より五歳かそこら上のはずだが、何故か地名を旧国名で呼ぶ癖があった。

「そうですね。軽井沢かるいざわなんかはいいですよね」と、私は上の空で答える。久しぶりに思い人の顔を見るのでいっぱいだった。

「そう言えば……この前、初夏しょかくらいか。下野しもつけから依頼があってちょっと行ったんだがな、結構暑かったよ。ほら、下野だと、この辺よりは多少、東北寄りだろう? だから涼しいと期待したんだが、そうでもなかった」

 下野というのは、栃木とちぎ県のことだ。

「下野や上野こうずけは最近どうだい」

「いえ……最近はもっぱら、地元が多いです。依頼自体も減ってますけれども」と、私は相変わらず心ここに在らずで反射的に答える。

「うちもそこそこだなぁ……そもそも、あの辺の依頼は、昔は越後の領分だったように思うが、最近は相模に流れるようになってきたというのも一因だろうね。交通網の発展のおかげだな。あるいは、仕事の依頼のついでに、都会見物に来ようという客が増えたのかもしれん。まあそういう見物に来ようと思えるのも交通の発展にるものだから——因果は同じか」

「そうですねえ。私も、前回よりはそこそこ時間を短縮してここまで来られましたよ。夜行で来て、昨日は上野うえの辺りで宿を取りましたけれど——そのうち、日本の縦断も一日で出来るようになるんでしょうかね」

「技術的には今でも可能なんじゃないか。空路という手もあるしね。軍用目的で造られた輸送機が、荷物の代わりに人を乗せる日もそう遠くない。鉄道と同じだな」

 数年ぶりの再開だというのに、どうでもいい話をしている感覚があった。かと言って、本題を切り出すのは少し惜しい。少なくともシュークリームくらいは食べ終えたい。

 それになんだか悶々もんもんとした気持ちがあった。

 昔の思い人と再会して、悶々としているわけではない。

 そうではなく——なんというか、負の悶々だ。

 何かが足りない気がする。

 なんだろうこれは。

 なんだか私の機嫌が悪い。

 ここに来るまで楽しい気分だったのに、急に不愉快ふゆかいだ。

「あ、そうか……」私は急に理由を思いついたので、そう口にした。

「なんだ急に?」

「あのう、三月さん、私をめてください」

「なんだ急に!」

「流行に乗った服装をしてきたので、三月さんに褒められないとちょっと……有り体に言って、機嫌が悪くなりそうです。これを揃えるのに、そこそこ値が張りましたから。特にブーツは。すみません……褒められないと話が進められません」

「あのねえ直流。相変わらず実直なのは結構なことだが、そういうのは自然と褒められるまで待った方がいい。人に要求するのはこう、なんというか、下品げひんだ」

「三月さんはそう言って褒めてくれないまま終わるじゃないですか」

「浩平が帰ってきたら、多分褒めてくれる」

「三月さんに褒められたいんです。私は。帰りますよ?」

「なんで帰ることがおどしになると思ってるんだ君は。突然来ておいて」

 なんだか泣きたい気持ちだった。心のどこかで、もっと可愛いだのお洒落だのと持て囃されることを期待していたのだろう。そうでなくとも、見違えたとか、綺麗になったと言われることを、恐らく心のどこかで期待していたのだ。それが発生しないことで、私はその自分の中にある面倒臭い感情に気付いてしまった。三月さんがこういう人間だということを知っていたにも関わらず、五年という歳月が私の感覚を鈍らせたのかもしれない。しかしそれにしても、普段は男とも女ともつかないような中性的な格好をしている私が、こうもわかりやすく女然とした格好をしているのだから、少しくらいは褒めてくれてもいい。

 褒めてくれないと泣いてしまいそうだった。

 流石にもう二十四歳である。泣いたりはしないけれど、泣いてしまいそうだ。

「なんで泣くんだ」

 嘘だった。

 私は既に泣いていた。

 私は感情が抑えきれない性質たちなのだ。

「わかったわかった……いや待てよ、僕は褒めただろう。若い娘が来たかと思ったと確かに言ったぞ。充分褒めてるじゃないか」

「それはだって……それはだって私を誰か別の女と見間違えたって意味じゃないですか! 私は私を、私の努力と行いを褒めて欲しいんです! そんなのは褒めたうちに入りませんよ!」

「わかった。泣くな。大声を出すな。いや、直流は充分に綺麗だよ。見違えた。前に会った時は、相変わらず少年のような、何と言うか中性的な格好だったものな。中性的っていうのはいいことだ。顔立ちがつまり、整っているということだ」

「余計な言葉が多いです」

「すまん……」

「謝らないでください。なんで謝ってるんですか? 本当に悪いと思ってますか?」

「あー……すごく、こう、綺麗だ。うん。普段、三十路みそじの男しかいないような事務所だからな、こう……華々はなばなしいというか」

「はい」

「そう、中性的と言ったが——五年も離れてみると、随分とその、やっぱり女性らしくなるものだな。うん、ええと……綺麗、違うな……ぐっと女らしくなったというか……」

「化粧もしていますから」

「そうなのか。いや、それが自然で、あまりに自然なものだから……驚いたと、そういうわけだ。見違えたと言ったが、見誤ったわけではなくてな。とにかく驚いたというわけで」

「もう少し頑張ってください」

「……有り体に言って、緊張しているわけだ、僕は。その……綺麗な娘が来たと思ったら、それは直流で、なんだ……驚くんだか、恥ずかしいんだか、とにかく緊張しているから、普段通りを心がけようとしたわけだ。普段通りというか、昔のままというか」

「可愛かったわけですね? 私が」

「まあ……」

「綺麗だったわけですね?」

「まあ……そうなる」

「可愛くて、女らしくて、胸が時めいたわけですね? 突然事務所にいい女が来たと、そう思ったわけですね?」

「まあ……そういうことになる」

「そうですか。じゃあいいです。多少不服ふふくですが」

「いやでも、僕は直流のその……菓子を手掴みで持ってくるような、そういう性格の方が好きなんだけどね。だから見た目のことはあまり、評価に入れなくてもいいんじゃないかと甘い考えをしたわけだ——まあ見た目で言えば、確かに、以前よりはぐっと綺麗になってるわけだけど——僕の、直流への評価は、以前から高いから、泣くのはやめてくれ」

「なるほど? ……はあ。なるほど。左様さようでございますか」

 私はようやく溜飲りゅういんを下げた。涙も引っ込んでいた。

 たまにこうなる。

 感情的になると、色々とよくわからなくなる。

 感情的というか——よく言えば素直だが、悪く言えば直情的なのだ。

 名前の影響だろう。

 悪い癖だとは思っているし、だからこそ普段は感情が動かぬよう徹しているのだが——やはりどうにも、昔から知っている人を相手取ると、上手く行かない。

「自然体の私のことが好きだと」

「そこまでは言ってないが……まあ急に変わられたらそっちの方がやりにくいだろうな。いや、昔も言ったが、直流はなんというか……妹のような、親戚のような存在だからな、急に女らしくなると、驚くという話だ」

「わかりました。まあ別に、今更三月さんとどうこうなろうというつもりではないですから。ただ褒められたかっただけです。あと困らせたかっただけです」

「なんなんだ君は」

「とにかく、仕事絡みの話をしに来たんです。あ、シュークリームを食べましょうか。手掴みでいいですよね。箸というのもなんだか趣がありませんし」

「探せばフォークくらいあるだろうが——まあ、別にいいか。僕は甘いものは食べないから、ふたつとも食べたらいい」

「知っています。もうひとつは新蘭戯さんに買って来ました」

「ああそう。元々僕の分はないのか。失敬しっけい失敬。なんだか帰ってほしくなってきたなあ」

 三月さんは溜息交じりに紫煙しえんを吐き出して、ようやく飲み頃になった湯飲みに手を掛ける。私の感情もかなり持ち直していた。悲しい感情は蓄積させたくない。いつも平穏でいたい。だから悲しい時にはそれをなんとかして黙らせないといけない。

 シュークリームに手を掛けた。普段は食べられない、なんとも夢心地の甘さだ。ここに住んで相模の累屋になろうかと思うほどだった。現実的に考えればあり得ないことだが、そんな想像をしてしまうほど、甘味の魔力はあらがいがたかった。

「おいしい」

「それは結構なことだ。茶でも飲んで落ち着いて、そうしたらじゃあ——聞かせてもらおうか。

「もう少し甘味の余韻よいんを堪能します」と言ってから、

 私は一瞬思考を立ち止まらせる。

 何か変な感じだった。

「信濃?」

「信濃の話だろう?」

「そんな話しましたか?」

「いや——そんな話はしてない」

「じゃあどうして信濃の話なんて仰ったんですか?」

「当てずっぽうだよ」

 そう言いながら三月さんは自分の頭を、指先で軽く叩く。

「そういう当てずっぽうを聴きに、わざわざ神奈川まで来たんだろう? ——まあ、同業者のよしみだ。それに、可愛いいもうと弟子でしの頼みだ。金なんか取らずに聞かせてもらうよ」

 三月さんは満足そうに言って——多分、私が困らせたことへの意趣いしゅがえしだろう——美味しそうに煙を吸った。私はなんだか不服だったが、そのとやらで真意を悟られたのが、悔しいやら懐かしいやらで——結局、大人しく、をすることになった。

 つまり、今から一ヶ月前、私がとある少女を、仕事の話である。

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