第23話 師匠

 日が差し込む。


 僕は、目を開いた。


 知らない天井だ。

 目に入ってくるのは、均等に並びつけられた木目。


 記憶を探る。

 微かに、ティノに運ばれて、渓谷から出てきた覚えがある。


 ——つまり、僕は助かったということか。

 

 体を起こす。

 痛みはない。

 傷も、すっかり治ってしまったようだ。


 ベッドにずっと横たわっていたせいか、頭が痛い。


 視線を動かす。


 知らない場所を、恐る恐る探索していくみたいに。


 白いシーツに、木造の寝具。

 小さな棚の上には試験管を模った瓶が五つ。


 貼られたラベルをよく見ると、回復薬と書かれている。

 壁には抽象画が飾られていて、その隣には小さな本棚があった。

 

 そして、ようやく横を向いた時。

 

 目があった。


 その少女と。


「起き、た……」


 その真紅の瞳に、光が灯る。


 スッと、ベッドに手をついて、フェリシアが近寄ってくる。


「う、うわぁ!?」


 僕は思わずのけぞった。


「起きた……アキト、起きた……!」


 喜んでいる。

 もしくは、安堵している。


 まるで、自分のことみたいに。


 目を覚ましただけでこんなに喜ばれるのなんて、生まれて初めてだ。


「お、落ち着いて……」

 

 詰め寄られる中、僕は目線を彷徨わせた。


 滑らかな白髪。

 それから、真っ白な肌。

 艶やかなうなじを通って——赤く腫れた肩。


 途端に襲い来る罪悪感。


「フェリシア、ごめん……」


 僕は手を伸ばして、彼女の肩に触れた。


 フェリシアは、抵抗しなかった。


 腫れた部分を撫でる。

 自分の肩に、鋭い痺れが走った。


「アキト、痛い……?」


「あぁ、痛いよ」


 痛い。

 明確に、感じるほどに。


 改めて、フェリシアを見つめる。


 綺麗だ。


 言葉に表せないくらい、秀麗で、麗しくて、美しい。


 精霊という、人間には想像もつかない次元の存在。

 それが、これほどにも近くで、瞬いている。


 だというのに、それに相反するように、付けられた傷が鮮烈に目に映るのだ。


 ——誰だ。


 一体、これほどにも美しい存在に、傷をつけたのは誰だ。

 それを許してしまったのは、誰だ。


 ——僕だ。


 強く、フェリシアの肩を握りしめる。


 痛い。


 痛覚が、悲鳴をあげる。


 でも、こんなものじゃ足りない。


「本当に、ごめんなさい……」


 いくら謝罪の言葉を重ねたって、足りやしない。


 僕の責務は、果たされなかったのだから。


 手に力を加える。

 そのたびに、痛烈な罪の意識が体内で膨らんだ。


「——やめて」


 しかし、突き放される。


 僕の手は、彼女の体をすり抜けてしまった。


 掴むものを無くした手が、虚しく宙を空ぶる。


「私が触れるのを許すのは、貴方を責めるためじゃない……」


 何を適当なことを。


 そう思った。


 まるで、親が泣く子供をあやすような、気休めの言葉をかけられたような気分だった。


「僕は、許されては、ならないんだ……」


 フェリシアは、呟く僕を咎めるように言った。

 

「じゃあ、私は何をすればいいの? どうすれば、貴方は納得する?」


 問いかけられる。

 答えは、決まりきっている。


「僕を、責めてくれ」


「——は?」


「僕を、責め立ててくれ。気休めの許しじゃなくて、思いつく限りの言葉で——僕を罵倒してくれ」


 ベッドに手を付き、彼女に迫る。


 興奮するあまり、節操も忘れて。

 迫り来ていた彼女が、逆に身を引かせるくらい。


 部屋のドアが不意に開いたのは、そんな時のことだった。


「——寝起き早々に罵倒の言葉を願うなんて、随分と殊勝じゃないか、アキト」


「ティノ……いや、これは……」


 来訪者の小人族に、言葉を詰まらせられる。


「この家は声がよく響いてね、話は勝手に耳に入ってきたよ。

 僕としては、君が新しい扉を開くのも大いに結構だ。だけど、この状況はそれとは少し違うみたいだね」


 ティノは僕とフェリシアを交互に見て、肩をすくめた。

 少し気まずくなって、僕は目を逸らした。


「これは、必要なことなんだ……」


「そうかい。しかし、よく見てみたらいい。……彼女は困っているよ」


 僕は、ハッとした。

 我に返って、距離を取る。


 フェリシアは、口元を結んで、俯いていた。


 無意識の内に、気分を害していたという事実。

 それに、僕はますます自責の念に駆られた。


「ごめん……迷惑かけた」


 フェリシアは何も言わず、ただ口ごもるばかりだった。


「二人とも、そんな調子だと芳しくないよ。何せお互い契約者同士なんだ」


 ティノがやれやれと言わんばかりに息を吐く。


 確かに、言われてみればそうだ。

 僕とフェリシアは、契約で結ばれてしまった。ならば、互いに相応の譲り合いというものをしなければならない——と、一瞬思わされる。


「いや、それはおかしいのでは?」


 僕は疑問を呈した。


「何故だい? 契約者同士は、神聖な関係として世界の条理に認められるんだ。仲が良い方が良いに決まっているだろう」


 その通りだ。

 そこに、異論はない。


「だけど、契約が結べるってことは、破棄できるってことのはずだろう」


 契約が破棄できれば、僕とフェリシアの関係は切れる。


 そうなれば、彼女も晴れて自由の身。

 僕に迷惑するということも無い訳だ。


「なるほど。しかし、契約はなかなか切りづらい関係性だって聞いたことがある」


 まさか。

 そんな訳がない。


「ただの噂話じゃないのか?」

 

「疑問に思うなら、本当に破棄できるか、本人に聞いてみたらどうかな?」


 僕は、恐る恐るフェリシアの方を向いた。


「契約破棄、できる、よね……?」


 彼女は、うろうろと目線を彷徨わせると、言いづらそうに口を開いた。


「出来ない、かも……」


「——んん?」


「私、契約のことは、あまり良く理解してなくて……その、これから学ぶところだったから」


 つまり彼女は、よく分からない僕と、よくわからないまま契約して、よく分からないけど破棄できなくなった、ということか。


 とんでもない判断力だ。


「ティノ、これは、つまり……」


 助けを求めるように、その小人族に視線を送る。


「二人は切っても切れない関係になってしまったということだね」


 希望は潰えた。

 僕は、一生このままフェリシアのお荷物になるのだ。


「——まぁ、しかし、僕も助けられた身だ。だから、二人には協力したい」


「協力……?」


「精霊と人間の契約。これは、ここ数千年に記された歴史の中でも、前代未聞だ。僕は助けられた恩を返すという意味でも、好奇心という意味でも、二人に協力したい」


 ティノは小さく笑った。


 暗闇の中から、一筋の光が差し込んできたかのようだった。

 僕は恭と合掌した。


 すると、フェリシアは少し不満そうに呟いた。

 

「そっちは巻き込まれただけなのに、恩返しだなんて。理由をつけないといけないなんて面倒ね」


「……あの時疑ったのは悪かったよ。だけど、僕は自分の油断で死んでやるわけにはいかなかったんだ」


 ティノは、譲れないとばかりに言い切った。

 

「別に、分かってるから……」


 フェリシアが気まずそうに横を向く。


 それを傍目に、僕は眉を寄せた。


「でも、ティノの言葉通りなら、この件は相当複雑な問題なはずだ。負担にならないのか?」


 その疑問に、ティノは頷いた。


「アキトの言う通りだ。負担になるかならないかは別として、この件は到底僕の手には負えない。もちろん、君たちにもね」


 ——序列が、そのまま尊厳を表すと言うこの世界。

 その上位者と、下位者が、手を組み合うと言うのは、それこそ世界の底から震撼するようなことだ。


 もはや、当人である僕らでさえ、どうすればいいか分かりかねる。


 そんな暗澹の最中。

 だから、とティノが続けた。


「僕は、君たちを保護してくれる人に助けを求めた」


 僕たちを、保護してくれる人。


「本当にそんな人、いるの?」


「あぁ、上位種の事情にも詳しくて、神聖力の扱いも熟知してる。——僕の師匠だ」


 言われて、思い出した。

 確か、ヘドロの森で、師匠がいるとか言っていたはずだ。


「その師匠とやら、信用できるの?」


「できる、と断言しておこう。あの人は、上位種にも劣等種にも分け隔てなく接する」


 僕は気の抜けた息を吐いた。

 

「……こんな世間で、そんな人が存在するのか」


「僕も、全く同感だ」


 ティノは呆れた様子で頭を振った。


「——ともかく、これから君たちには師匠に会ってもらう。師匠なら、もしかしたら契約を解除する方法がわかるかもしれない」


 話は、決したも同然だった。

 僕は頷いた。


「行こう」


 ==========


 家を出て、振り返る。


「ティノ、ところで、宿代は……」


「いらないよ。この家は、僕と師匠の仮住まいなんだ。宿代も出ないし、君に飲ませた回復薬にも金はかからない」


 どうやら、僕は意識を失っている間に回復薬を奢られていたらしい。


「それでもやっぱり、気持ち的に落ち着かないと言いますか……」


 頭を掻いて言うと、隣を歩くフェリシアが徐に尋ねてきた。

 

「アキト、お金はどれくらい持ってるの?」


「無一文だね」

 

「——それなら、余計首を突っ込まない方がいい」


 ティノが言う。

 聞くのも恐ろしいが、念の為尋ねておこう。

 

「ちなみに、おいくらほどで?」


「君が聞いたら、卒倒しそうなくらいの値段かな」


 僕は現実から目を逸らすように、身を引いた。


「やっぱり、ご厚意に甘えておきます……」


「賢い選択だ」

 



 それから、しばらく街を歩くと、一軒の石造りの建物にたどり着いた。


 いや、と言うより、これは……。


「治安維持協会じゃないか」


 苦い思い出しかない。

 できれば、近寄りたくなかった場所。


 僕は途端に引け腰になって、目を泳がせた。


「……どうしたんだい、アキト」


「い、いいい、いや、別に、動揺なんて、してないから……」


 と、動揺しながら言う。


「それなら、別に構わないが……この時間なら、師匠はこの中にいるはずだ。ついてきてくれ」


 仕方がない。

 僕はフェリシアと目配せをして、ティノの後に続いた。


「——確か、あの部屋だったか……ちょっと見てくるから、二人はここで待ってて」


 治安維持協会の中。

 ロビーに連れてこられると、ティノは右端にある部屋に行ってしまった。


「ねぇ、フェリシア。ティノの師匠って、どんな人だと思う?」


 特にすることもないので、聞いてみる。


「検討もつかないわ。だけど、神聖力の使い方を知ってるってことは、上位種なのは間違いないと思う」


「なるほど」


 確かに、言われてみればその通りである。


 ——しかし、上位種。

 上位種である。


 僕は周りを見渡した。

 たちまち返ってくる、獣人たちの非難の視線。


 僕は萎縮した。


 こんな、上位の存在が下位の存在を嫌う世界。

 果たして、こんな場所に上位種がいれば、その師匠とやらが一つも二つも変わっている変人だということは、もはや決したも同然である。


 部屋の中から、微かに音が聞こえてくる。

 僕は、ヒントを得るように、その音に耳を澄ませた。


「——師匠、例の人を連れてきたよ」


「あぁ? なんだ、もうきたのか。私は仕事の受注で忙しいのだが……」


「師匠、そんなことしてる場合じゃないよ」


 ティノの声と、もう一人、聞き覚えのあるこえだ。


 どこか幼くて、無駄に明るくて、よく通る。


 しばらくすると、話し声が近づいて、ドアが開いた。

 中から、ティノが出てくる。


「待たせたね、二人とも。紹介するよ」


 やがて、その人は姿を現す。


 僕は、目を見開いた。


 頭に生える、一対の角。

 丸っこい、綺麗な水色の瞳。

 そして、幼さと高郎さを兼ね備えた童顔。


 見覚えがある、なんてものじゃない。


「この人が、僕の師匠——イリスだ」


 目が、合った。

 確かに、合った。


 彼女は、やっぱり、目を見開いた。

 僕よりも、大きく。


 そして、互いに指を指し合う。

 次に出てくる言葉は、決まったようなものだった。


「「え、えええええええ!?」」

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