第22話 死線

 ——入ってくる。


 彼の記憶が、彼の想いが。


 ——出ていく。


 私の痛みが、私の苦しみが。


 契約による、傷の身代わり。

 【改造人間】に神聖力を奪い取られ、ビビ割れかけていた魂の痛みが、どんどん和らいでいく。


 癒しのような感覚に、フェリシアは酔いしれた。


 同時に、彼の意識が己の内側に入り込んでくる。


 契約の本質とは、契約者同士の意識共鳴。

 互いが互いに干渉しあい、一つになっていく。


 ——フェリシア、契約を結ぶのなら、本能が惹かれた時、心に決めた者としなさい。


 それは、いつだったか、精霊の長に与えられた言伝。


 果たして、彼が心に決まった存在かは、断言できない。

 しかし、今は、こうするほかなかった。


 体が熱気を上げるほどの熱さ。

 彼と共鳴し合い、脳内は加熱の一途を辿る。


 一体化する。

 さらに、深みへ、意識は融合し合う。


 完全な極限状態。

 それが、フェリシアとアキトの意識を一つにし、共鳴を加速させていく。


 止まらない。

 瞳孔が揺れ動いて、自我が吹き飛んでしまいそうなほどに。


 目に映る、アキトの背中。

 無意識内にそれを追って、フェリシアは呟いた。


「アキト……」




 限界が近い。


 流血が止まらない体を抑えて、アキトは思考をめぐらせる。


 もう、痛覚はすでにイカれた。

 何も感じない。


 視界は、意識を少し手放せば、一瞬で暗転する。

 かろうじて、気合いで繋いでいる状態。


「図に乗るなよ、反逆者が……!」


 直後、ジャレッドの腕から機械仕掛けの脚が伸びた。

 それらの先端には——無数の銃口。


 間髪入れずに、銃声が鳴り響いた。


 空を撃ち抜く銃弾の数々。

 アキトは倒れるように地面を転がって、それを回避する。


 一番の問題点。

 それが、この乱射される銃弾だ。


 完全にこれを封じない限り、ティノたちは確実な安全を保証されない。


 逃がすためには、抑え込むしかない……!


 アキトは駆けた。

 姿勢を限界まで低めて、銃弾の射線を切る。


 狙いは——足元。

 なりふり構わず、飛び込んだ。


 ジャレッドはそれに合わせて弾丸を打ち込む。


 しかし、アキトは更に加速した。

 【改造人間】ですら認識できない程の速さで。


 掴んだ。

 足元を、そのまま肩に抱いて押し切る。


「グッ!?」


 ジャレッドは瞬く間に体勢を崩し、地面を転がった。


 慌てて体を起こそうにも、すでに軍配は上がっている。


 アキトは振り返り、足を振り下ろした。

 ジャレッドの顔面目掛けて。


「——っ!」

 

 鉄の音がした。

 足元から、硬い感触が伝わってくる。


「この、圧倒的な力……まさか、契約を交わしたか……」

 

 震える手で、ジャレッドはアキトの足を掴む。

 

 そんな抵抗も虚しく、布越しに、顔がギリギリと音を立てて潰されていく。


「同胞よ、なぜ、このような真似をしたのです……! 精霊に体を開け渡すなど、人間としての恥を知らないのですか……!」


「そんなもの、どうでもいい。僕は、こうするべきなんだ」


 恥など知らない。

 意思など持たない。


 これは、弱者としての責務を全うする行為なのだ。


「ならば、なぜわざわざ貴方が前に出て来たというのです! 契約したのなら、精霊は少なからず傷を癒やされているはず! だというのに、貴方が血反吐を吐いてまで出しゃばる理由は何なのですか!」


「お前は、不意打ちとはいえフェリシアを無力化した。精霊に対して、相当な研究と対策を積み重ねているはずだ」


 ジャレッドの顔面を一際強く押しつぶす。


 それに合わせて脚を握る手元に力が加わると、そこからピンク色の液体が入ったビンが落ちてきた。


 床に、液体が散らばる。

 鼻腔を甘美な匂いが突いた。


「残念だ。それは人間ぼくには効かない」


 絶対に、油断も隙も与えない。


 必ず、フェリシアとティノを逃してみせる。

 例え、今ここで力尽きようとも。


 傷つくのは、僕だけでいい。

 

「我々人間は、無限にも思えるほど長い時間、苦渋を飲まされてきた……! 我々は、成さなければならない! 上位種への報復を、成さなければならないのです!」


 ジャレッドが、吠えた。


 瞬間、アキトの体から力が抜ける。


「……ぇ?」


 投げ飛ばされる。


 体ごと、宙に浮く。

 地面に転がった。


「神聖力を、吸い取られた……?」


「えぇ、その通りです」


 ジャレッドは、息も絶え絶えに答えた。


 アキトは歯を噛み締めた。

 そして立ちあがる。


 いや——


「あ、れ……?」


 動かない。


 手も、足も、腕も。

 まるで、意識を失ったかのように、ピクリとも動かせない。


「ふ、フハハッ! そうか、が来たか!」


 ジャレッドの言葉は、正しかった。

 否定のしようがなかった。


 アキトの体は、限界を迎えた。


 【機械人間】を六体同時に相手し、壊滅させるという大立ち回り。

 ただでさえ戦闘力のないアキトが、フェリシアの負傷を肩代わりし、神聖力を無理やり振り回して戦えば、あっという間に肉体が崩壊するのは分かりきったことだった。


 ジャレッドは銃を向ける。


 無慈悲にも、確実に。

 頭に、銃口を突きつける。


 ——死ぬのか、僕は。


 アキトは、脳内でどこか悟っていた。


 ゆっくりと流れ行く時間。

 虚な目で虚空を眺める。


 焦点が合わない。

 もう、前も見えない。


 だけど、少なくとも、逃げるくらいの時間は作れたはずだ。


 ジャレッドは、意識を完全に引き付けられている。

 気配を隠せば、抜け出すことはできる。


 なら、良かった。

 僕は、僕の使命を果たすことができた、と。


 目を閉じれば、覚悟ができた。


 ——しかし。


「アキト!」


 声が聞こえた。


 自分を呼ぶ声だ。


「……ぇ?」


 少女が、声を張り上げる。

 まるで、あちら側に行こうとする自分を、引き留めようとするかのように。


 目を開けた。


 そうすれば、視界の先に映る、白髪の少女。


 何故。どうして。

 疑問が脳内を埋め尽くす。


 せっかく、時間を稼いだのに——


「死ね」


 宣告を告げるように、声が響く。


 やがて、命を散らそうと銃弾の放たれる音が、人生の幕引きとなる、はずだった。


「そこから、どいて……!」


 吹き飛ぶ。

 文字通り、ジャレッドの体躯が、飛ばされる。


「フェリシア……!」


「アキト、逃げるよ!」


 手を伸ばし、掴まれる。


 フェリシアは、懸命にアキトの体を持ち上げ、上体を起こした。


「ダメだ、フェリシア……僕に構ってる場合じゃない」


「私だって、すぐに逃げ出したかった。でも、そんな伝えられたら、放っておける訳ない……!」

 

 フェリシアは頬を上気させていた。


 魂で感じ取った、彼女の感情。

 それは、彼女の行動を納得させるほど、大きなものだった。


 でも、させてやるわけにはいかない。


「フェリシアに、僕なんかを救わせるわけには、いかないんだ……!」


「黙って。貴方は私の奴隷。奴隷は主人の命令に従うの」


 口答えできない。

 反対する言葉を、放つことさえ許されない。


 契約の力で、僕は彼女の言葉に、全て従うしかない。


「早く、私の体に捕まって——」


 直後、銃声が鳴る。

 地面が穿たれ、土が散らばった。


「ジャレッド……」


「行かせません……絶対に、逃がしませんよ……!」


 乱射。

 四方八方に、銃弾が飛ぶ。


 もはや、なりふりなど構う余裕すらなかった。


 しかし、弾丸は、フェリシアの体をすり抜ける。

 触れることすら、叶わない。


 ジャレッドは舌を打った。


「もうそこまで回復していたか……!」


 フェリシアは、アキトの手を握る。


 力が、契約を通して流れ込んでくる。

 

 ——これで、少しだけ体を動かせる。


「恥も秩序もない蛮族が……」


 ジャレッドは、手を握りしめた。

 その間から、液体が滴る。


 アキトは、言葉を発しようとした。


 少女の名を、呼ぼうとした。


「……ごぇっ!?」


 呼ぼうとして、代わりに、血反吐が出てきた。


 喉に溜まっていた血液が、地面に吐瀉物のように散らばる。


「アキト——!」


 フェリシアの注意が逸れる。


 ジャレッドは笑みを浮かべた。

 チャンスを見つけたと、その隠された顔の奥で。


 手元から放たれる液体。

 それは、宙を飛んで、フェリシアの体に降りかかった。


「——っ!」


 反射的に、身を固まらせる。

 液体は、地面に降り注いだ。


 そして、そこから強烈な香りを漂わせる。


 その香りは、精霊の意識を穢す。

 彼女の正気を侵す。


「フェリシア……!」


 アキトが気づいた時には、すでに後の祭り。


 少女の目は焦点を失い、瞳は掠れていた。


 一瞬の油断が死を招くこの状況。

 惚けるとは、すなわち最大の致命行為。


 ジャレッドの腕が、フェリシアの肩を穿った。


 メリメリと音を立てて、触れ合う感触。


「〜〜〜〜〜〜〜〜あ〝」


 衝撃に、アキトは悶える。

 

 気を失ってしまいそうなほどの激痛。

 転換された痛みに、脳を揺さぶられる。


 そして、くらむ視界の中、アキトは見た。


 背後から忍び寄る、その少年の姿を。


「——そこだ」


 ずっと、待ち構えていた。

 【改造人間】が、隙を見せるその瞬間を。


 一閃。

 ティノがダガーナイフを振り下ろす。


 火花が散った。


「——剛鉄の体でも……関節なら、入る……!」


「なっ!?」


 押し切った。


 ジャレッドの片腕が、一瞬にして空を飛ぶ。


「捕まれ! アキト!」


 その声が、二人の意識を呼び戻す。


 想定外の襲撃に、ジャレッドは体を硬直させている。


 タイミングは——今しかない。


 ティノは手を伸ばした。

 アキトは、後ろめたい気持ちを抑え、それを掴む。


 グッと引き寄せられ、肩に乗せられた。


「気をつけろ! 衝撃が来るぞ!」


 瞬間、ドン、とジャレッドの元で爆弾が爆破した。


 爆風に背中を押されるようにして、その場を離脱する。


「……大金叩いて買った特製の爆弾なんだ、せめて砂埃で視界を塞ぐくらいしてくれよ……!」


 どうして……。


 その疑問を、言葉にすらできない。


 どうして、僕なんかを助けるのか。


 まるで、理解できない。


 荒い息を立てて、アキトを背負ったティノとフェリシアは、洞窟の出口に踏み込んだ。

 

 ——それでも、救われたという事実は、揺るがない。

 僕は、生き残ったのだ。


 ==========


 それから、幾つもの道を歩き続けた気がする。


 迷路のように入り組んだ道を進み続けて、渓谷からの出口を探す。


 僕は、終始ティノの体に支えられていた。

 もはや、立つための力すら残されていなかった。


 ジャレッドは後を追ってこない。


 大きな傷を負ったのは確かだろう。

 しかし、それが致命傷になったかはわからない。


 きっと、また奴は追ってくるのかもしれない。

 そして、今回と同様に追い詰められるかもしれない。


 しかし、少なくとも、今は危機を切り抜けた。


 その事実を確信した途端、僕は急激な安堵感に襲われた。


 視界の先に、光か見える。


「——キト! 外だ……!」


 ティノが、何か言っているような気がした。


 しかし、もう何もできない。

 僕は、力尽きてしまった。


 ゆっくりと、瞼が落ちる。


 そうして、僕は意識を手放した。

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