第21話 世界で一番生きる価値の無い人間

 思えば、僕に存在意義なんてなかった。


 自分で選び取ることのできない、ただの傀儡。

 人に向けた愛を跳ね除けられるのが怖くなってしまったばかりに、常識に縋りついた弱者。


 ——生きてる価値、ないんじゃないの?


 その言葉が、今でも胸の奥に突き刺さって抜けない。


 そう。僕には、生きている価値が無い。

 死んでいるのと同じ。


 僕は、世界で一番生きる価値の無い人間。


「フェリシア、ティノ。僕が前に出て、改造人間を引きつける。その間に、逃げてくれ」


 僕の言葉に、反対の意見はなかった。


 そう、これが正解。

 これが、最適解。


 最初から、決まりきっていたこと。


 何事も、弱者が犠牲になればいい。

 

 だから——



 衝撃。

 それは、地面を揺らし、砂埃を舞い上がらせる。


 ジャレッドは、違和感を覚えた。


 そこはかとない、違和感である。


 忍び寄る、異様な気配。

 喉元に出かかった、撤退という文字。


 しかし、ジャレッドは動かなかった。

 警戒するでも、引き下がるでもなく。

 その違和感の正体を、垣間見ようとした。


 瞬間。

 風が吹いた。


 撫ぜるように、ただ無造作に、空気が揺らぐ。


「——っ!」


 それは、奇襲。

 窮鼠が猫に噛み付くような、予想外の一撃。


 そして、明確に敵の肉を削ぐ一撃。


「何が起きた……!」


 衝突。

 影から飛び出したなにかが、改造人間の一人を吹き飛ばした。


 悲鳴も上げさせぬ間に、穿たれた一瞬の斬撃。


 ジャレッドは、一歩足を引いた。


 そして、目にする。


 地面に俯き、佇む青年を。


「お前は、誰だ……」


 その言葉は、至極的に背反していた。


 その黒い髪も、矮小な体つきも、卑屈な佇まいも。

 全て、自分が探していた、人間の容姿そのものだった。


 だというのに、ジャレッドは、首を振った。

 あれは、別人だ。

 そう、己の目が告げた。


 だから、「お前は、誰である」と。

 その問いに、その青年は、顔を顰めた。


「……僕はアキト。野村アキト」


 どこまでも、惨めに。

 どこまでも、無惨に。

 どこまでも、卑屈に。


 アキトは、答えた。


「——世界一の、弱者だ」


 

 ==========


 

 ——痛い。


 己の体を蝕む激痛に、アキトは奥歯を噛んだ。


 フェリシアの手を握った瞬間、体に流れ込んできた情報の濁流。


 それは、無限の可能性を秘めた力であり、傷を肩代わりするための激痛であり、精霊と一体化するかのような、彼女の想いだった。


 一瞬で、悟りを開いたかのような感覚だった。

 

 空気が、地面が、人の呼吸する音が。

 全て、どこまでも感じ取れる。


 ——これが、上位種にのみ持つことが許された、神聖力の秘めた力。


 そして、その明瞭な感覚を凌駕するほどの、鮮烈な


 体を脱力感が襲う。


「あ〝っ……!」


 口元から血を吐き出して、アキトは膝をついた。


 命が、魂が削られる。

 彼女が負った傷の全てが、自分の体に転換される。


 これが、奴隷の定め。

 主人の傷を全て受け止める、契約の力。


「痛い……痛い、なぁ」


 単なる痛みじゃない。

 上位種である精霊の負担を、矮小な劣等種が受け止める。

 それは、人体の限界を越え、命にすら手をかける。


 アキトは、どこかで悟っていた。


 このままでいれば——死ぬ。


 でも、だから、なんだ。


 立ち上がる。

 立ち上がって、敵の前に塞がる。


 目から、鼻から、口から。

 穴という穴から、血が流れ出す。


「——覚悟しろ」


 それは、敵への絶対的な宣告だった。


 そして同時に、自分への誓いでもあった。


 ——加速するぞ。


 アキトは進んだ。

 痛みも、苦しみも振り払って。


 手に持つはナイフ一本。

 あとは無防備なこの身一つ。


 構うことはない。

 恐ることはない。


 真に恐るべきは、弱者としてすら使命を果たせないこと。


 駆け出した。

 走り出した。


 もう後戻りはできない。


 確かに、今この瞬間、戦いの火蓋は切って落とされた。




 空を切り裂く。

 ナイフ煌めきが、闇を照らした。


「接敵準備!」


 【改造人間】たちは、間も無く身構えた。


 数は六人。


 長身、四人。低身二人。

 男女はそれぞれ混合。


 一際大きく、舞台を率いるのが、その内の一人——ジャレッド。


 はじめに、二人の【改造人間】がアキトを挟み込むように飛びかかった。


 鮮やかに、正確に、それでいて巧妙に。


 体の一部を捧げ、機械に置き換えることで得た、正確無比な動作。

 それが、容赦無くアキトに降り注ぐ。


 ——見える。


 しかし、アキトは止まらない。


 明瞭な視界。

 全能感すら覚えるほど、澄んだ脳内。


 思考はいらない。

 戦略もいらない。


 流れ込んでくる力に任せて、体を動かす。


「——なっ!?」


 本能で、躱す。


 計算し尽くされた攻撃を、ギリギリで、それでも確実に避ける。


 【改造人間】は動揺した。

 その隙を、アキトは見過ごさない。


 ——全力を叩き込む。


 右手に、力を込める。

 狙いを引き絞り、弓を引くように腕をギリギリと振りかぶる。


「——っラァ!」


 放出。

 アキトが放った一撃は、【改造人間】の脇腹を貫通した。


 血が飛び散る。


 それは、【改造人間】が斬られて流したものであり、アキトの右腕の血管が破裂して出たものでもあった。


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」


 未だ、使い方も、その正体も分からない神聖力。


 それを無理やりフルに使った反動は、到底計り知れたものではなかった。


 【改造人間】が吹き飛ぶ。

 アキトが痛みに膝を折る。


 いや、折らない。

 まだ、折らせてやるわけにはいかない。


 アキトは跪きそうになる足を前に突き出し、踏み締めた。


「っあああああああああ!」


 地面を蹴って、宙を飛ぶ。

 同時に遠心力をつけて、背後の【改造人間】蹴を蹴り飛ばす。


 たった、一撃。

 矮小な、人間の一撃。


 しかし、そこに神聖力が加われば、破壊力は無限大に増加する。


 【改造人間】は、地面を転がされ、壁に衝突。

 動かなくなった。


「——っ」


 再び、襲いかかってくる激痛。

 視界が眩んだ。


 それでも、足りない。

 まだ、足りない。


 血がドクドクと流れてやまない右手を、強く握りしめる。


 ——お前は弱者だろう。


 世界で一番、生きる価値の無い人間だろう。


 それなら、価値のある存在を守れ。

 金髪の小人族も、白髪の精霊も。


 この世界で、誰かが傷つくのなら、誰かが死んでしまうのなら、それよりも先にお前が傷ついて死ね。


 本当は、頭では分かっていた。

 自分に生きる価値がないなんてこと。


 でも、心がそれを許してくれなかった。

 自分のことを無価値だと罵るたび、心臓のあたりが煩く泣き喚いて仕方がなかった。


 ただ、事実を言っているだけなのに。

 だから——

 

「黙れ」


 今ここで、黙らせる。


 自分は無価値な人間じゃないと喚く心を、行動を以てねじ伏せる。


 見上げる。

 そして、睨みつける。


 自分を阻む存在全てを。


「——さぁ、全力で死ぬぞ」


 瞬間、間髪入れずに【改造人間】が迫り来る。


 低身長の、女型。

 それが、巧みに体躯を操って、蹴撃を繰り出す。


 鼻先一ミリを、足先が掠めた。


 たまたまではない。

 計算され尽くされた曲芸でもない。


 それは、アキトの本能が選び取った、最低限の回避行動。


 全神経と、脊椎に駆け巡る神聖力。

 それが、不可能をいくらでも可能に変えていく。


 行き場を失い、宙に浮かぶ【改造人間】の脚。

 アキトは、それを掴み取った。


「——っ!?」


 握る。

 いや、握り潰す。


 ギリギリと、鉄のスリ潰れていく音がした。


 もっと。

 さらに、力を込める。


 もっと、もっと、もっと、もっと。


 やがて、臨界点にたどり着く。


 グシャ、と。

 【改造人間】の脚がひしゃげた。


「なっ……!?」


 【改造人間】は、その布の奥で、瞠目した。

 

 それでも、離さない。

 グシャグシャになって再起不能になった足を、大きく振り上げる。


 その小さな体躯は、いとも簡単に宙に持ち上がった。


 引き絞る。

 限界まで。


 一瞬の浮遊感の後、始まる落下。


 アキトは、【改造人間】を地面に叩きつけた。


 沈没する地面。

 伝播する衝撃。


 【改造人間】の意識は、一瞬にして刈り取られた。

 有無を言わせない、一発ノックアウトだ。


 脳が、震えた。

 体の奥の方が、震撼した。


 興奮、あるいは、高揚。

 アキトは、己の内に渦巻く力に、打ち震えた。


 もはや、体を蝕む痛みなど果てへと消える。

 負荷と負担に侵食される身体を、脳から溢れ出す快楽物質で掻き消す。


「——高揚感に、取り憑かれている……」


 ジャレッドは、まるで信じられない光景を目にしたかのように、呆然と呟いた。


「隊長、私が片付けます」


「ま、待て——」


 もはや、残り三人となった改造人間部隊。


 半壊滅的なこの状況で、その【改造人間】に撤退の文字はなかった。


「……シャルディ王国直属【改造人間】部隊一番隊隊員、ステイク。決して、不名誉のままお前を帰してやるわけにはいかない」


 重く、重心を置いて構える。


 それは、何年もの修行を積み、体の一部を取り払うという冷酷な心を持ち合わせることで、ようやく至ることのできる技の極地。


 空気が、静まる。

 集中力が、限界まで高まる。


「同胞よ、抵抗するというその選択、実に嘆かわしい」


 ステイクは、アキトを見つめた。


「——せいぜい、墓場すら選べなかったこと、後悔するがいい」


 踏み込んだ。

 凄まじい速度の前進。


 もはや、常人ではその一体すら目に止めることのできないほどの速さ。


 ステイクは、一瞬にしてアキトの間合いに入った。


 そして、繰り出す一撃。

 勝負は、もはや秒を刻むまでもなく決した。


「グあああああああああ!?」


 ナイフが、振るわれる。


 しなやかに、荒々しく。

 技も、技術もない素人の剣筋。


 しかし、それが、ステイク身体を一瞬にして細切れに切り裂いた。


 宙に血の華が咲き誇る。


 一瞬の間を置いて、血肉が床へと散らばる。


 それを目にも止めず、アキトはジャレッドへ刃先を向けた。

 

「……隊長、これは撤退するべきかと」


 手負いの猛獣。

 それは、命を賭してでもこちらを刈りにくる。


 もはや、ジャレッドは勘づいていた。


 今や、狩人はこちらではなく、向こう側であると。


 彼に、技術も経験もない。

 戦闘に置いて、才能も、実力も、皆無だ。


 しかし、御せない。

 こちらから繰り出す技術も経験も、正面から叩き潰される。


 それほど、上位種の力と、劣等種の力には大きな差があった。


 【改造人間】即座に撤退を判断し、踵を返す。

 足早に場を引く力。それも彼等が一部隊として高く評価される点だった。


「——逃さない」


 しかし、ナイフが飛んだ。


 神聖力を込めた刀身が、アキトの腕をしならせ、放たれる。


「グァ!?」


 飛翔したナイフが、【改造人間】の身体を貫く。

 そのまま刃先は体躯を貫通し、反対側の岩壁に突き刺さって止まった。


 ——残るは、一人。


 部隊長、ジャレッドのみ。


「これは、早々に撤退もさせてもらえなそうですね……」


 ジャレッドは、アキトを前にして、呻いた。

 対峙する二人。


 ジャレッドの手元を、汗が伝っては、地面に落ちた。

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