第20話 君の奴隷になる
夜が明けた。
朝日が、渓谷の底を照らし出す。
地面を踏み鳴らす音。
それは、無機質に、規則正しく前へ進む。
「——隊長、焚き火の跡です」
【改造人間】の一人が、ジャレッドに告げる。
「どうやら、標的はここで晩を過ごしたようですね」
しゃがみ込んで、灰になった燃えクズを掴み取る。
「——形跡からして……三人。どうやら、あの人間と小人は、しぶとく生き残っているようだ」
ジャレッドは立ち上がって、辺りを見回す。
「隊長、どうなさいますか」
「計画に変更は無しです。むしろ、三人と標的のまとが大きければ、追跡する痕跡の手がかりもそれだけ増える。こちらにとって有利な盤面です」
標的は、まだこの近くにいるはず。
しかし、おそらく相手も単なる脳なしではない。
最低限、痕跡を誤魔化してくるだろう。
ならば、それを一つ一つ解き施していく。
焦らず、正確に、それでいて入念に。
多大なる執着の裏側にある、繊細な緻密さ。
それが、【改造人間】部隊の在り方だった。
「調査を続けましょう。このままなら——必ず追い詰められる」
==========
「こっちから、上に登れそうだ」
岩壁の間の隙間に手をかけ、ティノが中の様子を覗く。
どうやら、無理のない程度の坂になっていて、上へと続く道になっている様だ。
僕はティノに続いて、岩に手をかけた。
その後ろに、フェリシアが続く。
「——アキト君、今更だけど、背後に手負の精霊を連れておきながら、平然としていられる君の度胸が少し羨ましいよ」
上り坂を歩く最中、前を進むティノに小声で話しかけられた。
「なんですか、急に。ティノは、こういうシチュエーションに興奮するんじゃないんですか?」
「無秩序な苦しみは、ただただ乱雑で、粗雑な感情を生み出すだけだ。僕は、対処できるリスクを全て遠ざけて、それでも襲いかかってくる困難に興奮するんだ」
小難しいことのように語る。
つまりは、ティノは変態の中でもこだわりの強い変態ということらしい。
「でも、フェリシアは信用できると思いますよ」
「まさか。人を騙そうとする奴は、わざわざ怪しい言動で近づいてきたりしない。確かに彼女の境遇には同情するけど、だからと言って、急に態度を変えて襲いかかってこないとは限らない」
そんなものだろうか。
それでも、僕はフェリシアを疑う気にはなれなかった。
しばらくすると、大きく開けた場所に出た。
「……暗いな。松明をつけよう」
そう言うと、ティノは予め拾っておいた棒切れの先に雑草を巻きつけ、火をつけた。
暗がりが、炎に照らされる。
「分かれ道になってるみたいですね」
僕は先を眺めて呟いた。
いくつかの道に分かれている。
洞窟みたいだ。
「こうなったら、上に続く道を、地道に探すしかないね」
ティノは言った。
脳筋的思考だが、そうする他ない。
進む。
足を踏むたびに、コツコツと音が反響した。
分かれ道の前に立つ。
果たして、右から行くか、それともその逆か。
頭を悩ませたその時。
不意にフェリシアが言葉をこぼした。
「日の出から、だいたい四時間くらい……」
「ん?」
「小人族。足跡の偽装は……」
「ちゃんとしてある。最初だけだが、問題はないだろう」
ティノがそう言うと、フェリシアは頭を振った。
「それだけだと、不十分。多分、いや、必ず追いつかれる」
その言葉に、しかしティノは眉を顰めた。
「じゃあ、いちいち立ち止まって、本当に追ってくるかもわからない敵さんのために手間をかけろと、そう言うのか? 残念ながら、信用の足りない君一人の言葉だけじゃ、僕は動くわけにはいかない」
はっきりと、言い切る。
フェリシアは、苦しそうな表情を見せて、顔をそらした。
「本当のことなの。お願いだから、信じて欲しい」
「信じて欲しいって……」
「私、どうしても、弟の犠牲を無駄にしたくない。あんな奴らに捕まりたくない。助けてよ、お願いだから……!」
手のひらをキュッと握って、視線を下げるフェリシア。
「ティノ……」
「わかってる。でも……」
その時、松明の火が揺れた。
まるで、来訪者の訪れを、感知するかのように。
微かな予感。
それが、神経を逆撫でる。
一瞬の間。
影が、駆け抜けた。
「——っ!」
破裂音。
松明が、弾けた。
「——誰だ!?」
「おやおや、これはみなさま、雁首を揃えて……」
やがて姿を現す、黒ずくめ。
「【改造人間】……!」
——ジャレッド。
一際大きく、存在を示す人間。
そいつが、闇の中、僕たちの前に立っていた。
「早速ですが、あなた方には、死んでいただきます」
そして、突き出した手。
「——伏せて!」
再び、破裂音。
「アキト君!」
「僕は大丈夫! それよりも早く奥に!」
僕は伏せた上体を起こして、足で地面を蹴った。
「——逃すな」
一度。さらにもう一度。
発砲の音が洞窟に響き渡った。
土を跳ねる銃弾。
舞い上がる砂塵。
僕はなりふり構わず前に突き進んだ。
「ハァっ、ハァ……アキト君、あれ一体何だったんだ!」
「あれは銃です! 当たりどころが悪ければ、僕なら一撃で死にます!」
あれは、相当にマズい代物だ。
ひょっとすれば、あっという間に三途の川を渡ることになりかねない。
だから、とにかく今は逃げる。
右へ、左へ。
分かれ道をどんどん進んでいく。
しかし、敵も追跡が早い。
距離は広がらず、一方的に追い詰められていく。
「——行き止まり……」
やがて、進み続けていると、壁に阻まれた。
右を見ても、左を見ても、続く道は見当たらない。
「このまま、迎え打つしか無いのか……」
「——アキト君! ここに隠れるんだ!」
ティノが、横に逸れた小さな空間を指差した。
顔を見合わせる。
そして一つ頷くと、ティノが飛び込んだ。
僕とフェリシアも、意を決してそれに続く。
「……隊長、足音が途絶えました」
「——逃げるのを諦めましたか。ならば、こちらから探し出すまでです」
足音が、外側から近づいてくる。
【改造人間】部隊が、しらみ潰しで僕たちを探し始めた。
姿は、あちらからは見えていないが、穴から出ようとすれば、ほぼ確実に見つかる。
——やがて時間が経てば、この位置も暴かれることになる。
「ハハッ、アキト君、これは相当マズい状況になったみたいだ」
「言われなくても、わかりますよ」
——フェリシアの言っていたことは、本当だった。
それほど、あの【改造人間】の連中は、僕たちに執心しているらしい。
「人間さん! 小人さん! それに精霊さんも! いいかげん顔を見せてみたらどうですか? どうせ、我々の手から逃れることはできないのだから」
「——て、言ってますけど」
「従うわけないだろう。僕等は見つけ出されれば確実に殺される」
ティノは顔に冷や汗を浮かべて答えた。
じゃあ、どうするか。
「——提案がない、ということもないんだけど……」
「ティノ。一人囮になる、なんてこと言い出したりしませんよね?」
「よく僕の考えが分かったね」
分かる。
だって、僕もそう思ったから。
でも、それは却下だ。
「この案が気に入らない様だね」
「なしですよ。なし。囮って死ぬほど怖いんです」
「実体験でも?」
「あまり深く聞かないで欲しいです」
呻く。
計画は白紙。
盤面は窮地。
何か、逆転の一手は無いのか。
ぽっと出の、起死回生の蜘蛛の糸は。
——ないだろうな。
そう、確信したその時。
フェリシアが、立ち上がった。
「——私と、契約を結んで」
その目に映るは、決心か、観念か。
「契、約……?」
「——聞いたことがある。上位種が持つ神聖力を介して、種族間で契約を結ぶことができるという話……」
ティノは、疑わしい目でフェリシアを見た。
「契約は、上位種にだけ許された秘伝。契約を結べば、互いにそれぞれの力の一部を使うことができる様になるの」
互いにそれぞれの力を使える様になる。
それはつまり、僕がフェリシアと契約を結べば、僕が精霊の力を使える様になるということ。
序列第二位の、精霊の力。
フェリシアはほとんど力を失っているとはいえ、その一端でも僕が使える様になれば——
「アキト君。絆されるな。僕は、まだこの精霊を信用していない」
「じゃあ、一体何が問題——」
「契約の噂。僕はこうも聞いた。——契約で、奴隷が作れると」
ティノの言葉に、フェリシアは一瞬動揺を見せた。
「契約には、比重があるはずだ。対等なら、五対五。対面が有利なら、四対六。そしてその比重を極限まで偏らせた関係が、一対九の奴隷と主人」
「……」
「奴隷は、主人の傀儡となる。命令を受け入れ、跪かされ——主人の傷を全て肩代わりする」
ティノはフェリシアを睨んだ。
「精霊。君なら、僕たちをいとも容易く奴隷にして、その身に受けた傷を全部押し付け、一人のうのうと脱出することができるわけだ」
「しない! そんなこと、絶対にしない!」
そこには、保証も、担保も、裏付けもない。
ただ、少女の切実な訴えがあった。
「それに、君は今、力の大半を失っている。果たして、五対五なんて生ぬるい条件で、この状況を切り抜けられるのか?」
もしかしたらこれは、大きな損失の切り捨て無しに、解決できるような問題ではないのではないだろうか。
その言葉に、フェリシアは呻いた。
「——契約は、劣等種の僕たちには、あまりにも理解の及ばない概念だ。君の言葉一つで、いくらでも騙される得る」
「そ、それは……でも、信じて欲しくて……」
少女は、声を震わせた。
目尻に、涙を溜めて。
身体を力なく弱らせ、ゆっくりと跪く。
彼女は、頭を垂れた。
そして、手を差し出す。
「お願いだから、信じて。私が、奴隷になるから。この手を取るだけでいいの」
僕は、一瞬その手を掴みかけた。
しかし、それをティノの声が止める。
「ありえない。上位種が、劣等種の奴隷になるなんて、あり得るわけがない」
「それでも! それでも、信じてもらうことしかできない!」
「人間が獣人に石を投げつけられるように、劣等種も上位種に散々見下されてきた。そんなの、上位種のプライドが許すはずがない」
少女は、顔を絶望で歪めた。
「嫌。嫌なの。アイツらに捕まったら、アランの犠牲は、全部無駄になっちゃう。私は、あの子との約束を守らなくちゃいけないの」
「……」
「私を奴隷にしていいから! 私のこと、どれだけ傷つけてもいいから! ……助けてよ」
痛烈な叫びだった。
しかし、ティノもまた合理的だった。
「——私は、奴隷にすらなれないの?」
フェリシアは、ついに地面に手をついて嗚咽を漏らした。
「僕が、契約する」
「……ぇ?」
前に出て、フェリシアと目を合わせる。
「おい、アキト君、冗談だよな?」
「冗談じゃない。本気です」
「でも、この精霊はまだ信用できない」
「信用するかは、関係ないです」
僕は、ずっと考えていた。
この少女の行動が、今の状況を生み出した。
僕たちは、おおよそそれに巻き込まれた被害者。
疑い、非難することはあっても、進んで協力することはない。
でも、そんなことは、甚だ
この子は、本当に凄い。
こんな絶望を淵にしても、必死に抗い、生き残る道を叫び続けいている。
僕だったらどうだろう。
きっと、すぐに諦めて、投げ出しているはずだ。
だって、弱者だから。
誰よりも劣っている、常人の劣化だから。
果たして、僕という弱者の一存で、この子の訴えを無視していいのだろうか?
——否。そんなことはあり得ない。
僕と言う
「フェリシア。僕と、契約を結んで欲しい。比率は、僕が一で、君が九」
「……っ」
フェリシアは、目を見開いて、僕を見た。
「アキト君……そんな、気でも狂ったのか」
「ティノ、僕は、正気です」
言葉を返す。
「アキト君、だが——」
「時間がありません、始めましょう」
「上位種の負った傷を背負えば、君の体では到底受け止め切れるわけがない……! アキト君、今一度考え直すんだ!」
「それでも、やらないと——」
「アキト!」
ティノが、断固として言葉を放った。
「……今は、ヤケになるべき場面じゃない」
それでも、僕は譲らない。
譲るわけにはいかない。
「ティノ。これは常識的な判断だ。もし、これで死んでしまうなら、それでいい」
だから、これでいい。
フェリシアを向き、決意する。
見下ろすなんて、烏滸がましい。
だから、跪いて、頭を垂れて、言葉を放った。
「——僕が、君の奴隷になる」
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