第13話 小人族のティノ

 ——どうして。


 疑問。


 ——何故。


 困惑。


 それらに苛まれ、私は動く足を止めてしまう。


 呼吸が苦しい。

 全身が痛い。


 こんな屈辱的な思いをさせられるのは、生まれて初めてだった。


 走らなきゃ。

 逃げなきゃ、私はあいつらに囚われてしまう。


 足音が近づいてくる。

 複数だ。


 極限まで気配が消されているせいで、どこから迫ってきているのか察知できない。


「十字の入った紋章……」


 それには、見覚えがあった。


 追い詰められている。

 ジリジリと、そんな感覚が胸を蝕む。


「人間……人間族……!」


 間違いない。

 彼らは、世界が認める最弱。


 ありとあらゆる種族に敗北を喫してきた、忌むべき種族。


 ——だったはずなのに。


「いやだ、負けたくない……!」


 あんな奴らに、負けたくない。


 私は、痛む胸元を押さえつけて、再び走り出した。


 分かっていた。

 ほんとうは、すでに敗北していることを。


 最愛の弟は、私を庇って人間に囚われた。

 どんな扱いをされるかなんて、私には分かりようもない。


 だから、せめて。

 弟が繋いでくれたこの命だけは……。


 前を向く。

 そして、足を踏み出す。


 絶対に、死んでなんかやらない。


 ==========


「なるほどねぇ、要は、金がねぇってことか」


「はい、簡潔に言えば、その通りです」


 俯いて、ジャンの言葉に頷く。


 古びた木造建築の冒険者協会。

 そのロビーで、僕とジャンは向かい合っていた。


 なんと情けないことだろう。

 働くあてもない僕は、無一文で明日の命の保証もないのだ。


 そう告げると、ジャンは得意げに腕を組んだ。


「心配はいらねぇぜ、兄弟。ここは冒険者協会、クズの溜まり場さ。お前にぴったりの仕事が斡旋できると思うぜ?」

 

 心配でしかない。

 クズでも仕事が斡旋されるなんて、ロクな内容であるわけがない。


「できれば、冒険者以外で仕事をやりたいんですけど……」


「ほう……」


「僕みたいな人間でも受け入れてくれる所って、ありますかね……?」


「逆に聞くが、あると思うか?」


 ありませんね。

 はい、そうですね。

 

「大丈夫さ、やってみればその内慣れる」


 そんなものだろうか。

 僕の不安も顧みず、ジャンは自信ありげに胸を張った。

 

「まずは、依頼受付所から紹介しなきゃな」


 ジャンに連れられて、僕は数々の羊皮紙が貼り付けられているボードの前に立った。


「冒険者ってのは、要は、何でも屋みたいなものさ。人から受けた依頼を達成して、報酬を受け取る。単純なシステムだ」


 ボードに貼り付けられた紙には、様々な依頼内容が書かれている。


 ——迷子の猫を探してください。報酬は一〇〇〇タレト。

 ——街の清掃をお願いします。注:死ぬほど臭い。匂いに鈍感な人募集。

 ——街外れの森に異様な反応が見られた。調査をお願いしたい。


 ……街外れの森に、異様な反応?

 調査を、お願いしたい?


「なんですか、この依頼? 変な依頼ですね」


「変な依頼? どれどれ……いや、別に変じゃないだろう」


 ジャンは僕が指した羊皮紙を見て、首を傾げた。


「いや、でも、街外れの森に変な反応が見られたって、なんか抽象的すぎませんか?」


「そうだな。でも、ちゃんとした理由があったなら、この依頼は治安維持協会に回ってたと思うぜ」


 ジャンはあっけらかんと述べた。


「なんせ治安維持協会は、冒険者協会の数百倍信頼があるからな。いや待て、マイナス倍しても意味ないか……」


 なんだかすごい不安になることを呟いている。


 まぁいい。とジャンは呟くと、続けた。


「要は、ここに回ってくる依頼は、治安維持協会に断られて、仕方なく持ち込んだものばかりなんだ。単純に内容がしょうもなかったり、抽象的だったりな」


 なんとなく、冒険者協会の実情を理解できた気がする。


「ま、気張って受領するんだな。なんたって、冒険者協会はカスの集まり! 依頼だってカスがやること前提だ! きっと、お前にもできると思うぜ!」


 なんの根拠もなしに、ジャンは親指を立てる。


 仕方ない。

 僕は依頼用紙を受け取った。

 

「——募集人数は二人……。一枠はもうすでに埋まっているみたいですね」


「ふむ、そうみたいだな」


 小さく呟くと、ジャンは冒険者たちがだべっているテーブルの方を向いた。


「おーい! お前ら! この依頼を受けてた奴、誰かわかるか!」


 すると、中から一人が返事を返した。


「多分、ティノの奴じゃねぇか? 今朝、その依頼を興味深そうに見てたのを覚えてるぜ」


「ティノか! それなら安心だな」


 ジャンは僕の方を向くと言葉を続けた。


「ティノはいい奴なんだぜぇ! なんせ、面倒見が良くて、家事もできる! この前一緒に依頼を受けた時、野菜のスープをご馳走してもらったことがあるだが、ありゃ絶品だったぜ」


 どうやら、冒険者の中にも、いい人はいるらしい。


 と言うより、僕からすれば一般人よりこの人たちの方が好印象だ。

 きっと、根はいい人たちなのだろう。


 性格上、カスとかクズって呼ばれてしまうだけで……。


「けど、あいつ、たまーに変なこと言い始めるんだよなあ」


 たまに、変なことを言い始める?

 それは、果たして”いい人”なのだろうか。


 だんだん、心配になってきた。


 しかし、世界はそんな僕の心配なんて気にも留めない。

 僕はなし崩し的に、森の調査依頼を受注することになった。


「あっ、そうだ、アキト。ここを離れる前に、こいつを持っていきな」


 ジャンが一つの包みを投げる。

 僕はそれを地面に落ちる寸前でキャッチした。


「これは……」


「ナイフさ。しょうもない依頼が多いつっても、最低限身を守るアイテムは必要だからな」


 包みを解くと、一本の鞘が姿を現した。

 柄を引き抜けば、光を反射する銀色の刀身が見える。


 僕はゴクリと喉を鳴らした。


「いいんですか?」


「気にすんな。新人冒険者への、俺からの贈り物さ」


「……ありがとう、ございます」


 僕はナイフを握りしめて、冒険者協会を出た。


 先行きは困難だらけだが、このままでは資金不足で餓死してしまう。

 ——やるしか、ない。


 ==========


「集合場所は、このあたりのはずだけど……」


 ビクビクしながら来てみれば、そこは草木に囲まれた田舎チックな郊外。


 視界の奥には、古びた古屋がある。

 平和だ。


「——お前が、依頼受注者か」


 すると、どこからともなく声が聞こえた。


 振り返れば、初老の獣人がいた。

 顰めっ面の気難しそうな人である。


「あ、ど、どうも。野村秋斗と申します……。そちらが、依頼主のジャックさんで、間違いありませんか?」


 尋ねると、フンと鼻息で返される。


「……」


 どうやら、この人が依頼主で間違いないらしい。


「それで、もう一人はどこだ」


 言われてみれば、もう一人がいない。


 目線を動かしてみようとしたら、背後から焦り気味な足音が聞こえてきた。


「す、すみません! 遅れました!」


 どこか疲労感のある声と共に現れたのは、小柄な少年だった。


 金髪の短く切り揃えられた頭髪。

 背中に吊るしているのは、一本の槍。

 そしてなにより特筆するべきは、その圧倒的な小さな体。


「小人族……」


 小さく呟くと、汗をダラダラと流しながら走ってきた少年は、僕を見て口角を上げた。


「あっ! 貴方がもう一人のメンバーかな?」


「あ、はい。野村秋斗と申します……」

 

「アキト君だね、了解した。僕は見ての通り、小人族さ。小人族のティノ。よろしくね」


 ティノは、その緑がかった目を輝かせた。


 ちょっと眩しい。


「それで、そこの貴方が、依頼主のジャックさんですね。よろしくお願いします!」


「……あぁ、よろしく頼む。しかし——」


 ジャックさんは、もともと寄せぎみだった眉をさらに寄せると、疑問を吐露した。


「どうにも、疲労困憊しているように見えるのだが……」


 それは、僕も全く同感だ。

 側から見てもわかる。


 額から首元にかけてダラダラと流れ続ける、透明な汗。

 どこか紅潮した口元からは、荒い息が溢れている。


 明らかに、何か大仕事をしてきたばかりだ。

 見ているこっちが心配になってくる。


「あぁ、すみません、身だしなみも整えず。さっき修行してきたばっかりなものでして」


「し、修行……?」


 ジャックさんは、押されるように疑問を重ねた。


「えぇ、街の外周六周、槍の素振り一〇〇〇回、筋力鍛錬一式それぞれ二〇〇回ずつ。それを終わらせてから冒険者の依頼をこなすのが、僕の日課なんです」


 明らかに、ハードワークなんて範疇じゃない。

 どこか、脳がイカれているのではないだろうか。


 僕と同じ感想を抱いたのか、ジャックさんは心配そうにティノを見た。


「本当に、大丈夫、なのか……?」


「はい! ただの日課なので! むしろ仕事をやらせていただいて、こっちが感謝したいくらいです!」


 当たり前のように少年は答えた。


「そ、そうか」


 そう言われれば、そう返すほかない。


 ジャックさんは渋々頷いた。


「——しかし、獣人の国で、小人族と人間族に仕事を任せることになるとはな……」


 言われてみれば、その通りだ。


 序列第十一位の小人族と、十二位の人間族。

 最弱のペアである。


「ご安心ください! こう見えても、ある程度冒険者としての経験は積んできているので」


「構わないさ。依頼を受けてくれるだけで、お前たちは治安維持協会の輩より幾分か信頼できる」


 よほど治安維持協会に不満があるのか、ジャックさんは恨めしそうにそう言い切った。


「では、早速ですが、依頼の詳細を説明してもらえますか?」


 ティノがそう尋ねると、ジャックさんは重く頷いた。


「お前たちにやって欲しいのは、この先にある森の調査だ。ここらじゃ、ヘドロの森と呼ばれている」


 ヘドロの森。

 聞くからに、悪印象な名前だ。


「異変を感じたのは、大体二日前だったか……」


「どんな異変ですか?」


 ティノが問うと、ジャックさんは困ったように視線を下げた。


「どう言葉にしたらいいか、分からねえ。ただ、森が、異様にざわつきやがるんだ」


「森が、ざわつく……?」


 僕は首を傾げた。


「何か、とんでもない存在が、この森に入ってきた。草木が、そう俺に語りかけてくるんだ」


 抽象的すぎる。

 これじゃあ、治安維持協会が取り合わないのも納得だ。


 ジャックさんは続けて言った。

 

「それに、不審者も見かけた」


「不審者、と言いますと?」


「顔に十字の入った布をかぶってるやつだ。あまりにも不気味なもんだから、俺が不審者の届けを出したんだ」


 なるほど、この人が第一発見者か。


「——大体の事情はわかりました。とりあえず、周辺から調査を開始してみたいと思います」


「よろしく頼む」


 そう言うと、ジャックさんは重苦しい息を吐いた。

 どうやら、相当異変とやらに気をやられてしまっているらしい。


「じゃあ、行こうか。アキト君。僕が前を行くから、サポートは頼んだよ」


「わ、分かりました……」


 心配だ。

 願わくば、何も起こらず平和に解決してくれることを祈るしかない。


 僕は、重い足取りでティノの後を追った。

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