第7話 媚びうり大作戦

 ガラスの向こうに、夜景が見える。


 ここは、王国の中でも屈指の料亭。

 一級の食事処である。


 クラスの全員はハルクに導かれ、食事を振る舞われていた。


「う、うまい……!」


「なんだ、これ……見たことないけど、美味しい!」


 黄金の油を垂らす極上の肉。

 緑豊かで瑞々しい山菜。

 さらには彩り豊かな果物まで。

 

 ずっと食べ物にありつけずにいた生徒たちは、すっかり美食の虜になっていた。


「なんかよ、俺たち変なところに来させられて、よく分からない奴らの計画に巻き込まれちまったけどよ、案外あの王様? も悪いやつじゃないんじゃねぇか?」


 石田は口いっぱいに肉を詰め込んで、もごもごと呟いた。


「石田、単純すぎ。だけど、確かに美味しいものも食べさせてもらってるし、いい気分っていうのは間違いないかもね。ヒカルもそう思わない?」


 クラスの中心人物、黒井絵梨花は金木を向いた。


「確かに、エリカの言うことももっともだな。随分と厚い待遇だ。だけど、警戒は解かない方がいい。俺たちには知らないことが多すぎる」


「うん。わかってるよ。頼りにしてるからね、ヒカル」


 はにかむ黒井に、金木は微笑みで返した。


 そんな談笑に花を咲かせる傍らで、涼太は席を外していた。

 少し冷気が漂う廊下。

 人目を避けたその空間で、涼太はスマホに語りかけた。


「——経緯としてはそんな感じだ」


 相手は、スマホ越しに電話でつながっている、野村。


「なるほどね、なんとなくわかったよ。ラノベじゃよくある展開だな」


「ラノベは……俺はあまり読んだことがないが、把握できたならそれでいい」


 一通り話し終えた涼太は、一息ついた。


「——次は、お前が話す番だ、秋斗」


「わかった。って言っても、そんなに話すこともないけどな」


 それから、順番に野村は記憶を思い起こしながら言葉を選び始めた。


「まず初めに、僕は教室で寝てただろう?」


「そうだな。俺もそれは記憶に新しい」


「それから、気づいたら異世界にいた」


「あぁ」


「で、ドラゴンに襲われた」


「あぁ……ん?」


「それで、幼女に助けられた」


「……?」


「その幼女が龍神族で、俺は幼女に助けられたお礼として、獣魔の囮になった。簡潔に言えば、こんなところだな」


「いや、待て。言っていることが飲み込めない」


 涼太は頭を振って、手で押さえた。

 あまりに、内容が飛んでいた。

 だから、理解が及ばなかったのだ。


「とりあえず、ドラゴンに襲われたことに関しては、無事でよかった」


「うん、ありがとう」


 しかし、問題はここからである。


「龍神族の幼女に、助けられた……? てっきり、俺は龍神族なら人間を襲う側だと思ったんだが」


「あぁ、僕も涼太の話を聞きながら、全く同じことを思った」


 つまり、ここで発生するのは解釈の齟齬である。


 人間族において、最大の敵とされる、龍神族。

 それが、人間に協力的になっている。


 それが意味することは、単に涼太たちが印象操作を受けていると言うことだろうか。

 あるいは、そもそも涼太と野村の居る世界が異なるのか。


 思考が交錯する中、野村が口を開いた。


「——でも、僕は涼太の認識は合ってると思う。その幼女も言ってたけど、この世界で種族間の序列は相当重要な指標になってるみたいだ。だから、僕の置かれている状況は、異例中の異例かもしれない」


 それでもって、それぞれが別の異なる世界にいるのではないか、と言う考えは、すぐに確認することができた。


「お前が置かれている状況は、とりあえず分かった。ともかく今必要なのは情報だ。まずは、そっちの位置情報を送ってくれ。おそらく、その情報次第で、この事態の深刻さも変わってくる」


「分かった。今送る」


 そして、電波越しに野村の位置情報が届く。


「これ、は……」


「涼太……?」


 涼太は、絶句した。

 スマホに表示されている情報を目にして。


「秋斗。これは少し、状況が良くないみたいだ」


 そこに記されていたのは、野村と涼太の間にある距離。

 それは、数字にして約、三四〇〇Km。


 日本から海外まで、余裕で行ける距離だ。


 それでも、明確に距離が表示される以上、双方が別世界にいるという線はなくなる。


「すまない、秋斗。すぐに合流しに行くのは、少し無理があるみたいだ」


 そうすることができれば、野村の命の保障もまだ確保しやすかった。


 しかし、現状それを実行するのは現実的ではなくなってしまった。

 

 つまり、野村は、涼太と合流するまで、一人で生きていかなければならない。

 三四〇〇Kmと言う距離は、その事実を如実に示していた。


「秋斗、とりあえず、いくつかルールを決めよう」


 涼太は続けた。


「まず、連絡は必ず定期的にとる。出来れば毎日。連絡が取れない場合は、メールで知らせる。これが最優先だ」


「オーケー。把握した」


「それで、連絡をとる際は、できるだけ多くの情報を、できるだけ詳細に交換する。例えば、位置情報や、体の調子がこれにあたる」


 少しでも体調が悪ければ、それを逐一知らせる。

 常識が根底から裏返っている異世界が土俵である以上、ほんの少しの油断が命取りになりかねない。

 故に、自分の体周りは、細心の注意を払う。


「それから、少しでも命の危機を感じたら、全力で逃げろ」


 ——何がなんでも、生き残れ。


「涼太……」


 分かったよ、と。

 野村は電話越しに頷いた。


「その答えを聞けてよかった」


 最後に、もう一つ、と涼太は付け加えた。


「その、お前を助けたっていう、龍神族のことだが……」


「あぁ、その幼女なら、今僕の隣で寝てる」


「マジかよ……」


 完全に、当たり前かのように龍神族と言う存在が調和している。


 果たして、彼女は何を以て野村を助けたのか。

 単なる気まぐれか、あるいは、何か企があるのか。


 ともかく、ここでとる選択肢は、一つしかなかった。


「秋斗。お前の置かれている状況は、ピンチであり、チャンスでもある。今からいうことは、絶対に従ってくれ」


 涼太は語った。

 そして、野村は静かに、その使命を胸に刻んだ。


 ==========


 朝日が昇る。


 異世界にきて、初めての朝だ。


 僕は眠い目を瞬かせた。

 一睡もできなかった。

 獣魔が来るのが怖くて。


 芝生の感覚を、体全体に感じる。


「う、ぬぅ……もう朝か」


 正面から、気だるげな声が聞こえてくる。


 イリスは、その寝ぼけた眼を擦って、上半身を起こした。

 起床である。


 さぁ、僕の使命の、始まりだ。


「……人間よ、何をしている」


 怪訝な目で見られているのが、視線を向けずとも分かった。


「親愛なる龍神族のイリス様。これは日本の名物、土下座でございます」


「……はぁ」


 這いつくばって、地面を凝視する。

 これが、僕の使命。


「今日より、私野村はイリス様のお手伝いをさせていただくことを、心に決めました」


「う、うむ。なかなか? 悪くない心がけではない、か?」


 イリスは少し声を上擦らせて、腕を組んだ。


 悪くない調子だ。


「イリス様、お肩を揉ませていただきます」


「ほう、人間よ、気が利くではないか」


 幼女の方に手をかけながら、僕は昨日のやりとりを思い出した。


「——秋斗、お前は、その龍神族の幼女に、媚を売りつけろ。もしかしたら、助けてもらえるかもしれない」


「なるほど、良心に訴えかける作戦か」


「——成功すれば、お前の生存率は一気に上がる。ただ、逆にその幼女の気を損なうようなことがあれば……」


 涼太は、その先の言葉を口にしなかった。

 口にしなくても、互いにそれが何を意味するか、分かっていた。


 上機嫌に口角を上げて、なされるがままにされているイリス。

 その横顔を目に、俺は決心した。


 ——これから、媚びうり大作戦を、執行する。


 なお、機嫌を損ねたらその瞬間任務失敗だ。

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