デビューソングと夕ご飯

「それじゃあまたね、なぎさちゃん!」


「あ、ありがとう!・・・ありがとうございました。」


三毛猫プロダクションの玄関まで見送ってもらった凪沙は、つばさとその隣の藤堂にお辞儀した。


3時過ぎの光がプロダクションの窓に反射している。


こうしてつばさと向き合っていると、小学校のとき、友達の家を訪れたことを思い出す。


なんだか照れくさくなって、凪沙は目を伏せた。


・・・あれ?


ガラスのドアの奥で、誰かがこちらをみている気がした。


・・・気のせいかな。


夕日に照らされたガラスには、凪沙の姿がはっきりと映っている。

そのせいかもしれない。


「つばさちゃんはこれから、お仕事?」


「うん。今日はライブのお仕事があるんだ。」


「そっか。すごいなぁ。」


凪沙は目を輝かせて、「またね」をつばさに返した。


「ありがとうございました。」


藤堂に二度目のお礼を伝えると、二人に背を向ける。


柄にもなくうきうきしている。

浮かれるな、と自制しようにもしきれず、凪沙は駅までの途中、小声でつばさのデビューソングを歌っていた。


夢に向かってスタートを切って、という、王道アイドルもの。


自分にはまぶしすぎる歌詞だが、今なら少しは前向きになれる気がした。


(それにしてもつばさちゃん、かわいかったなあ・・・!)


話の内容が濃すぎて半ば頭から消えていたが、つばさは凪沙の一番の憧れなのだ。


一人になって落ち着くと、思い出されるのはつばさの立ち姿だった。


(つばさちゃんとこんなに話せるなんて、それだけでも夢みたい。)


ホームで電車を待って佇んで、凪沙はそっと目を瞑った。




凪沙が家に帰る頃には、あたりはかなり暗くなっていた。


玄関扉のすりガラスから漏れる光を見て、母の祥子がもう帰ってきていることに気づく。


トートバッグの底から鍵を引っ張り出し、鍵穴に差し込む。


ガチャッという音を聞きつけたのか、扉を開けると目の前に祥子が立っていた。


「おかえり、凪沙。遅かったじゃない。」


告げる声は、どこかとげとげしい。


「お母さん。」


部屋に直行しようとした凪沙に、すかさず祥子の制止が届く。


「先に手を洗って。もうすぐご飯だから、部屋に籠もらないでね。」


はあい、と微かに呟いて、凪沙は手洗いうがいを済ませてから部屋に入り、ベッドに腰掛けた。


かぶっていたキャップを脱ぎ、髪をほどくとほっとする。


少しためらった後、膝にのせたトートバッグから十和子にもらった書類を取り出した。


ご飯よ、出てきなさい。


そんな声が聞こえて、ゆっくりした足取りで部屋を出る。左手には書類。


「あの、ね、お母さん。」


台所で夕飯の仕上げをしている祥子に声を掛ける。顔をあげないまま、ん~?なに~?と返ってきた。


お箸並べてくれる?という言葉に頷きながら、凪沙はおずおずと切り出す。


「今日、みけプロに行ってきたの。」


「えぇ?」


顔を上げた祥子は、訝るように凪沙を見つめる。


「あの、みけプロっていうのは三毛猫プロダクションっていう事務所で、朝霧つばさちゃんとか浜みいちゃんとかが所属してるんだけど」


「てっきりコンビニでも行ったんだと思ってたわ。そういうときはちゃんと報告して。」


そう言って視線を落とし、流しに掛けてあったタオルで手を拭う。


「うん・・・。」


コップと箸を二人分、棚から取り出してキッチンの前のダイニングテーブルに置く。


「それでね、今度、つばさちゃんの一日マネージャーをやってみないかって。書類があるんだけど、サインしてくれる?」


そもそも、歌い手活動をしていることすら祥子には言っていない。


コラボの話が来て、とは到底切り出せなかった。


「ああ・・・そうなの。」


そこに置いておいて。後で見るから。

はっきりしない返事に肩を落とした凪沙に背を向けたまま、祥子はそう言った。


「わかった。ありがとう。」


祥子と向かい合って食事するのは久しぶりだった。


二ヶ月前に父の大輔が入院してから、祥子はずっと何かしら忙しそうにしている。


メニューは豆腐とわかめのみそ汁、ほうれん草のおひたし、オムレツ。


オムレツを頬張ると、ふわっとたまごの甘みが広がった。


・・・お母さんのお料理も、久しぶりかも。


「おいしい」


それを聞いた祥子の様子を窺う。


「そう。よかった。」


どう思っているのかは読み取れなかった。


口角は上がっているような、やっぱり無表情なような。


早く部屋に戻って、つばさちゃんの動画が見たいな。


そう、凪沙は思った。


せめて笑顔でいられたら空気を和らげられるだろうに、笑おうとしても心のどこかでストッパーがあるみたいだ。


「ごちそうさまでした。」


使った食器を食洗機に入れて、凪沙は部屋に戻った。


スマホを起動させて、つばさのアルバムをかける。


気分が落ち込んだときにはアルバムを聴くのがいい。シングルの勝負曲も、優しいスローテンポな曲も混じっている。


ベッドに寝転んで目をつむる。


心が軽くなっているのを感じて、一粒だけ涙がこぼれた。

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歌い手なぎさのアイドル活動!~推しに推されてアイドルになりました~ ひかり @hikari-kouduki

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