ささやかな星

「お仕事が終わった後すぐに来てくださったので、ご飯もまだですよね。なので少しでもと・・・」

「うれしいよ。確かにお腹が空いてて。途中でサービスエリアに寄ったときに食べようと思ってたんだ」

「そちらも行きましょう!せっかくだから色んな物を食べてみたいです」

間髪入れずに言う鈴音に幸寿はやや驚いた。

まるで今の鈴音は年齢相応の子供に見えたのだ。

幸寿が今回の旅行を提案したのは、確かにあのとき鈴音の過去の話を聞いたことが切っ掛けだった。

あの話を聞き、目の前の鈴音がまるで違う生き物になってしまったような気がしてしまい、訳もなく不安を感じたため、それを消したい。自分の知っていた鈴音との時間を取り戻したい。と言う思い。

また、見たことも会ったことも無いが、幸寿の中で大きな場所を占めるほど意識するようになってしまった康輔への嫉妬めいた感情。

自分には決して見せていない、そしてこれからも見せることは無いであろう姿・・・本来の「すず」と呼ばれていた姿。

それを見ていた男への嫉妬。

そして、これが一番大きなことだったが、鈴音に復讐や逃避では無い旅をさせてあげたかった。

物心ついた頃から稽古や鍛錬に明け暮れ、その後は幽閉の後、愛する人との最悪の形での別れ。

 それからは五郎丸は居たが家族や仲間と言うにはあまりに歪な関係。

鈴音には友人や家族といった信頼したり、愛情を受けたり与えたりしあえる関係性との時間が極度に欠落しているように感じた。

もちろん、鈴音にとって自分がその対象にふさわしいかは分からない。

だが、自惚れかもしれないがここまでの経緯を見る限り鈴音はある程度は心を開き、自分に好意を持ってくれているのでは無いか。

ならば、自分が彼に少しでも今までに得られなかった物を取り戻してあげられるのではないか?

そんな気持ちがあった。

そんな事をぼんやりと考えていると、急に頬に指先が触れるのを感じハッと我に返った。

「大丈夫です?難しい顔して」

「ああ、ごめん。ちょっと仕事の事を考えていて」

慌ててごまかしたが、鈴音は気づいて居ないようだった。

「仕事か・・・ドラマや本で見て色々想像するけど大変なんでしょうね」

「君だって立派に仕事してるじゃ無いか。あんな店を持って」

「あの店は趣味みたいな物です。昔、ある出来事が切っ掛けでで元の持ち主の女性から譲って頂いたんです。コーヒーセット一式とともに。だから元手もかかっていないし、採算度外視で出来ますし。本気でやってる人からすればお遊びです」

「でも、僕はあの店での時間が何よりも好きだよ」

鈴音は恥ずかしそうにフフッと笑った。

「私もあのお店に居る時が一番好きです。あのお店は憧れだったんです。まだこんな風になる前。まだ兄様に出会う前。外国の本を読んだことがあって、そこにカフェの描写があったんです。街中にある小さなお店。そこに居る女性店主。その生活やお店の佇まい、服装に私は夢中になりました。まるで自分がカフェで生きているかのように感じて」

鈴音は夢を見ているかのような口調で話した。

すでに高速に乗っていたため、窓の外には流れる光が川のように見えていたが、鈴音の目には異国のカフェが浮かんでいるのだろうか。

その後は鈴音は窓の外の光をじっと見つめていた。

それはまるで目の前の景色を片時も見逃さないように、と思っているかのようだった。

幸寿にとっては特別なところなどないただの高速のライトの羅列だが、鈴音にとっては新鮮なんだろうな、と思うと胸がチクリと痛んだ。

「そろそろサービスエリアだけど、寄ってもいいかな?」

邪魔をするようで申し訳ないな、と思いながら提案したが鈴音は何度も頷いた。

「もちろんです。楽しみだな」

「まだ目的地に着いてもいないのに、今からそれだと疲れちゃうよ」

「大丈夫。並の男性よりも体力には自信ありますので」

確かに。

過去の話を聞いた後ならすんなり納得できる。

サービスエリアでの鈴音は、まるで外国にでも来たかのように目を丸くしてキョロキョロしていたので、不思議に思って聞いてみた。

「こういうところに来るのって初めてなの?」

「はい。私や五郎丸は車を持っていないので。以前行きがかり上運転をしたことはありましたが、あれは突発のトラブルだったので・・・」

「先ほどのカフェを譲ってもらった話もだが、やはり二百年近くも生きていると様々な経験をしているんだね」

「でもドライブは初めてです」

そうぽつりと言うと、お土産売り場を熱心に見始めた。

ちょうど地元の作家によるハンドメイド展があったようで、一部にその作品が陳列されていたがそれに興味を引かれているようだった。

幸寿はそれらの作品に夢中になっている鈴音の横顔をじっと見つめた。

小ぶりだが形のよい唇に、伏し目がちな瞳に長いまつげは何回見ても掛け値なしの美しい少女のものだった。

会話の端々に知性も感じるし、育ちのせいか言動や振る舞いに品の良さもある。

本来なら何もせずとも幸せが、しかも最上級の物が約束されていたはずだったのが、人の血を吸い人目を避けて生活し、サービスエリアに目をキラキラさせている。

神様がいるとしたら、この子に何をさせたいのだろう?

そして彼はこれからどう生きていくのだろう?

鈴音はウイルスによって細胞の新陳代謝が極度に鈍っており、それが不老不死に近い状態を生んでいると言った。

だとすると彼はあとどのくらい生きるのだろうか?

その事実をどのように感じているのだろう?

そこまで考えたところでフッと目の前の光景に意識が戻った。

今は彼に楽しい時間を過ごしてもらうことだけを考えよう。

「それ気に入ったの?」

イヤリングをじっと見ていた鈴音は幸寿の言葉に小さく頷いた。

それはラメが入ったような赤いガラスの周囲に金の縁取りがあるものだった。

幸寿は無言でそれを手に取るとレジへ持って行った。

 そして会計を済ませると鈴音に渡した。

「・・・いいんですか」

申し訳なさそうに言う鈴音に幸寿は微笑んでいった。

「よく似合ってるよ」

「誰かから何かをもらったのは2回目です」

1回目はあの短刀なのだろう。鈴音にとって悪夢の象徴。

幸寿は何も言わずに鈴音の頭を軽く撫でた。

「君は普通の女の子として生きてもいいと思う」

鈴音は幸寿の手を強く握ると噛みしめるように言った。

「あなたが居てくれたらそうなれる気がする」

それは自分に言い聞かせているようだった。

食事を済ませた後車に戻る途中、幸寿は空を見上げた。

山の中に入っていることもあり、空にはいくつもの星が光っていた。

そのままゆっくりと歩きながら見ていると隣から小さい歌声が聞こえた。


星よりひそかに。雨よりやさしく。

あの娘はいつも歌ってる。


鈴音の歌は初めて聞いたが、非常にきれいな優しい歌声だった。


いつでも夢を。いつでも夢を。

はかない涙をうれしい涙に。

あの娘はかえる 歌声で。


「聞き入っちゃったよ。かなり歌い慣れてる」

心からそう感じしみじみと話す幸寿に、鈴音は恥ずかしそうに俯いた。

「人前で歌ったのは初めてです。一人の時は良く口ずさんでますが・・・」

「それは誰の歌?懐かしくてきれいな曲だね」

「『いつでも夢を』と言う歌で、橋幸夫と吉永小百合が歌ってました。1963年の映画の主題歌で、とてもその映画が好きだったのでつい覚えちゃって」

そこまで話すとややあって恥ずかしそうにぽつりと言った。

「歌詞が好きなんです」

「映画とか見るんだね」

驚いてついつぶやいた幸寿に鈴音は不満げに小さく舌を出した。

「私だって映画くらい見ます。本も好きだし。ドラマも。どれも自分がなりたい自分になれるじゃないですか。なりたい自分。行きたい世界」

「どんなジャンルが好きなの?」

「アクションやホラー以外なら何でも。どっちも子供だましみたいで。でも特に好きなのは恋愛物です」

「へえ・・・」

鈴音の大人びた印象からはかなり意外だったので、改めてしみじみと鈴音を見た。

「『ローマの休日』とか、何回ヘップバーンになる空想をしたか分かりません。『時代屋の女房』の夏目雅子さんもですが。胸がキュッとなって何とも暖かくなるのがいいんですよね」

話しながら眩しそうな笑顔になっていく鈴音をみて、幸寿もつられて笑顔になっていく。

「幸寿さんはどんなのが好きなんですか」

「僕はミステリーだな。トリックよりも犯人の心境を丁寧に描いた物が特に」

「だから、人の心に寄り添うのが上手なんですね」

「いやいや、からかわないでよ」

鈴音の言葉に体がカッと熱くなってしまい、慌てて言ったが鈴音はかまわず続けた。

「私はこれまで殻に覆われた自分しか見せてきませんでした。変わる前も後も。そうでなかったのは兄様だけ。本当の私なんて誰も興味なかったので。でも本当は誰かと他愛も無い話をしたかった。本や映画の話をしたかった。ご飯を食べて『おいしいね』と言いあったり、どこのお店に行こうか一緒に迷ったり。悩み事の相談をしたりされたり。誰かに本気で心配されたり怒られたりしたかった」

そこまで一気に話した後鈴音は突然幸寿の手を引っ張った。

「お腹が空いちゃいました」

その期待に満ちた目は空腹を満たすためだけではないように見えたのは自分の自惚れだろうか。

「どっちにする?」

返事の代わりに鈴音は幸寿の口に半ば強引に舌をねじ込んだ。

鈴音と舌を絡めながら、幸寿は以前ほど血の味を不快に思わなくなっているのを感じた。

度々行っているので慣れてきたのだろうか?

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