残り火
幸寿は目の前に居る鈴音を改めてじっと見た。
ランタンの灯りに照らされ、妖しいまでの美しさを見せている少年。
この人は本当に鈴音なのか?
鈴音はそんな幸寿の視線を受け、疲れたように溜息をついた。
「すいません。長く話しすぎましたね。すっかり夜中になっちゃったし」
「嫌、それは大丈夫。ただ、あまりに…」
「あまりに突拍子もない。ですか?そうですね。いきなりこんなお話聞かされてもお腹いっぱいですよね」
周囲はの暗闇は黒い絵の具で塗りつぶしたかのようだった。
見ていると目が包み込まれるような…
そこまで考えて幸寿は自分の語彙力のなさに内心歯噛みした。
康介と鈴音ならこの暗闇をどう表現したのだろう。
「幸運…この表現で当時の私を指すのは好みませんが、やはりそうだったのでしょう。あの時地下の小部屋にいたせいで、襲撃した村人も私に気付かなかったので。ただ、家族は…あの後屋敷の中を見てみたら父様の応接間で家族みんな死んでいました。結局、失敗作の化け物は最後の時まで家族ではありませんでした」
幸寿は無言で俯いていた。何を言えばいいんだろう。
だが、そんな気持ちの中でもまだ知りたいことは沢山あった。
「ここからは先程の初老の男性…五郎丸が聞かせてくれた話です。何しろ、あの時の一件で狂気の淵に落ちかけていた私が回復するまで、結局十年近い時を必要としたので」
十年…鈴音にとって康介の存在はそこまで大きかったのだ。
始めて自分を人として、女性として受け入れてくれた男。
鈴音にそれまで無かった「未来の希望」を
与えた男。
幸寿はそれを思うと堪らない焦燥感を感じた。
「あの一件は、結論から言うと五郎丸と言う初老の吸血鬼が元となって起こりました。五郎丸が村の外れに住み着いたのですが、彼も吸血鬼になって間がなく、万事に加減を知りませんでした。結果、神隠しや吸血鬼になり残った半分吸血鬼、半分死人のような存在。そんな存在を多数産み…そして恐怖に駆られた村人は互いに疑心暗鬼となり、そこに父様が彼らを強引に力で…自身のお付きの者たちで押さえつけようと。それによって、被害にあってない村人は金崎家がこれらの災厄のもとではないか、との妄想に囚われ。そして吸血鬼たちは自らの存在を脅かす邪魔者と捉え。そして屋敷に押し寄せた結果、皆殺しとなりました」
そこまで話すと鈴音は俯いた。
「可哀想な兄様。あの日、私を迎えに来て下さったのでしょうか?そこで恐らく襲われて…あの後、五郎丸に連れられて村を出たのですが、僅かに残る記憶では村は徘徊する吸血鬼が所々に居ました。『また近いうちに処分しなくては』五郎丸がそう呟いたのをハッキリ覚えています。それからは五郎丸が私の唯一の家族になりました。彼とともにあちこちを旅しました。あの日の出来事によって私も結局吸血鬼になってしまい、本来最も憎むべき相手と同じ生き物になってしまった。あの当時吸血鬼は一処には居られなかったので。安住の地を得ようとするとあのような事になる恐れがあるので」
「でも、じゃあ何故今は大丈夫なんだい?今は何かでコントロール出来るようになってると言う事?」
そう言いながら幸寿はふと有ることに気付いてゾッとした。
先程鈴音は村に大量の吸血鬼がいると言ってたが…
そして、鈴音はあの日の出来事で吸血鬼になったと言ってたが、噛まれてと言う事だろう。
ウイルスが体内に入ったことによって。
だとすれば自分も…
鈴音はそんな幸寿を見て、察したのかクスクスと笑って言った。
「こ心配無く。確かに吸血鬼から吸血鬼は作れますが、そのためには対象を死の一歩手前まで出血させた後に自らの体液を入れないと行けないんです。そして狂気から抜け出した後、私が行ったのは…復讐でした。村に居る吸血鬼達への。長い時をかけてこの村の吸血鬼は居なくなりました。そして、次に行ったのはこんな事になった吸血鬼の特性への復讐でした。自分の欲望をコントロール出来ずにいる限りは、周囲に
災厄を撒き散らすだけですから。これは吸血鬼の殲滅よりも時間を有しました。でも、実験を重ねて徐々に吸血鬼の特性の原因をつかみ、それがあるウイルスによるものだと気付きました」
ウイルス。あの時鈴音がチラッと言っていた言葉がふと浮かんだ。
「思い出して頂けました?そうです。あのときはああ言ったけど、私はこの特性がウイルスによるものだと知っていました。なので、これも実験によってワクチンを作ることが出来ました。ただ、年に数回定期的に接種しないと特性が暴れ出してしまうのですが…」
そこまで話を聞いていて、幸寿はふと脳裏にある疑問が過ぎった。
鈴音は実験と言っていたが、どのようにして行ったのだろう?
鈴音は唯一の家族は五郎丸だけになったと言っていたが。
動物を使ったのだろうか。
だが、それを聞くことは出来なかった。
代わりに最初の疑問を聞いた。
「その初老の男性…五郎丸さんかな。その人は今どうしてるの?」
その問いに鈴音は薄く微笑んだ。
それは幸寿が今まで見たことのないもの…例えるなら何かを手に入れたときのような、欲望に満ちた感情を抑制しようとしているときのようなものに見えた。
「幸寿さん。あなたはもうとっくに答えを知ってるのに。私への意地悪ですか?」
「えっ?」
「あの家で見たじゃありませんか。そして、彼は非常に実験に協力的でした。彼のお陰で吸血鬼の特性や短所について実に深く把握出来ました。その上、私の忠実な下僕にもなって下さったし」
鈴音は全く変わらない調子で話していた。
まるで、出来の悪い生徒に答えを説明するかのように。
幸寿は言葉もなく目の前の鈴音を見た。
鈴音は五郎丸を許してはいなかったのだ。
災厄の原因を自らの未熟さによって生み出した男を。
鈴音に心から詫び、肉親代わりになろうとしたが、鈴音は別の目的で共にいた。
「…そんな目で見ないで下さい。あなたにだけはそんな目をしてほしくない。言っておくと私の実験に協力したのは彼自身の意志です。彼は自らの存在を、呪っていました。そんな自分自身を使って呪われた存在である自分達をどうにか出来るなら。それが彼の願いでした。もちろん彼に恨みが無かったとはいいません。彼が村に来なければ…でも、彼は狂気に陥った私が彼を様々な目に合わせても決して離れませんでした。そして私の家族になろうとした。でも私は彼を受け入れられなかった。そんな私達が始めて心を通わせることが出来たのがあの実験でした。お互いに共通している敵…自らの存在に一矢報いることができる。その気持ちが私達をある意味家族にしたのです。そしてその実験を通して私は狂気から抜け出すことができた」
人体実験を通しての繋がり。
それは家族の絆と言うにはあまりに歪な物だったが、幸寿はその思いを脇に避けた。
二人の見てきたもの。
抱えてきたもの。
それを話を聞いただけの幸寿が理解など出切るはずがない。嫌、しては行けないのだ。
幸寿の沈黙を同意と取ったのでろう。
鈴音は軽く頭を下げた。
「有難うございます。理解しようとして下さって。それで充分です。彼…五郎丸は実験の結果みずからの意志ほほぼ無くなりました。決まった習慣で動き、決まった事を話す。さながらゼンマイ仕掛けの人形のように。でも私は彼が羨ましい。彼は自らの定めから開放された…少なくとも私にはそう見えました」
そこまで話すと鈴音は幸寿を改めてじっと見つめた。
「ここまでがこのお話の全てです。この村…だった場所は今や何もありません。ただ、この地下室だけは残っています。あの小窓も。でもそこには立ち入ることは出来ません。それは物理的にではなく私の心の問題なのですが」
ここには何もない。
幸寿はその言葉をそのまま受け取ることは出来なかった。
もちろん鈴音が嘘をついているとは思わない。
ただ、今の話を聞いた後だともしかしたら背後の暗闇から忌まわしい何かが現れるのではないか。
そして自分達の首を取るのではないか。
そう思えた。
そして、幸寿の脳裏に突然鈴音の姿が浮かんだ。
血にまみれて見たことのない誰かの首を持ち、村を駆けている姿が。
だが、そこに浮かぶ鈴音は泣いているように思えた。
もし、鈴音が女性として産まれていたなら。
五郎丸が村に来ず、康介によって小窓が壊されていたなら。
自分と鈴音は出逢わなかった。
だが、きっと鈴音は幸せにその人生を終えることが出来たのかもしれない。
平凡な旧家の娘として。
あるいは何処かの街の片隅で芸術家志望の青年とひっそりと暮し。
鈴音はもう救われることは無いのだろうか。
「怖いですか?」
突然ポツリと聞こえた声で、幸寿は我に返ってはっと顔を上げると、鈴音と目があった。
鈴音はその途端顔を伏せた。
「誰かに話したかったのかも知れない。私のことを。ただ、聞いて欲しかった。どうこうしてほしい訳ではなく、ただ聞いて欲しかった。私はここに居る。私のすべてを聞いてもらって。ごめんなさい。あなたならもしかしたら…と」
幸寿は返事の代わりに鈴音に近付き肩を抱いた。
「僕のことを君がどういう存在と思っているのか。それはどうでもいい。君に全て委ねる。でも僕にとっては君は金崎鈴音だ。他の何でもない」
その言葉が呼び水になったかのように、鈴音は肩を震わせて幸寿の胸に顔を飛び込ませた。
「私は化け物なんかじゃない…」
「分かってる。君は金崎鈴音だ」
鈴音は幸寿により強く抱きつくと、やがて顔を上げ言った。
「血が欲しいです。あなたの血が」
「もちろん」
そう言って幸寿は首を出したが鈴音は顔を振った。
「もう一つ血を吸うやり方があるんです」
そう言うと鈴音は微笑んだ。
先程と同じ、何かを抑えているような薄い笑み。
「口を開けてください」
幸寿は意味が分からず言われるままに口を開けた。
すると次の瞬間、鈴音が幸寿の口に唇を被せてきた。
突然の事に幸寿は混乱したが、鈴音は構わずそのままキスをした状態で幸寿の舌に吸い付き、そのまま舌に軽く噛み付いた。
鈴音が何をしようとしているのか、幸寿は理解した。
幸寿の舌から出る血を口吻した状態のまま鈴音は吸っていた。
やがて口を離すと、お互いに口が血まみれになっていた。
「これ…とても好きです。もっと」
ランタンの灯りに照らされた鈴音は恍惚とした表情を浮かべており、目は潤んでいた。
息も酷く荒くなっている。
そして、幸寿の返事を待たずにまた口吻をし、血を吸い始めた。
その合間にうわ言のように幸寿の名前を繰り返し呼んでいる。
幸寿も熱に浮かされたように鈴音の名前を繰り返した。
まるでお互いの存在を確かめ合うように。
そうしないとお互いが消えてしまうのでは無いかと思っているかのように。
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