終わりと始まり

 話を続ける鈴音を見ながら、幸寿は自分が康介になったような錯覚を覚えて頭がクラクラするような気がしていた。

 周囲は既に完全な暗闇になっており、目が慣れたせいか目の前の鈴音はボンヤリと認識できるが他は全く分からない。

 だが、鈴音の話に引き込まれており暗闇も殆ど気にならなかった。

 だが、鈴音が何故明かりを灯さないのだろうか?

「そろそろ明かりを点けてもいいんじゃないか」

「すいません。でも…ワガママを言いますがこの話が終わるまではこのままで」

「えっ…」

「今の私を見られたくないんです。この話をしている私を」

 その言葉に幸寿は何も言えなかった。

 これから鈴音と康介はどうなるんだろう。

 それが気になって先を聞きたかった事もあるのかも知れない。

「物事、始まりがあれば終わりがある、と言います。この両方に共通している物は何だと思います?」

「…いや、分からない」

「どちらも突然やってくることです」

 そう話す鈴音の瞳は驚くほど輝いていた。

 それは今まで見たことがないほどの、まるで溢れんばかりの様々な感情が含まれているような瞳だった。

 輪郭さえも朧気な暗闇の中で、鈴音の瞳の輝きだけが不気味に見えた。

「私が必死に守って来たこと。兄様との日々。本当の自分。それはある日呆気ないほど簡単に終わりました」

 幸寿は無言で続きを促した。

「ある月のとても奇麗だった夜。兄様に会うために買ったばかりの着物を来て紅をさしていました。こんな綺麗な月夜に兄様と過ごせる。それがとてもとても嬉しくて…その想像に夢中だったのですね。私は背後から近付く足音に気付きませんでした」

 幸寿の耳にも本当に聞こえてくる様だった。

 愛する人と会える喜びに頬を染めている鈴音。そして、近付くギシギシと軋む床板の音。

「いつもは屋敷を出るまで細心の注意を払っていました。でも、今まで一度も危険を感じた事はなく、何だかんだと安全に出ることが出来たので気が緩んでいたのでしょう。父様も屋敷の

者も夜になってからは私の時間でそれを邪魔するのは流石に気の毒だ、と配慮されていた。それに甘えていたところもあります。…その愚かさの代償はあまりに大きな物でした。背後の襖が開き、驚いて振り返った私が見たのは文字通り凍り付いたような表情の父様でした」

 鈴音は尚も話し続ける。それはまるで何かに取り憑かれた様だった。

「父様はあの神隠しに対してとうとう自ら出向こうとしていたのですが、突然私も連れて行こうと心変わりを起こし、呼びに来たのです。あの時の父様の表情。ふふっ、始めて見ました」

 鈴音は軽く笑うと続けた。

「呆然と突っ立っている私に父様は鬼の形相で近づくと、腕を掴んで文字通り引き摺って行きました。獣のような声で屋敷の者を呼びながら。私は何を話していたのか…ずっと『ごめんなさい』『許して』と言ってたような。そして屋敷の者を広間に集めると、泣き続けている私を何度も棒で打ち据えながら喚き散らしました。『コイツは失敗作だ』『私の人生はこのゴミのせいで無駄になった』と。ゴミ。失敗作。物心付いたときから自分の全てを跡取りになるために捧げた行き着く先がこれ。その時私の中で何かがまるで砂のようにサラサラと崩れ始めました。そして別の感情が芽生えてきました。物心付いてからずっと私を支配してきた人のあの怯えたような、信じられない物を見たような顔。私はついに全てが終わった事。兄様の事を考え恐怖を感じましたが、おかしな事ですがそれ以上にスッキリしていました。これで全てから開放される。父様からも、男児でいなくてはいけない自分からも。そしてこうも思いました。…ざまあみろ、と」

 そこで鈴音はさも可笑しくてたまらない、と言うように口を抑えてクスクスと笑いだし、それをしばらく続けた。

「何が跡取りよ。何が誰にも負けない強き男児よ。所詮田舎の集落で。たまたま先祖が挙げた手柄の論功行賞でもらっただけの小さな土地の地主風情がさ」

 そこで突然鈴音はいつの間にか手元に持っていた枝を近くの木に投げつけた。

 幸寿は見たことのない鈴音の様子にただ、呆然としていた。

 今が暗闇で良かったとも思った。

 もし明かりがあったら、自分は見てはいけない鈴音の表情を見てしまっていたかも知れない。 恐らく鈴音もそのために明かりをつけなかったのだろう。

「父様は元々屋敷の女中から前々から私の様子がおかしいことが耳に入っていたらしいのです。でも一笑に付していたようですが、あの晩わたしの姿を見たことで確信に変わったのでしょう。あの夜の広間の様子…まるで魔女裁判の光景のようでした。全ての人が私の敵。私をどう破滅させようかとしか思っていない。自分達の世界を維持するはずの唯一の存在がこんな形で裏切ったのだから。出来損ないは交換を。駄目になった部品は一刻も早く廃棄。そんな声なき声が聞こえてくるようでした。私はそんな水溜りのようになった悪意の中に沈められてましたが、同時に2つの考えに囚われてもいました。1つはこれで開放される、と言うもの。役に立たなくなった跡取りを家に置いておく意味はない。だからきっと自分はこの家を追い出される。そうなったら自分はやっと自由になれる。愛する人と共に生きられるかも知れない。そしてもう一つは兄様の事。もしかしたら私とのことがバレてしまうかも知れない。そうなったら兄様までどんな目に遭うか。きっと私より酷い仕打ちに合うかも…それは想像したくない事でした」

 そこまで言ったところで、鈴音は言葉を切り深く息をついた後に水を飲んだ。

 そして少しの間、沈黙が二人を包んだ。

「…もし、これ以上話したくないなら無理しなくても」

 幸寿がそこまで言ったところで鈴音は首を振った。

「大丈夫です。私が聞いてほしいんです。あなたに。何故だと思います?」

幸寿は黙って暗闇の中の鈴音を見た。

本当に分からないのもあったが、鈴音の口から

答えを聞きたかった。

 だが、鈴音は返事の代わりにバックパックから電池式のランタンを出して灯りを灯した。

 その灯りに浮かんだ鈴音を見て、幸寿は思わず息を呑んだ。

 男性と聞いていたはずなのに、そこに浮かぶ鈴音はあまりに美しかった。

 灯りの向こうから真っ直ぐ幸寿を見つめる鈴音は妖艶ささえも纏っているようだった。

「案外意地悪なんですね。でも…そうですね。あなたにはここまでするべきなんでしょうね。理由は、あの日。あなたが御家族をなくされた話をしてくれたあの時です。あの話をしたときの貴方の顔…何故かは分からないけど、兄様のように見えた。そして、私の事を受け入れてくれた時…それは確信に変わりました。神様か仏様かそれとも悪魔か。それは分からないけど、私にまた兄様を下さった。そう思えました」

「僕は…代用品かい」

「本当にすいません。でも嘘はつきたくありません。ただ…これは自惚れに過ぎるかも知れませんが、貴方はこれを聞いても私からは離れないと思ってます。だってこの場に…ここまで私と歩んで来てくれましたから。そう信じています。私はどんなことをしてもあなたをもう二度と離しません。もちろん後悔はさせません。色んな意味で」

 幸寿の目を真っ直ぐに、まるで射るように強く見つめている鈴音の瞳は光のせいか酷く熱を帯びている様に見えた。

 もう二度と。

 その言葉に幸寿は引っ掛かった。

 もしかしたら、今鈴音の中では自分と康介が入り混じっているのではないか?

「すいません。脱線が過ぎましたね。またお話しに戻ります。もちろん聞いてくれますよね?」

 幸寿は当然のように頷いた。

 悔しいが鈴音の言う通り、自分はここまで来てしまったのだ。

 いまさら何も知らなかった風に振る舞うことはありえなかった。

 鈴音は笑顔で頷くとまた話し始めた。

 自分達の周囲の時間も景色もがまた歪んでいくようだった。

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