私の姿

「私はさっきの話ではないですが、ただの人間なんです。人を殺したこともないですし。何より…あなたを殺せません」

 そこまで話した所で鈴音はホッと息をついて言った。

「かなりおしゃべりしちゃいましたね。そろそろ行きましょうか。暗くなる前に着きたいので」

 そう言うと鈴音は立ち上がって歩き始めた。

 幸寿も充分に休んだせいか、歩調はかなり軽くなっている。

 それから二十分程歩いただろうか。

 獣道はさらに続き、やがてもはや一人では方向感覚さえも怪しくなってくるような深い藪の中を進み始めるに至って、幸寿は今更ながら不安になって来た。

 本当に目的地に向かってるのか?

 そう念押ししようとした時。

 突然目の前が開けて、眼の前に広い盆地が見えた。

 それまでの景色との落差にしばし言葉を失った幸寿を鈴音は優しい目で見つめた。

「お疲れさまでした。ここが私がいつかご案内したかった所…私の生まれ育った里です」

「ここが…」

 途中から何となく予想はしていたものの、実際に聞くとやはり驚きを感じた。

 鈴音はこんな里山の出身だったのか。

「夕暮れになってきましたね。急ぎましょう」

 そう言うと鈴音は足早に目の前の小道を下っていった。

 それに続きながら周囲を見渡した。

 その里はかなり長い間放置されいたのだろう。

 殆どの家は完全に崩れており草木がビッシリとその上を覆っている。

 時々原型を留めている家もあるが、全面を蔦や木に包まれており、まるで草木が家の形に整形されたように見えた。

 所々に小さな道があるものの、それがなければ歩くことも躊躇うほど周囲は膝まで伸びた草で一杯だった。

「もう何年も来てないので、すぐに駄目になっちゃいますね」

 鈴音はため息混じりに言った。

「この里はこう見えても、当時はとても大きくて近隣ではかなり栄えていた方なんですよ。豊かな山の恵によって主に林業で栄えていた。そしてこの先に屋敷があります」

 そう言いながら歩いていくと、小高い丘があったがそこには木々が伸びているだけで何も無かった。

「ここが私の家でした」

 鈴音は丘に上がると、木々に覆われた中にある僅かな小道に入った。

 幸寿も後に続いたが、既に暗くなり始めている上に、周囲は空も見えないほどの木々に覆われているため不安が強くなる一方だった。

 だが、不思議と帰りたいと言う気持ちにはならなかった。

 鈴音は自分に深い所の秘密を教えてくれようとしている。

 その嬉しさが不安に勝っていたのだ。

 ここまで来たら最後まで見てみたい。

鈴音は突然立ち止まると、ナタを使い近くの草を払い始めた。

 やがて払い終わった後の地面にしゃがみこんで土を掴んだ。

 いや、土に埋もれていた取っ手だった。

 それを引き揚げると鈍い音がして周囲が盛り上がった。

 それはドアだったのだ。

 開け終わると鈴音は幸寿を手招きした。

 そこは人一人がようやく通れるような階段だった。

 これは地下倉庫だろうか。

「この中は四畳半ほどの部屋があります」

 鈴音はゾッとするほどの無表情だった。

「ここに2年間、私は閉じ込められていました。実の父親に」

「え、何…」

 幸寿はその言葉に適格な返答が出来ずにいた。

 こんな山奥の集落のこんな暗い部屋に。

 いや、当時はもちろんこんな状態では無かったのだろうが、それでも俄に理解し難い話だった。

 その反面、ここまで鈴音に関して理解し難い事ばかりだったので、驚きだけでなく脳の済では冷静に理由を聞き出さなくては、という判断をしている自分もいた。

「理由は…聞かせてくれるんだよね」

 ここまで自分を連れてきて、こんな物を見せているのだ。

 この期に及んでぐらかせる事は有り得ない。

 だが鈴音は無言でじっと幸寿を見ている。

 幸寿も鈴音の目をじっと見た。

 根比べのようにも感じたが、やがて鈴音は少し悲しそうな笑みを浮かべた。

「まさかあなたにここまで見せることになるなんて」

「あの部屋の事?」

「それもあるけど…」

 そう言うと鈴音は突然立ち上がった。

 だが次の行動に幸寿は思わず声を上げた。

 鈴音は幸寿をじっと見ると突然ジャケットのファスナーを下ろし静かに脱ぐと、次にワンピースのボタンを外し始め、肩から滑らせた。

「ちょっ…待った」

 だが鈴音は幸寿の言葉など聞こえていないように下着姿になるとそれらを脱ぎ始めた。

 思わず目を閉じる幸寿に鈴音の穏やかだが有無を言わせぬ声が聞こえた。

「目を開けて下さい」

 まるで暗示にかかったように目を開くとそこには一糸まとわぬ姿の鈴音がいた。

  それは夕闇の細く深い赤に照らされ、非現実的な美しさをみせていた。

 だが…それはイメージする少女の裸体ではなかった。

 幸寿はやっと言葉を文字通り無理に絞りだした。

「…男性」

 鈴音が頷きながらその言葉に見せた表情は泣いてるようにも笑ってるようにも見えた。

「それは…どうして」

「性同一性障害って聞いたことあります?」

「実際の性別と自覚している性別が異なる…」

「良くできました。百年以上前にそんな人間がいても不思議ではありませんよね?そして私はこの家…今はこの廃墟にしか存在しない金崎家の長男として産まれました。他は妹が二人というこの家において私は唯一の跡取り。それが、全ての始まりでした」

 そこで一旦言葉を切ると、鈴音は服を着ながら話し始めた。

「ここからは長くなるけどお付き合い下さい。何故、あなただったのか。それも含めて全てお話します」

 そう言うと鈴音は話し始めた。

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