第8話 鎌倉駅の前で(宮里咲楽)
結局、次の授業があるのでということで、横尾先生は急ぎ会議室を出て行った。まだ聞きたい事が山ほどあるのだが、授業と言われれば如何することも出来ない。
ただ、そう焦ることはない。
このミーティングはまた再来週も予定されている。
その時、また横尾先生とは会えるはずだ。それまでに、自分も色々と調べて何かを見つければ、横尾先生も重い口を開いてくれるかもしれない。
恐らく、あの表情は何か重大なことを知っているのではないだろうか…。
僕は、一度役所に戻ると次の訪問先である鎌倉駅に向かって歩いていた。
駅前にあるバス乗り場の案内がとてもわかりにくいそんな苦情が二、三寄せられた事も有り、僕がチェックすることになっていた。
「あら、こんにちはー」
突然呼びかけられ一瞬戸惑ったが、見知った顔…、それは、妙邦寺の受付をしているおばさんだった。
「いつも土日に来てもらって、ありがとう」
「いえいえ。写真を撮らせてもらってるんで」
「それにしても、思い出すわ〜」
「ん?何ですか?」
「いや、あのね、昔、私が、まだだいぶ若かった時、貴方と同じように妙邦寺に通っていた女性がいたのよ」
「えっ、もしかして、その人、色鉛筆で描く方ですか?」
「あら〜、正解よ。良くわかったわね。先生をしているって言ってたな。だから土日に良く来てくれたわ」
「やっぱり…。吉川さんだ…」
僕の言葉を聞いて驚いた表情をしたままおばさんは話しを続ける。
「そうそう。吉川さん。吉川観鈴さんだ。私も年ね〜。もう、すぐに忘れちゃうから…。彼女、とっても繊細な素敵な絵を描いていたな〜。それに、ちょっと恋をしたらしくて、それが絵にとても良い影響を与えてくれたって言ってたっけ。その年、確か、大きな賞をとったんじゃなかったかしら」
僕は、思いもよらない情報が手に入り挙動がおかしくなりそうだったが、なんとか平静を装い言葉を発する。
「今、その吉川さんはどちらにいるんでしょう?」
「う〜ん、東京とかじゃないのかしら!?あの日を境に妙邦寺には来なくなっちゃったから…」
「えっ、あの日って!?」
おばさんはちょっとした沈黙の後、小さく呟いた。
「あの日は、朝から妙邦寺にデッサンに来ていたハズなんだけど、恐らく私が受付を外した隙に帰っちゃったみたいで。それから、会えずじまいなのよね」
そうか、恐らく…、間違い無い。
彼女はその日に飛んだんだ。
「受賞したことおめでとうって言いたかったのだけど。でもね、黙っていなくなるような子ではないのにほんと不思議」
「彼女がいなくなった日は、いつですか!?」と僕が聞きかけた時、制服を着た女の子が駆け寄ってきた。
「お母さん、お待たせ」
「すご〜く待ったわよー」
「もう、ほんの少しじゃん!ふふっ」
どうやら娘さんの買い物を待っていた様子だ。
「では、またお寺で…。お待ちしています」
「えっ、あの、はい、…ありがとうごいます」
今は、とてもほじくり返して聞ける雰囲気では無かった。まぁ、この人とはいつも妙邦寺で会えるわけだし、聞くチャンスは何度でもあるだろう。
それにしても仲の良い親子なんだな。二人は腕を組んで小町通りの方へ向かって歩こうとした。
その時、そのおばさんが振り返りざまにこう言った。
「そういえば、吉川さん、快晴の日なのに、雨と雷が凄かったですよねなんて言っていたわ。そう、この前のあなたと同じように…」
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