第9話 受賞(吉川観鈴)

「会いたい…。会いたい…。会いたい…」


 私は一体、どうしちゃったんだろう。一度しか会ったことがない宮里さんに対して溢れる思いをもう隠すことが出来ていない。


「吉川さん、とっても綺麗になったよね」


 この前、横尾先生にそう揶揄われたっけ。でも、もう妙邦寺には行っては駄目よと言われ、私は次の行動を起こしにくくなっていた。

 

 横尾先生が言うには、タイムリープを何度か起こしてしまうと、もう元の世界には戻って来れない…というような話だった。


「あくまで、自分の考えだから正しくないかもしれないけど、でもね、一度神隠しにあった知佳ちゃんは、私と同じ小、中、そして高校に普通に通ってたのだけど、高二の頃にまた消えてしまったのよ。恐らく、知佳ちゃんは、自分の好奇心に逆らうことが出来なかったんだろうな。だから、また妙邦寺の洞窟に入って、恐らくまた跳んでしまったのかなって思うのよ。きっと、今は別の世界にいるんじゃないかなって…」


 横尾先生は、妙邦寺に時のズレがあって、何かのスイッチがきっかけでそのズレが表面に出てしまう。その時、そこにいた人を違う時空に移動させてしまうと考えてるようだった。だから、私に、「絶対にもう行っちゃ駄目。スケッチは別のお寺や神社でもできるでしょ?」と言い聞かせたのだ。


 だけど…、会いたい…。

 この気持ちはもうどうしようもなく大きなものになっていた。


- - - - - - - - - -


 

 「吉川さん〜、書留です」


 チャイムが押されると同時に、アパートのドアの向こうで配達員の声がした。

 私は、扉を開け、その黄色の大きな封筒を受け取ると、受領の印を送り状の四角い枠の中に押す。


 はやる気持ちを抑えて部屋の中に戻るとその黄色い封筒を小さな作業机の上に置き、じっと見つめたまま三回深呼吸をした。


 封筒を開ける…。


「貴殿の作品を『第62回三科展 三科賞』とする」


 到底、信じられなかった…。

 だって、三科賞って、一番大きな賞で、賞金300万で、デビューが約束される…、えっ!?私が!?……。


 信じられない私は、書類を何度も見返す。

 だが、住所も名前もあってるし、また同封されていた受賞した作品の写真は、間違い無く私が描いたものだった。


 妙邦寺の中腹にある小さな洞窟で雨宿りをしている男女。

 見ている先には、瑞々しく緑色に輝く苔の階段がある…。あの時、宮里さんと出会った時の情景をイメージして描いたものだった。

 

 宮里さんがあの日来ていたのは、白っぽいボタンダウン、その旨のポケットに猫らしきデザインのワンポイントが刺繍されていた。黒いジーンズに灰色に濃紺で「N」と大きく書かれたスニーカー…。


 あんなに短い間だったけど、この記憶は鮮明に心に残っている。

 「会いたい…。会いたい…。会いたい…。私、賞を取りましたよ。宮里さんがくれたあの日の一瞬を描いた作品で…」


 ポツリポツリと流れ落ちた涙は、あれだけ待ちわびた黄色の封筒を濡らしていく。

 また会えるだろうか?私が過去か未来に飛べばあの人に会えるのだろうか?そもそも、跳んだ先に、必ず宮里さんがいるのだろうか?それに、跳べば私はこの世界から消えてしまうのだろうか?


 分からないことばかりが幾十にも押し寄せてくる。


『折角大きな賞も取ったのに、夢だった画家にならなくてもいいの?たった一度しか会ってない男性の為に、全部を捨てるわけ!?きっとその内、宮里って人よりもいい男性に出会えるわよ、絶対にそんなことしたら後悔するからね…』


 もう一人の私が多分、正しい事を言っている…。

 そう、私も分かってる。そんなリスクを負う必要なんてないってことを…。

 だけど、分かっていても私の素の心はそれに従うつもりは全くないようだ…。



『明日は、朝から強い雨が降りそうです。折りたたみではなく大きな傘を持ってお出かけください』



 たまたまスイッチを入れたら天気予報はそう言っている。

 だが、私には、「明日は、雨と落雷があるでしょう。跳ぶつもりなのであれば、明日です。明日を逃せば暫くの間、そういう日はないでしょう」と聞こえたのだ。


「明日か、急がなきゃ…」


 私は、別の世界に行くために、何を持って行けばいいかを考える。

 そういえば、もしこの世界に戻ってこれないんだったら、それまでにおじいちゃんとおばあちゃんの墓参りに行くこと、そして、遠くに住む妹や一人で私を育ててくれたお母さんへの手紙を準備することもしなきゃいけない。私は、それらを思い付くままメモ用紙に書き出していった。







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