第5話 『さくら』という男性(吉川観鈴)

 それからというものの、私は、土日のいずれかに必ず妙邦寺を訪れるようになった。

 もう一度会いたい…、ただその強い思いが私を突き動かす。


 これまで、普通にただ平凡に生きて来た。

 高校の間もいいなと思った男子はいたけれど、告白するほど強い気持ちにはなれなかった。たった一度だけ、クラスの男子が私の事を好きみたいだよと友達に言われ変に意識をしてたけど、結局何も起きなかった。そう、私は誰が見てもとても平凡な女子だったに違いない。

 それに、ただでさえ一人の時間が多かったのに、高3になると美大に入るためデッサン教室に通うことになり、友達とわいわいするような時間も一切無くなってしまった。

 ただ、その甲斐もあって、志望の大学に合格はしたけれど、私は大事なものをどこかに忘れてしまったのではないだろうか?と悩む時間が増えていった…。

 そんな私が、大学を卒業して教員になるなんて…。こんな私に教えられる生徒はたまったものではないだろう。勿論、授業の為に毎日努力はしているけど、やはり私は『平凡』そのもの、それは今も昔も変わらないのだ。


 それなのに…。

 という男性とのたったあれだけの短い時間で、私は恐らく初めて深い恋に落ちてしまったようだ。

 

 会いたいな…。会いたい。

 強く願えば夢は叶うということを以前、何かの本で読んだことがある。

 今まで、そんなことあるわけないと思っていたけど、今はこんな誰が言ったか分からないことにも縋りたい気分だ…。



- - - - - - - - - - - -


「おはようございます」

「おはよう。今日は良い天気ね。最近デッサンはどう?」

「えぇ…。ちょっとスランプ…ですかね」

「なに言ってるのー。あんなに素敵な絵をいつも描いてるじゃない!」

「そ、そうですか!?」

「そうだよ。自信持って」

「ありがとう…。ございます」


 私より少し年上だろうか。

 いつもこの人の笑顔に救われる。


「はい。100円ね。そして、パンフ。って、もう必要ないかー。沢山持ってるもんね」

「いえ。頂いていきます。いつもありがとうございます」


 私は、チラシのようなパンフをカバンの中にそっと入れると本堂の方へと歩き出した。だが、本堂に着く前にさっきまであれだけ晴ていた空が薄暗くなっていく。そして、ぽつりぽつりと小さな雨が降って来た。

 傘を持ってきてなかった私は、受付の屋根の下で雨宿りをしようと走って戻って来た。だが、さっきまでいたあのお姉さんの姿は見えない。


 雨は、さっきよりも強さを増しているようだ。

 地面に落ちた雨粒が跳ねて私のスニーカーを濡らしている。


 私は、ふと目に入った受付のテーブルに置いてある『妙邦寺と皆さんを繋ぐ架け橋ノート NO.1』をぱらぱらと捲っていく。


 そう言えば、というあの男の人と初めて会った日、勢いに任せて恥ずかしいことをこのノートに書いたんだっけ…。


『さくらさん。急にいなくなったけど、大丈夫でしょうか?また、会えたらうれしいです。みすず』


 あった…。


『また、会えたらうれしいです』って、初めて会った人に対して書くなんて…、自分でも本当に驚いてしまう。私は自分で書いたその文字をもう一度目でなぞると顔を赤くした。


 ん?なんだろう。まるで見つからないようにというような薄くて細い筆跡の矢印が下の方に向かっている。


『みすずさん。咲楽(さくら)です。僕も君に会いたいと思っています。今、みすずさんがいるのは西暦何年ですか?僕は、…………………………………………………』


 咲楽さくらさんって書くんだ。綺麗な名前だな…。

 あの雨の日、私とほんの数分だけ同じ空間にいた咲楽さん…。

 あの人も私に会いたいと思ってくれているなんて…。こんなことがあるんだろうか…。嬉しい……。


 でも、西暦何年ですか?って、さくらさんは一体何を聞きたいのだろう?2003年って決まってるのに…。

 ノートには続きが書いてあるが、文字が掠れて判読が出来なかった。彼は、私に何を伝えようとしているのだろうか!?

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