第12話
晴れて自由の身になったレンは王宮に戻って身支度をし、王都を離れる――本来であればそうするはずが、途中で気が変わってある人の元へと訪れた。
しかし相手は彼女を見るなり、顔を引きずっているようではある意味、見に来た甲斐はあったと言えるだろう。
「ひ、久しぶり女よ……。げ、元気にしてたのか」
「お久しぶりです、陛下。はい、貴方様のお陰様ですこぶる元気ですよ」
「なんだお前、嫌味をしにでも来たのか」
「あらあら、挨拶を嫌味に聞こえてしまうだなんて。どうやら陛下は心身ともにお疲れのようですね」
あからさまに嫌な顔をする国王に対し、レンの表情は清々しい。いつも尻を追っかけてくるような人間が、逆に怖がるようになるとは。
どうやらあの夜から、相当怯えていたようだ。一国の王を相手に立場が逆転された気もしなくないが、これもこれで悪くない、とレンは結論を出す。
コホンと一つ咳払いを置いてから、玉座の肘掛けに頬杖をつく国王。
「それで何をしに来たんだ。お前はもうここに縛られていないんだから、わざわざ戻ってくることもなかろう」
「はい。その、助けて頂いたお礼をしようと思いまして」
レンの返答を聞いた国王は思わず顔を上げたほど、呆気に取られた。
「そんなことのために?」
「ええ、そうですが……。何が不都合なことでもありますでしょうか」
分からないとばかりに首を捻るレンに、彼ははあと大息をつく。
「こんなところまでそっくりだとは……」
「はい?」
「いや、なんでもない」
なんだろう、と内心で困惑の首を傾げても埒が明かない。さっさと用事を終わらせて離れよう。そう判断したレンは首を垂れた。
「助けて頂き、ありがとうございました。陛下」
「構わん。権力者という生き物は、往々にして民に嫌われ続ける運命だ。私の番が早く回ってきた。それだけのことさ」
「それでも感謝しています」
低頭のまま数秒間、様々なことはレンの脳裏を駆け巡った。
辛かった記憶、嬉しかった思い出。けれど振り返ってもどうしても疑問に思うことが一つ。レンは意を決してぶつけてみることにした。
「あの……どうしてわたしを助けたんですか。わたしが助かったことに陛下に何のメリットがあるとは思えません」
「助かったのに不満とか。全く、図々しいにも程がある」
降りかかった嫌味にレンは何一つ微動だにせず、腰を曲がったまま。答えを得るまで一歩も動かないという気概を感じ取れたのか、国王があからさまな溜息を吐き出した。
「既に一匹飼ってる身なんでね。もう一匹増えたところで何も変わらない。そう思わないかい?」
「……」
やはり悪趣味の人だ。
レンがそう結論付けるのに数秒も掛からなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
レンが謁見の間を出て凱旋通路を暫く歩いた頃、庭園で笑いさざめく嫁候補者たちの声を聞いて思わず立ち留まった。
一見すると、彼女たちは楽しそうに笑っているという印象を受けるが。国王のお気に入りが脱落した以上、誰もが必死に背伸びしてアピールしている。今頃水面下でバチバチやり合っていると思うと、対抗心よりも先に無気力になるのが必然的であろう。
「やはり、わたしには似合わないな……」
「レン様ーーー!!」
こちらを呼ぶ声が後方から物凄い勢いで駆けてくる。
振り返ると、衝突と似た激しめのハグを真正面から受け止め切れず。危うく足を滑らすところだったが、なんとか転ばずに済んだ。
「本当に……無事でよかったあああぁぁー!」
クリスの涙声にレンは内心で戸惑いつつも受け止める。本当に心配して大事に思ってくれるなんていつぶりだろうか。
いや、恐らくとっくに存在しているだろうとレンは結論を出す。でなければ、彼女の個人的な都合に自ら巻き込まれたりはしないはずだ。
「もうー、レン様が聖騎士と知り合ってたなんて聞いてませんよー。一人だけならまだしも、三人って……もしかしてレン様は、元貴族だったりして」
「うぐっ、そ、そんなことあるわけがないじゃないですかー」
当たらずとも遠からずな返答に一瞬ドキッとしたが、なんとか誤魔化しを絞り出せてホッとした。
「その……助けて頂いてありがとうございました、クリスさん」
「レン様がこうして無事でいてくださって本当に良かったです。本当に、頑張って絵を描いた甲斐がありました……」
胸に顔を埋められ、何とも言えぬこそばゆい気持ちがした。クリスの好意を素直に受け止めたいのに、長年人間不信所以でそれができずにいる。困惑の眉をひそめると、ふと僅かな力が込められる気がしてハッとなった。
「やはりあたしたち、もう会えないんでしょうか」
「ごめんなさい……」
流石にあんな出来事の後で悠長に王都に滞在する勇気は彼女の中にはない。元より離れるつもりだ。しかしいざ問われると、申し訳なさやら後ろめたさやらに良心が痛み、精々謝罪で濁すしかない。
「では」とクリスが前置き一つを挟んで、数歩後ろへと下がる。
「また、いつか」
「ええ……また、いつか」
ニッコリと微笑む彼女に、同様の笑みを返したレンは背中を向け、歩き続けた。
出会いと別れ。何度も経験していたはずなのに、今回のはやけに寂しく感じるのは実に不思議だ。
(これでいい)
振り返れば足が止まってしまうではないか。言語化にしづらい何かを、彼女は直感的に感じたのだ。
決して振り返ってはいけない――自分の心に枷を付けたところで、
「レン様ーー!!」
名を呼ぶ大声に反射的に振り向いてしまった。
「もし戻ることがありましたら、その時にまた会いましょうー! 約束ですよー!!」
大きく手を振って、懸命に笑って送り出してくれるクリスの姿に、笑みが零れる。返事代わりに、レンは会釈をしては長い灰髪を翻す。その後ろ姿はまるで、縮めていた羽を伸ばす準備をしているかのようだ。
△
「――本当にいいですか。伝えなくて」
「ああ、伝えたところで迷惑を掛けるだけだ」
壁の後ろから姿を現したシェフは、クリスの隣に並んで一緒に新しい門出を迎えようとしているレンを見送ることになった。
「本当に、愛されてますね。レン様は」
「ああ、全くだ」
諦め。悲しみ。切なさ。そうした押し隠すことのできない幾つもの感情が混ぜこぜになっているせいか、笑顔がやや不格好なものになってしまった。
だけど、これでいい。どうせ、彼女にもう伝えることができないから。
さよなら、最初で最後の初恋。
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