第9話

 目覚めのように二度瞬きをした深緑の双眸が辺りを見回し、やがて視線をレンの顔に着地した。


「あれ、どうして俺は……あ、レンさん。もしかして、もう一人の俺と話してたのか」


「ええ」


 一瞬、嫉妬と似た感情がフリントの心中で湧いた。悟られぬよう冷静を装う。


「それを、聞いてもいいか」


 口にした途端、すぐにしまったという顔をした。どうしてそんなことを聞くんだ、と追い打ちを掛ける自責に焦燥感に駆られ。

 数秒間の沈黙すら苦痛に感じる。行き場を失った焦りが表面化して、自分のこめかみを冷や汗が伝うのが分かるほど、今、フリントの神経は緊張していた。


「まあ、その……こっぴどくお説教されました」


「せ、説教」


「はい。その、お恥ずかしながら、もっと他人を信用しろと言われましたので」


「そう……なのか」


「ええ」


 拍子抜けするほど、あっさりと教えられた。何なら肩透かしを喰らった感すらあったぐらいだ。

 彼女を見れば見るほど、表情に染み出ていた悲壮感はなくなった。なくなったというよりも、何かが吹っ切れたような、それと似だ。


「すまない、レンさんに一つ質問してもいいだろうか」


 「ええ」と頷く彼女。

 たった肯定するだけの一言。されど、それはレンの覚悟を如実に示した一言であった。

 これなら、と勝機を確信した希望がフリントの心中でガッツポーズを決める。それから彼は国王から聞かされた話を思い起こしながらゆっくり伝えることに。


「調べたところ、その没落貴族はユースティア家。かつて、王都の西部・ヨックハム一帯の土地を所有した一族だった。それが9年前、突然全ての個人資産を王家に受け渡すことになった。無論、土地所有権も含めて。

 まあ、今はあの一帯を所有しているのは、ウィリアムズ家になったのは前国王陛下の采配のおかげではあるがな」


「へえ、そうなんですね」


「俺が思うに――レンさん、貴女がそのユースティア家の者なんじゃないか」


 レンが息を呑んだ。ちゃんと見たわけでもないが、固唾を呑み込んだ音で分かった。今の彼は冷静そのものではあるが、心臓が早鐘のように打つ。

 捜査が難航しているこの状態ではどうしても本人の協力は必要である。素直に応じてくれればいいが、相手は大和兄妹ですら何も掴めなかったレンのことだ。


 頼む。どうか俺たちに守らせてくれ――フリントの切実な願望をよそに、「あーあ」と溜息交じりに微笑むレン。


「まさかここまで辿り着く人がいるなんて、流石……と言うべきなんでしょうか」


 困ったように肩をすくめた彼女はゆっくりと寄ってくる。

 くすんだ灰髪とは相容れないはずの、澄み渡った碧い瞳にフリントは息を呑んだ。同時に、自分のもう一人と話して憑き物が落ちたに納得がいった。


「改めて、というのも自己紹介をするのは初めてでしたね。ユースティア家の末裔――セレナ・ユースティアです」


 ああ、やはりか――答え合わせを得たフリントの胸中で広がる安堵の波に流されそうになってグッと堪える。

 彼女が正体を明かしてくれたんだ。ならば、同等の誠意を見せるのは筋というもの。


「ご丁寧にどうも。既に他の人から聞かれたかもしれないが、それでも名乗らせてくれ。災害対策特別部隊隊長、フリント・サリバンだ。聖騎士の誇り、いや――」


 そこまで言った彼は、ピンと背筋を伸ばして胸に手を当てる。正確には、白の外套に刻まれた王家の紋章の上にだ。


「――この、王家の紋章に誓って、セレナ・ユースティアを守り抜くことを、ここで誓おう」


 誇らしげに胸を張る彼を見て、言葉を失ったレン。

 確かに、聖騎士にとって最も誇らしく思うものは、己のプライドよりも、王家に仕える誉れであろう。しかし些か大袈裟に聞こえる感じは否めないというのもまた事実。


「……王家の紋章って、流石に言い過ぎではありませんか」


「それだけ本気だってことを、伝わるつもりなんだが……」


 小首を捻るフリントにレンはふふっと小さく笑った。

 彼がこうして自覚なしにやってのけた、その理由に気付いたから。


「では、お言葉に甘えて――喜んで守られて頂きますね」






※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※






 一週間後。

 普段は祭りやパレードで賑わう王都エヴェロンのメインストリートが、今日は異様な殺気で張り詰めていた。


「出てけ、このクソ天使!」


「お前えの花を止めさせろ!」


「私たちの故郷を返して!」


 怒号咆哮の声が飛び交い。数倍、数十倍も色の強い、明確な怒気がボロボロな布切れを着ているレンに向けられていた。


 自慢の地味な灰髪が、今回ばかりは何の役にも立たない。両の手首に木製手枷がはめられ、足首には鎖の足枷が繋がれている。

 長い道路を裸足で歩かせているだけならまだしも、まともな食事すら与えられず空腹の上に炎天下で罵詈雑言を浴びせなければならないという生き地獄。

 

 四人の下級騎士に護送されているとは言え、大分距離を開けていては安全とは言い難い。


「ッ!」


 途中、石ころが少女のこめかみに命中しよろめく。一筋の血が地面に滴り落ちても騎士たちは見て見ぬフリをするだけで、投げた犯人はいかにも愉しそうに嘲笑する。それに続いて2,3個の石が痩身に降り注ぐ。

 それでも少女は耐えながらも背筋を伸ばして進行する。


 永遠と思われる長い屈辱の道の末、一行はキャメロット・スクエアに到着。

 異端者の処刑場が公開裁判なんて無意味なものが行われるのだ。無論、信者から批判が殺到。毎日教会の前で抗議する者まで現れる始末。

 

 文句を垂れ流す信者が大勢いる中、教会のやり方を見極めようとする者だっている。だから結末はどうであれ、間違いなく、歴史に名を残す大事件になるでしょう。

 緊張が高まる中、公開裁判の幕が今、開けようとしている――。


「静粛に」


 用意されたガベルを使わなくても、八字髭が特徴な男の一声だけで大衆を黙らせた。

 

「――これより、本法廷において被告、レン・アッシュフォードの審理が開始する」


 公爵の中で公明正大として最も知られている、クリストファー・エディンバラ公爵。そのおかげで領地内外でも人望が高く、彼の下した決断なら間違いないという絶対的な信頼が寄せられていた。


(その分、協力を申し出た時は大変だったな)


 当時の大変さを思い出したフリントは、眉を顰めずにはいられない。

 屋敷に入る前に水バケツ+門前払いのダブルアタックを食らったが、フリントたちが王命で参上したという旨を伝えると、従者たちが非礼を詫びて屋敷に入れてくれた。

 多少なりともトラブルはあったものの、なんとか全部を乗り越えて今に至る。

 

 フリントがレンの方をちらっと見ると、手荒な扱われ方に唇を引き結んだ。

 ふと、彼女と目が合った。

 『大丈夫か』という問い掛けの視線にこくと頷くレン。大丈夫だと言われた以上、過度の心配はしない方がいい。そんな自戒と共に、渋々と裁判長に顔を戻すフリント。


「此度の裁判は被告人が本当に我々の故郷を、世界を破壊しているあの天使なのかどうかを見極めるためのものである。事の重大さにあたってより慎重に、且つより公正な判決を下すために、国王陛下から一時この場を法廷として使用するよう、特別使用許可を頂いた。

 エディンバラ家の名に懸けて、国王陛下のご期待に応えるようにその役目を果たすことを、ここで誓います」


 レンの無実を証明するための究極な手段。

 例えこの裁判は彼女の勝利が約束されたものだとしても、油断は禁物だ。だってこれは自分のための戦いではなく、レンのための戦いであるから。

 戦おう。彼女のために、最後の瞬間まで。


「はい、大丈夫です」


 銀鈴の声が高らかに響く。王都中に注目される中、歴史的な裁判となる公開裁判が開廷した――。

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