第5話

「へえ、世界をリセットする花、ねえ……」


 フリントの報告を受けた国王は、興味深げにキツネ目を細める。


「ハッ。解析に協力してくれた村の老人の話によると、どうやらシダは古代文字で『世界をリセット』という意味を持っているようです」


「それがイタズラ大好きな天使の手に渡ったから、今はあらゆるところにシダの花が咲くようになったというわけか」


「はい。その認識でほぼ間違いないかと」


 底知れない生命力を持つ、シダの花。もしその花は本当に世界をリセットする力を持っているだとすれば、今までの常識で駆除できるはずがない。

 毒を以て毒を制すというように、不思議な力を対抗するには、同類の不思議な力あるのみ。


「それで? その善良な老人とやらから『悪魔』の存在を確認できたのかね?」


「ハッ、そのことに関してはまだ……」


「ふむ、まあいい。この線を追っていればいずれ現れるだろう。引き続き調査を進めたまえ」


 膝をついたフリントは、ハッと深く頭を垂れる。

 国王の推測によると、天使と対となる存在、つまり悪魔が必ず存在するはず。それなのに、一向に悪魔に関しての資料が見つからないという事態がおかしい。本人曰く、まるで誰かが意図的に悪魔の存在を隠していたかのようで気味が悪いのだと。


 国王の推測が正しいのかどうかさておき、命令とあらば従うのみ。もっとも、もう一つの任務と比べたら、フリントにとってこっちの方がまだやりやすい方ではあるが。

 「そう言えば」と国王は前置きをして、フリントの肩が一瞬ビクッとした。恐る恐る見上げると、案の定、意地悪げな含み笑いがそこにあった。


「今度、あの女を尋問するんだって? しかも、一切の拷問なしという特別待遇で」


「はい、そうですが……」


「あはははは、それじゃあ拷問部屋の意味がないじゃないか。いやはや、まさか真面目君のキミがこんな面白いことやってくれるとはねえ」


「……申し訳ありません」


「ああ、別に責めてるつもりはないんだから安心したまえ。ただ――あの女がそう易々と口を割ってくれるとは思えないなぁ」


 不思議なことに、妙に腑に落ちた。相手が国王だからとかそういうのではなく、彼女ならやりかねない、とそう思ったのだ。


「あの、無礼を承知の上でお尋ねしますが、昨晩陛下が目撃したレンさんは本当に天使の姿をしているでしょうか」


「うん、見た。そして、とてつもなく美しかった」


「は、はあ」


「想像したまえ。暗い部屋に差し込む月光を照らす灰髪が銀色に輝く様を。普段からキッチリしていた彼女の、就寝前の少しだらしない格好を。そんな背中に天使の翼が生えているところが目撃された時の焦り様と来たら――クックック、本当、堪らないなぁ」


 悦しげに吊り上げた口角にフリントは嫌気を差す。

 少々変わっている趣味嗜好をお持ちだと聞いていたとはいえ、まさかここまでとは。しかし国王に力強く肯定されたらもうお手上げだ。定められた陰鬱な結末を覆すどころか、負の螺旋に陥っていた思考から未だに抜け出せないでいた。

 一体どうすれば、と懊悩しているフリントに、国王は笑顔のままだ。


「そんなに彼女を守りたいのかい、フリント」


「……はい」


「あの女のことだ。きっと誰も信頼したりしないだろう。勿論、キミも含めてね」


 そんなことはないと否定したくても、言葉に思い当たる節があるのは実に厄介なものだ。

 彼女の周りに張っていた『壁』。それが、最近になってより強く実感してきているのだ。初めて会った頃から比べると。

 それもそのはずだ。二人の関係はそれほど遠いものでもなければ、親しいものでもない。元ハウスメイト、それに尽きるだけだ。けれど何故か、彼女とお近付きになりたければなるほど、どこか遠くへ行かれてしまいそうで悲しい。

 

「向こうから拒絶されることだってあるかもしれない。それでも守るのかい?」


「……それでも、守ります。いや、守らなければならない、とそう思ったんです」


「うん、フリントは素直で嬉しい。あの女とは違って」


 どう返したらいいか分からず暫く考え込むと、「そんなキミにいいアイデアを授けよう」という前置きに遮断された。


「そんな小難しく考える必要はあるまい。要は、公開裁判で民の前であの女の無実を証明する。実に簡単で有効的な話ではないか」


「お言葉ですが、もしバレたらレンさんが――」


「やれやれ、この期に及んでまだ守ろうとするとは。思いのほか、健気だなぁフリントは」


 三度も乾く響く拍手に、呆然としたまま突っ立っているフリント。見開いている深緑の双眸に国王は更に唇の端を歪ませた。


「もうヒビが入ったガラスのようなものだ。一層のこと、砕いてしまえばいい。そう思わないかい?」


「そ、それは……」


「では聞こう、優しい優しいフリントは一体どんな方法であの女を救う気なのかい?  幾ら隠し通そうとするのだって無駄だよ。

 ――だって、王都中は既に我々が『天使』を捕獲したことを知っているだからね。血の気の多いこの街のことだ。言いたいこと、分からないわけではあるまい?」


 現実に突き付けられた緑眼は、激しく揺れ動いている。

 言わんとすることは解る。まだ一日すら経っていないのに、王都内では既に『王宮に忍び込んだ天使が逮捕された』という話題で持ち切りだ。

 どうしてすぐに教会に引き渡さないのか。いつ処刑が行われるのか。皆息を潜んで実行日を待ち侘びている。


「……ッ」


 どれだけ屈強な騎士であれど、思い出すだけで震え上がってしまう。

 街中から憎悪を向けられる、あのおぞましい感覚。同じ人間からだとは思えないほどの凝縮された罵詈雑言と狂気が死にゆく少女にぶちまける、あの狂乱な空気。

 実際に処刑が理由に辞職した騎士は1000人に上るという話は聞いたことがあるぐらいだ。

 そんな恐ろしい体験を、彼女に味わわせないようにしなければ。


「し、しかし、レンさんの無実を証明するにはまだ時間が――」


「頭硬いなぁ。無罪に仕立て上げたらいいだけの話ではないか」


「な、何を……」


 正気か――自分の耳を疑わざるを得なかった。正義の欠片もない発言に思わず顔を上げるも、冷ややかな歪んだ笑みに再び打ちのめされる思いがしそうになる。


「まだ分からないのかい? 要は、あの女が無実であることを愚民共に納得させればいい。もしあの女が黒だったら、我々の言葉で白く染め上げ。白だったら、その白さを更に磨き上げる」


「は……?」


「ああ、この場合、事件の真相なんてどうでもいいから深追いは禁物だよ。その時は私に幾ら嘘の証言をさせてもいいけど。その代わり、裁判長やらないから、他の人を当たってね」


 ひらひらと手を振っても、フリントの頭は真っ白のままだ。

 無理もない。公平な法を以て悪を裁くための裁判が茶番劇ショーのように扱うなんて前代未聞なことを言いのけてきたのだ。


 それに、領地内で起きた事件は領主が裁判を行い、独自の判断で領民を裁くのと同じように、国王にも裁判権を持っている。ただし、それは王都内で稀に起きる大事件を裁くために存在する、国の指導者にのみ与えられた特権だ。

 そんな権力を自ら手放すと言ったのだ。焦らないわけがない。


「そんな、市民を騙すおつもりですか」


「騙すだなんてとんでもない。我々はショーがよりスムーズに進行するために物語を売る。ただ、それだけのことさ」


 あり得ない。

 この人は一体どこまで歪んでいるんだ――知りたくもない事実に膝が曲げ折れそうなところを、なんとか踏み止まったその時。


「――この世にはね、正義なんて存在しないのよ、フリント」


 追い打ちをかけるように、国王が言い放った。

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