第6話

 自分の中で築き上げた信念が崩落していく音が脳裏に響く中で、深緑の双眸が濁り始めたその時。頭上から聞こえた大袈裟な溜息にハッとなった。


「全く、この程度でも耐えられないとは。聖騎士の名折れだよ、フリント」


「し、失礼しました。以後気を付けます」


「うん、そうしてくれたまえ」


 罪悪感の欠片を全く感じさせない声色に、低頭したフリントの拳は小刻みに震え出す。

 この男に正義感の欠片もない。そんな当たり前の事実に突き付けられては絶望するのは果たして何度目になるのか。しかし残念ながら、曲がりなりにも直属の上司だ。下手に反論すれば、こちらの首が飛ぶだろう。それも、物理的に。


「全く理解できないなぁ」


 顔を上げた視線の先、眉間に不可解な皺を寄せている国王が膝の上で頬杖をつく。


「――どうしてキミはそんな必死になって彼女を救おうとしているんだい? 然程交流があったとは思えないのに」


「ど、どうしてそれを……」


「一ついいことを教えよう。長い間人の上に立つと、色んなことが見えてくるんだよ、フリント」


 ニッコリと笑う彼からは権力者のオーラが滲み出ている。伊達に国のトップをやっていないというわけか、とフリントは内心で納得の頷きを得た。


「今まで通りでいいじゃないか。今回は偶々運悪く、キミの知り合いに当たった。ただ、それだけのこと。そう思わないかい、フリント」


 一瞬、息を呑んだ。核心に突いた問い掛けに驚いているわけではない。

 あの捻くれ国王が『皮肉やら嫌味やらが一切含まれない質問をした』という事実に驚いているのだ。

 聖騎士になってからもう何年も経ったというのに、今でも鮮明に憶えている。

 

 周囲の罵詈雑言に怯える布切れの少女の後ろ姿。

 鎖の足枷を引きずる音。狂気じみた空気に呑み込まれ、咽喉に込み上げた烈しい吐き気。叶えることが許されなかった『助けて』と紡がれるか細い声。


「俺は、もう被害者が泣かなくてもいいような、そんな王都に変えたい。それを実現するために、藁でも悪魔でも天使でも縋りますよ」


 拳を握り締めているフリントを見上げるキツネ目は、やがて落胆の色に染まった。


「……もうからかえないのか」


 「はい?」と聞き返すもあからさまに咳払いをされては、もう一度尋ねる勇気はフリントにはない。


「そう言えば、先の天使と悪魔で昔聞いたある話を思い出した」


「それはどんな話でしょうか」


「いやね。これは子供の頃にお爺様とお父様が話してるのを、偶然聞いた話なんだけど。9年前に突然没落した貴族がいてね。普段ならあの二人が没落貴族のことなんて構いやしないんだけど、その時の二人が妙に神妙な顔をしたのを覚えてる」


「9年前……。確か、初めてシダの花に滅ぼされた村が発見されたのもその時期――まさか」


「調べる価値、あると思わない?」






※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※






 翌日。

 再び王宮に足を運んだフリントは何やら思い詰めているご様子。

 無理もない。期待したレンの調査が思った以上に芳しくないからだ。できればレンに会う前に情報が欲しいところではあるが、ないものねだりをしても致し方ない。


「一体どうやって納得させれば……」


 脳内で策を練りながら下ベイリーの中庭を通り抜けた先、


「またハズレ引いちゃってて可哀想~」


「前回の変態淑女に引き続き、今度は天使とか。ある意味、運がいいね、クリス」


「あのですね。いくら私をバカにしても構わないですけど……レン様まで侮辱するのは、許しませんよ」


 メイド三人組の会話が思考を遮断した。


「レン様……?」


 気になる名を聞いて思わず立ち止まるフリント。

 以前、嫁候補者には必ずメイドが付くという話は聞いたことがある。まさか彼女がそうなんだろうか。そんな疑問がポツリと脳裏に浮かべた。

 彼女の知人かもしれない人物に出くわすのは実に好都合。ここは是が非でも情報を聞き出したいところだが、その前に喧嘩を止めないといけない。一人の騎士として。


「君達、そこで何をしてる」


 こちらへの挨拶もなしに尻尾を巻いて逃げ出す二人のメイドにフリントは溜息を吐きつつも、短髪のメイドに近付く。恐る恐る「大丈夫か」と尋ねるも、返ってくるのは小さな溜息。


「たははは、やになっちゃいますよねー。すみません、見苦しいところをお見せしてしまって……では、あたしはこれで――」


「すまない、一つ質問をしてもよろしいだろうか」


「は、はい、少しの間だけなら」


 口ではそう言いつつも振り返った少し面倒臭そうに表情に、引け目を感じずにはいられない。何度もこういった場面に遭遇したとはいえ、苦手なものはやはり苦手のままだと再確認した。


「すまない、先程の会話で偶然聞こえたものなんだが……その『レン様』って、もしかしてレン・アッシュフォードさんのことでしょうか」


「レン様は今、どうなっていますか! 無事ですか! ちゃんとご飯を食べれてますか!」


 唐突に急接近してきた髪と同様な栗色の眼。フリントは一瞬言葉を失ったが、すぐに落ち着きを取り戻した。


「……すまない、これから会うつもりだったのでまだ何も……」


「そう……ですか」


「その、なんだ。ここでのレンさんはどんな感じだったか」


「レン様? とても可愛らしい方でしたよ」


「可愛らしい」


 これまでの『いい人』止まりの印象を上回った感想に、思わずオウム返しに繰り返した。けれどこちらの戸惑いをよそに、メイドは「はい」とこくり。


「肉料理がお口に合わなかったらしく、密かに野菜をリクエストしたら……その、苦手なピーマンに苦戦して涙目になったり。他の方々との関係が上手く行かず落ち込んだり。

 暇を持て余すとソワソワして、『何か仕事をください』と無茶言ってきたり。まあ、勿論断りましたけど、その時のしゅんとなった顔がとても可愛かったですねー」


 不思議だ――そんな感想がフリントの脳裏を掠めた。

 話を聞いていると、どこにでも居そうな、普通の女の子の話に聞こえてくる。先に出会ったのはこちらなはずなのに、語られたのは知らない一面ばかりだ。

 何より、嬉しそうに語る本人の顔は実に幸せそうで羨ましい。無意識の内に、口角が上がっていた。


 そうだ。彼女は普通の女の子だ。運悪く天使の疑いをかけられた、ごく普通の女の子。だったらやるべきことは変わらないな、とフリントは出した結論に内心で力強く頷く。


「そんな人が世界を壊している天使だなんて、あたしは信じません」


「……そうか」


 彼がしみじみと呟くと、彼女が少し気後れした様子で「あの……」と上目遣いに尋ねてくる。


「あの……つかぬ事をお伺いしますが、騎士様はレン様とはどういう……」


「ん? ああ、元ハウスメイト」


「へえ、そうですか」


 あっさりとした口調の割には、『えー、本当にそれだけですかー』とでも言いたそうな目をしている。しかしそれを察せるほど、フリントは鋭いわけではない。


「レンさんのことで今後協力をお願いすることがあるので、その時はよろしく頼む」


「はい、あたしにできることがありましたら何なりと申し付けください!」

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