第3話

 早速寝室で待機していたメイドに尋ねてみたところ、


「はい? ウチのキッチンを見たい、ですか?」


「はい。その……ダメなんでしょうか」


「いや、ダメというわけでは……。ただ、これまで王宮が多くの嫁候補選抜を開催してきましたが、アッシュフォード様のようにそう仰ってくださった方は初めてですので」


「で、ですよね……」


 元の食生活に戻りたいという淡い希望がフェードアウトしていく。レンのような平民候補が久しぶりに現れたと聞いた以上、メイドが驚くのも頷ける。

 仕方ない。後で庭園に行って何か食べられそうな草花を探さないと、と脳内でバックアッププランを練ったその時。


「つかぬことをお聞きしますが、どうしてアッシュフォード様がそのようなお考えになったのですか。ま、まさかあの肉料理では満足できなかったと……そういうことですね!」


「うぐっ。い、いいえ、そういうわけでは――」


「でもまあ確かに、いきなりあの肉フェストに慣れろと言われても無理がありますからねー」


「そ、そう!」


 メイドの言葉に内心で安心したとは言え、なんだか手玉を取られた感じがして落ち着かない。そう思い始めると、頬に手を当てて考える姿がどこか嬉々としているように見えなくはない気が。


「では、こうしましょう。シェフにあたしの分を多めに作ってもらうことにして。アッシュフォード様がお食事から帰られた際にあたしがその一部をお部屋に運ぶというのは」


「それで構いません。ええと……」


「あっ、大変失礼いたしました。この度、アッシュフォード様の側付きメイドになりました、クリスティン・ハーヴェイと申します。どうぞ、気軽にクリスとお呼びくださいませ」


「でしたら、わたしのこともレンと呼んでください。アッシュフォードって長いんでしょうし、それに……本来であれば『様』呼ばわりする立場ではありませんし」


「そう申されましても、様呼ばわりしないと飛ぶのはあたしの首ですから。そういうわけには……申し訳ございません」


「そ、そうですよね。すいません、忘れちゃってください」


 すぐに自分の失言に気付き慌てて取り繕うも、既に気まずくなった空気を救出することができず、視線を床に逃がす。

 『どうしてあんなことを言ってしまったんだろう』といった自責が胸中で渦巻く。

 無理もない。過ち一つで火刑台に送られかねない身だ。疑惑が向けられないように必死にあれこれ工夫していたのに、たった一つのミスでこれまでの苦労がパーになる。

 何としても誤魔化さないと――と、思い詰めた表情で顔を上げた先、眼前の柔和な微笑みで心中の葛藤が霧散していく。


「では――間を取って、レン様とお呼びするのはいかがでしょうか」


「……はい、それで」


「ではレン様。三か月の間になりますが、どうぞよろしくお願いいたします」


「ええ、こちらこそよろしくお願いします」





※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※





 あれから一ヶ月。幸い、レンは他の候補者にイジメられるのも、絡まれることもなかった。もっとも、聖騎士と知り合いの庶民なんて一般庶民なはずもない、という噂がすっかり候補者の間に広まっており、誰も近付きたがらなくなった。

 ただ一人を除いて。


「レンってさ、普段何してる?」


「候補者から聞いたぞ? レンが他のメイドたちと一緒に掃除しようとしてたんだって? 全く、まだしょぼい庶民でいる気なのかい? こんな豪華な環境に住んでいるだというのに」


 おまけによく自慢話聞かせ+『夜に部屋に行きたい』攻撃+待ち伏せアタックを食らうようになったが、いつものように軽くあしらって上手く躱していたから今でも自身の貞操を守れている。

 それで多くの反感を買ったが、表向きでは気にしないフリをしないといけない。もっとも、


「もうー! なんなんの、あの女たらしキングはぁー!」


 こんな環境に長く身を置くと、いずれ限界が来るもの。レンの場合、それが今だ。寝室に入ってはベッドに飛び込び、顔を埋めてはシャウトする。こもっている分、他人に聞き取れないが、ストレスを発散する分には十二分のようだ。


「大体、なんでわたしばっかりなの! 他の候補者もいるんだから、そっちにも構ってよ。毎日歩く度に睨まれるの辛いしさ……」


 段々弱気になっていく愚痴を最後に、仰向きになり天蓋を見上げるレンの顔は雨に濡れた子犬のように心細げであった。

 今でも憶えている。宮殿内で散策している時に、意趣返しのつもりで質問を投げた時のことを。


『どうしてこんな茶番を続くのでしょう。もしその御心にお決めになられたお相手がいるなら、さっさとお決めになられてはどうですか。何もこんな大勢な人を三ヶ月間も縛ることはないでしょうに』


『やだなぁ。せっかく集まった金魚を手放すバカな飼い主はどこにいるんだと言うんだい?』


 晴天とは似合わぬ歪な正論に唇を引き結んだレン。

 他人の時間を我が物のように扱う傲慢さ。流石王族といったところか。悪趣味にも程がある。

 「それに」という前置きに顔を向けた先に、すぐ眼前にあった狡猾と諦めが複雑に化合したような表情にビックリして思わず後退ったが。背中一面に当たった壁が引く道はないことを知らせた。

 一歩、また一歩にじり寄る国王。勢いこそはなくとも、静かな迫力を感じざるを得ない。先程と変わらぬ至近距離まで縮めた彼はここぞとばかりに、ニヒルな笑みを浮かべ――。


『仮に私が選んだ女性でも、あのクソ長老たちが気に入らなければ結婚まではできないケースだってある。だから私はこの茶番を最後まで続くつもりだ。

 ――例え、意中の相手が気に入らないとしても、ね』


 思い返すだけでも耳元で纏わりつく卑しい声に身の毛がよだつ。

 無視するように、サイドテーブルのランタンのが揺れるところを見つめながら小さな息をつく。


「本当、なんでわたしなんだよ……」


 一度弱音を吐き出したら、胸中で巣食っていた無力な渦の存在が目立つ。見えない引力に引っ張られた先は、果てしない闇。

 深く、暗く、真っ黒な空間の中に埋もれてもきっと誰も――。


「うーん、多分ですけど」


 突然現れた声にハッとなり急いで上体を起こすと、


「陛下がレン様のこと、イジらしいと感じちゃったんじゃないですか?」


「い、イジらしい……?」


 メイドの感想にショックを受けずにはいられなかった。

 それもそのはず。周りとの人付き合いをよくするためにある程度作った外面の顔が、思いがけない効果をもたらしていたと言われたのだ。しかも、知り合ってまだ一ヶ月しか経っていない相手に。

 まさかどこかで破綻していたのか――脳裏に浮かんだ疑惑を否定できず、心中の怖がり屋が震え出す。


「申し訳ありません。別に盗み聞きをしようとしたわけでは……。ただその……お食事を部屋に運んだ際に偶然聞こえてしまい……」


「い、いいえ。その……い、いつからいたのですか」


 けれどメイドは即答せず、気まずそうに「あー」や「ええーと」と発するばかりで、言いようがない焦燥感がレンの胸中で広がりつつある。


「『なんなんの、あの女たらしキングはぁー!』からですかね」


「ほぼ最初からじゃないですか!」


 拗ねた子供のように顔をベッドにダイブさせたレンの姿に「たはー」と笑うメイドは実に愉しげだ。


「すみません。面白くてつい……。ああ大丈夫ですよ、陛下に告げ口したりしませんからー」


 フォローしてもピクリと動じないレンを見て、メイドは「お詫びに、あたしの身の上話をお話しましょうか」という前置きを挟みながらトレイをテーブルに置く。

 枕を抱えたままゆっくりを身を起こす彼女。まるで怖気付きながらも近付きたがる子猫と想起させるその様子にメイドは微笑み一つ。


「ウチの母はここのメイド長をやってまして、ですね。そのおかげであたしは選抜を通らずに済んだんだけど……。陰でこう言われてるんだ、『親のおかげで楽に職を手に入れた能無し』ってね」


「酷い……」


「そのことを知った母はあたしに『いつ辞めてもいいんだよ』と言われたんだけど。そうしたら今度は母に会える時間が少なくなるから断ったんだ。その代わり、あたしのことをバカにする人たちに見返してやろうと思ってここに居残ることにしましたとさ。めでたしめでたし」


 まだ昼であることを意識しているのか、最後の方を軽く言ったクリス。 


「って、途中で敬語を止めてしまいましたね。ごめんなさい」


「いえ、別に構いませんが……お母さん、か。いいですね、そういうの」


「はい?」


「いえ、ただ聞いてる内に……なんだか羨ましく思っちゃいました」


 昔日の記憶を手繰り寄せるように、指先でフィンガーレスニットグローブを擦るレン。

 追憶に引っ張られそうになったその時。自分を呼ぶ声がして顔を上げると、何故か彼女の腕の中に包まれていて目を白黒させた。


「えっ、な、なに」


「申し訳ありません。ただ……レン様を見ていると何故か無性にハグしたくなります」


 ハグ――言葉の意味を瞬時に解らなかったレンは、脳内で再三繰り返してからやっと自分が抱き締められていることに理解した。

 人と距離を置いてからもう二度と聞こえないと思っていたその単語が、まさかこんなに暖かいとは。

 久しく人間の温もりに触れた少女は、噛み締めるように目を閉じた。






※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※







 金と赤の壁紙が重厚なベッドルーム。踵が埋まる絨毯、大人五人が楽に寝そべられる天蓋付きベッド、金の刺繍などの意匠が凝らされていたベッドカバー。

 これまでの逃亡生活と比べることすらおこがましいほどの贅沢が詰まっていた寝室。そんな豪華な環境で寝起きしていても、睡眠不足の日々が続いている。

 日々の疲れが取れない上に場違いな感覚も未だに拭えていない。もっとも、


「退屈すぎて死にそう……」


 多忙の生活に慣れていたレンにとって、どんな広い部屋でも鳥籠にしか映らないだろう。


「仕事しなくて済む。確かに楽ではあるけれど……祈祷、ランチ、晩餐会、時々舞踏会で終わる一日って……」


 時間の無駄遣いなんて普段慣れていないからこそ、貴族の生活に物足りなく感じてしまうだろう。けれど裏を返せば、『時間の無駄遣い』という贅沢品を振り撒くのはある種の特権かもしれない。

 それに、色んなことを思い返す内になんだか暑くなった気が。

 暑い?


 まさか、とベッドから起き上がっては窓に寄り見上げる。夜空で嘲笑するように輝く満月の存在を確認して今日一長い溜息を吐き出して、


「道理で妙に身体が熱いわけね……。あの女たらしキングが入ってきませんように」


 ドアに向かって合掌するレン。普段からあまり神様を信じないが、ちゃんと祈ったのはもしかしたら、今回が初めてかもしれない。

 

「12時……流石に来ないけど、かと言ってここで解放するのは」


 壁掛け時計から目を外してもう一度ドアの方へ向くも、再び溜息一つ。ドアにロックが付いていたとしても、国王の赦しもなしに勝手に施錠すると『王命に逆らった』と見なされ、極刑に処される。

 実際に処刑された嫁候補がいるという話は聞く。無論、逃走を企ても論外。だから“夜のお散歩”と称して人気のないところで解放してもダメ。

 

 仕方がない、とレンは深呼吸を挟んでから天使の翼を展開した。一度の解放に大体10分ぐらい掛かるが、たったの10分が永遠と感じるのは初めてだ。

 早く終わらせて、と心の底に焦燥感を燻ぶらせる――そんな時だった。後ろのドアが開かれたのは。


「レンに会いたくて会いたくて思わず来ちゃ……た」


 レンの姿を目にした時、いつもの飄々とした態度が瞬時に霧散し、段々と血の気が失せていった。

 慌てて羽をしまっても既に時は遅し。恐怖になった国王は勢いよく廊下の壁まで後退り、壁に沿って崩れ落ち。


「て、天使……」


 絞り出すような声に、レンの顔が徐々に絶望の色に染まっていく。


「誰かー、誰かーーー! ここに天使が! 天使がいるぞーーー!!」


 廊下の静寂を打ち砕く程の大声量の後に続く、無数の足音が終わりを告げた。

 もう二度と以前の生活に戻れないという終わりを――。

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