第2話
その後、候補者たちはダイニングルームに案内され、そこで国王陛下との昼食会が開かれることとなった。けれど普段から茶色いパンやオートミールが主食のレンにとって、この風景は些か刺激的である。
見渡す程の肉、肉、肉。長いテーブルを埋め尽くす程の肉料理に内心で唖然としたが、顔に出すわけにはいかず、笑顔でカバーしかない。
しかも王侯貴族だけに許された狩猟の獲物が中心だ。貴族でさえ滅多にお目にかかれる機会はないという。
貴族の食事は肉ばかりだとかなり前から知っていたとはいえ、実際に目の当たりにすると些か衝撃を受けるものがある。しかし、
「……」
レンは眼前に広がる贅沢な光景に喜んだりせず、逆に内心で溜息一つ。
仕方ない。この後キッチンに行って野菜がないか確認しよう、と判断するレン。元々追われている身だ。こんな酒池肉林のような生活とは縁遠いだと思っていたし。何より、彼女自身も慣れるつもりなんてさらさらない。
若しくはメイドに聞くっていうのもアリかもしれない――次の行動プランを決めたその時、
「ここ、いいかなぁ」
降り注がれる粘りつくような声に、ドクンと心臓が一際大きく跳ねた。
ゆっくりと振り向いた視線の先、丁度トイレに行った候補者の席に国王が座っていらっしゃる。何の躊躇いもなく。
周りの候補者がざわつく一方、本人は至って冷静そのものだ。もっとも、心臓がバクバク言っているのがバレないように、表情を維持するのに精一杯ではあるが。
ふと、ソワソワする気配がした。チラリと見やると、真向かいに座っている女性が背筋を伸ばしモジモジし始めたのだ。
「ああ、キミには用はないから、どうか食事を続けてくれたまえ」
唐突に一刀両断され開いた口が塞がらない女性をよそに、国王は構わず、こちらに向き直るなり頬杖をついた。
「キミ、名前……なんて言うんだっけ」
「レン・アッシュフォードです」
「アッシュフォードか。やはり聞いたことがないなあ。ああ、先日ロレーヌ公爵が推薦した庶民というのは、もしかしてキミのことかなぁ?」
「ロレーヌ公爵のことは存じ上げませんですが、庶民なのは間違いありません」
皿の上にカトラリーを八の字に置き真正面から答えると、国王の目が満足気に細められた。なるほど、と心中で一つの解を得たレンの双眸からほんの僅かな焦りが滲み出ている。
(どうやら、わたしは腹いせにこの
もし先日パブに訪れた貴族は件のローレヌ公爵なら、納得が行く。そして十中八九、あの時言った“仕事”というのは、間違いなくこの嫁候補選抜のことだろう。
もしレンが無事王家に嫁いだとした場合、親族と推薦した彼に何らかの形で謝礼がもらえるはず。もっともレンの場合、もらえるのは公爵だけになるが。
(勝手に推薦されたのは一先ず置いておくとして、まずはなんとかしてこの場を切り抜かないと)
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
(まさか、こんなに早く目を付けられたとは……)
早速計画が失敗して内心で嘆息しながらも廊下を歩くレン。
あれから国王の質問攻めは暫く続いたが、適当にあしらっている内に宴会の終わりを知らせるアナウンスでなんとか窮地を脱したわけだが。
「ひとまず、今の内に――」
対策を練らないと、とレンは判断する。
頭の中に叩き込んだ選抜の説明をもう一度復習すれば、今後の行動のヒントとなるものがあるかもしれない。思い立ったら即行動。ここでもレンの判断力の速さが光る。
けれどそれは決して自分の下した決断を信じているからという自信に満ち溢れた理由ではなく、不安を断ち切るという後ろめたい理由から来るものだ。
しかし、そんなレンの勢い込んだ決断は――
「そこの庶民!」
――道を塞ぐよに立ちはだかる、三人の女性によって邪魔された。
「……わたしに何かご用でしょうか」
「ご用でしょうか、ねえ?」
歪に口角を上げている真ん中の女性は、最も有力な嫁候補として囁かれているルーク伯爵のご息女、パール・ルーク嬢である。
他の二人もそれぞれ有名な家柄の出身ではあるが、残念ながらレンは二人の名前まで憶えていない。
「庶民の癖に陛下と馴れ馴れしく会話しないでくださる? 大変目障りですわ。立場を弁えなさい」
「そう言われましても、お声を掛けてくださったのは陛下の方――」
「それでもよ!」
丁寧に説明しようとも強い語気で遮られる始末。
やはり貴族って面倒臭い、といった感想を抱くまで三秒も掛からなかった。
「レン・アッシュフォード。貴女はあのロレーヌ公爵と何の関係を持っているのかは存じ上げませんけどね! これ以上私たちの邪魔をしないで頂きたいですわ」
畳み掛けるように「そうだそうだ」と連呼する他の二人を見て、心底呆れたレン。
プライドの高い古典的なお貴族様というのは、自分がトップに立っていないと気が済まないタイプだ。その点、こちとら逃亡生活は長いことから、プライドなんてちゃちなもんはとうに捨てた身。
謝罪が欲しいなら思う存分あげようではないか。
「……以後気を付けます。この度は申しわけ――」
「そこのお嬢さん方、何かお困りのようだが」
凛とした声は唐突に、しかし明確に、緊迫感を切り裂いた。
聞く者に圧倒的な存在感を叩きつける躊躇のない声に振り返る。視線の先、こちらに近付いてくるのは金髪の聖騎士――フリントだ。
「騎士? どうして騎士がここに……。――ッ! あら、聖騎士さん。お勤め、ご苦労様。実は私たち、道に迷っていまして……」
慌てて取り繕うとするパール嬢を見て、他の二人も合わせる。今更減点に気にし出しただろうか、とぼんやりとした疑問がレンの脳裏をよぎった。
「でしたら、ご案内いたしま──」
「いいえ、結構ですわ。先程アッシュフォードさんが親切に教えてくださいましたので……それでは、私たちはこれで失礼しますわ」
おーほっほっほ、と高笑いしながら去っていった三人の後ろ姿がやがて廊下の角に消えていった。内心で安堵の息をついたら、
「またしても大物に目を付けられたようだな、レンさん」
「……そのようですね」
向けられた苦笑に同様に返すと、気まずい空気が流れる。耐えられず、レンは口火を切ることにした。
「その、助けて頂いてありがとうございました」
「なに、礼には及ばん。元ハウスメイトだからな。これぐらいは造作もない」
「あの、どうしてフリントさんはこちらに……?」
「あっいや、それは……む」
珍しく口を噤むフリントに思わず小首を捻ったが、
「その……調査の定期報告をしに」
聞いても内心で傾げる首の角度が更に深めるばかり。それでも彼女は「そうですか」と流すだけ。
「では、わたしはこれで」
顔で会釈し灰髪を翻すレン。
見知らぬ環境の中で知り合いと再会するのは確かに心強い安心感はあった。けれど、いつまでも頼ってはいけない。
いくらフリントの中に悪魔が潜んでいるとはいえ、他人を頼ればいつか裏切られる。それに──。
(どうして嘘を吐かれたのかは知らないが、もしこちらの素性がバレたら……)
瞼裏にちらつく最悪な展開に、思わず身震いそうになるのを抑える。まだ見えぬ未来に怯えるわけにも、後ろの彼に察知されるわけにもいかないから。
△
数時間前。
聖騎士一行はフリントの部屋に集まって今日一日の行動を決める。調査が始まってからそうしてきたため、なんだかんだですっかり恒例化になった。
当初の緊張感が今となってはその欠片は微塵も感じられないほど、大分薄まっていたが。おかげで少し難航している現状の中でも、隊員たちは相変わらず明るいままだ。
別に咎めるつもりないし、むしろ前向きのままでいられると有難い。けれど──。
(なんだ、この胸騒ぎは)
朝食の時にレンが王都へ出発したことをマスターに知らせてから、腹の底がずっとざわついていた。まるで、もう一人の自分が『彼女を一人にしてはならない』と叫んでいるかのよう。
『……』
確かにもう一人の人格のことを、一般人に知られたのが不本意ではあるが。今のところ突き出す素振りがないのはこちらとして大助かりだ。が、こちらの呼び掛けに応じない癖にどうして他人の前で平気で姿を現すのか、実に不思議でならない。
どんな会話が交わされたのか、どうしてレンと話す度にこうも他人行儀なのか。どうして出会って間もないただのウェイトレスにこんなに気になるのか。
『──長。隊長』
アキラの呼ぶ声にハッとなり、慌ててどうしたと聞くも、
『そりゃあこっちのセリフだ。ずっと上の空だったぞ』
『そうなのか。すまない』
『いいですよ。どうせレンさんのこと、考えてるんでしょ?』
『む、そんなにバレバレだったのか』
うんと二人揃って大きく頷かれては、些かこそばゆいものがあってなんだか落ち着かない。
『そこまで気になるなら隊長一人で王都に行けばいいじゃないですか』
『いや、別に気になるわけでは。それにレンさんはただの――』
『ただのウェイトレスなのに、てか?』
今度はアキラに先回りされ、口を噤んでしまう。
調査部隊が結成した時、二人にもう一人の人格のことを打ち明けた。もしもの時に二人の身に何かあったら遅いと思ったからだ。そのおかげもあってか、お互いのことは熟知していた。
しかしそれなりに長い付き合いになるとは言え、まさかここまで筒抜けだとは実に困ったものだ。
けれど、こちとら聖騎士である前に、一部隊を任された身。本来の目的を放棄し王都に向かうわけには──。
『大丈夫ですよ。
『──隊長はレンちゃんのところに行ってこい!』
サムズアップするアキラに、力強く首肯するめぐみ。そんな兄妹に思わず笑みが零れる。
(全く、随分と頼もしくなったものだ)
結局、フリントは二人に後押しされ、城へ急行したわけだが、どうやらただの杞憂に終わったようだ。
「とりあえず無事でよかった」
そう呟いた彼はその場でレンの後ろ姿が見なくなるまで見送ってから来た道に戻った。
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