第7話
スタッフルームに繋ぐ廊下の壁からひょっこりと顔を出す従業員が一人。
ホールを見回すと、件の客がどこにも見当たらなかった代わりに、一角で媚びへつらっているマスターを発見した。
所々でしか聞き取れなかったが、どうやらレンを助けたお礼に、彼らの分は店の奢りという形になったらしい。
「マスター、せっかくのご厚意で恐縮だが――」
「やりぃ! よーし、今日こそはスペシャル三銃士セットを頼んじゃおうぜ! 前々から気になってんだー」
「兄さん、そこは豪華三宝セットにするべきでしょうに」
「お前らもう少し自重をするのだな……はあ、もう良い。すまないがマスター、お言葉に甘えさせて頂くとしよう」
すっかり聖騎士ご一行をヒーロー扱いするマスターを視界から外しホッとしたその瞬間、
「レン」
「ひ、ひゃい!?」
飛び上がるほどビックリして振り返ると、視線の先に立つのは少し面食らったシェフだ。
「……驚かせてしまったようだな。すまない」
「い、いえ、大丈夫ですよ。それで、わたしに用があるというのは」
「いや、特に用がないわけではないが……その、大丈夫か?」
「はい、お陰様で大丈夫ですよ」
ニッコリ笑いかけると、
「そ、そうか。それならよかった」
首に手を当てた彼がどこか気恥ずかしそうに返事した。普段からこちらの心配ばかりをするシェフのことだ。これくらいの気休めの方が、安心させるだろう。
「はい、では仕事に戻りますので」
ああと答えるシェフへの目礼を最後に、何もなかったかのようにホールに出るレン。そんな勤労少女の後ろ姿を眺める彼がはぁと息をついては持ち場に戻る。
次の客に迎えるべく、テーブルを片付けようとすると、突然何者かに腕を引っ張られ無理矢理席につけさせられた。
「ちょっ、離してっ」
「落ち着け、我だ」
耳元で囁かれた酷く沈んだ声でハッとなったがそれでも驚きを禁じ得ない。
無理もない。いつも頭上にあった特徴的な角がないからだ。
「え!? ちょ、ちょっと何してるんですか! 離してください」
「この人間は酒に弱いのが悪いから仕方がなかろう」
「仕方なくはないでしょう!」
「我だって、酔っ払いのフリをしてるんだ。いいから、黙って我に付き合え」
「はあああ?? 誰がそんな――」
「おやおやおやおやぁ~? いつの間に仲良しなんですか、隊長ぉ~」
黒髪女性の含み笑いにより、ひそひそ話の中断を余儀なくされた。示し合わせがなくても二人は同時に彼女の方に振り向いたが、
「最初から」 「別に仲良くありませんっ!」
「いや、どっちなのよ」
呆れて笑っている女性は一旦さておくとして、そろそろ仕事に戻らないと後でマスターに怒られる。とは言え、首の回りに巻き付けられた腕を解けない現状に焦っても仕方がない。
暫く付き合うしかないか、と心中で嘆息したら、突然バンッとテーブルを叩く音に一瞬ビクッと肩が震え上がった。
どうやら男性が葡萄酒を飲み干した勢いでジョッキの底を叩きつけたらしく、密かに安堵の溜息をつく。
「やっぱそうなんだよなあ! 隊長に限ってそんな浮ついた話あるわけがないもんなあ!!」
「兄さん、必死しすぎ……。ごめんねレンさん、隊長が酔っ払うとああなるから暫くの間我慢しててね」
「はい……。え、なんでわたしの名前……」
「ああごめんね。あのお坊ちゃまとのやり取りで聞こえたので」
そう言えば先程も名前を呼んでいたような、と朧げな欠片が少しずつ記憶の海から浮かび上がる。しかし回想から戻った時には既に気まずい空気になっていて内心で焦り出すレン。
無理もない。最近よく挨拶をするようになったとは言え、それ以上踏み込まなかったのが原因である。四人は同じ建物内で住んでからもうすぐ一ヶ月になるのにただ挨拶をする関係のままでは、最早ハウスメイトとは言い難い。
周囲の喧騒を吸った重たい空気がのしかかる。それこそ聖騎士三人の鎧と似る重りに圧迫してくるような、そんな感覚に思わず固唾を呑み込んでしまう。
「あっ、そうだ。自己紹介まだだったね。アタシは大和めぐみ。この干し肉を頬張ってるアホは兄のアキラだ」
「ど、どうも。あの、すみません、本当に仕事に戻らないといけないですが……」
「まあ、偶にはいいんじゃねえ?」
「えっ」
何のことだとばかりに、碧い双眸が見開く。
「だね。アタシたちがいる限り、あのマスターも夜一人で店の掃除させられることもできないでしょうし」
「し、知ってたんですか」
「寝ようとしたら必ずと言っていい程、一階から物音がするからね。そりゃあ気付きますよー」
こちらを気遣っての気さくな口調が逆にレンの良心に傷がついた。
彼女の言う夜の掃除は聖騎士回避プランの内の作戦の一つではあるんだが、どうやら暫く控えた方が良さそうだ。
脳内反省会を終えたところで、突如眼前に差し出してきた串に刺さった三枚の干し肉に目を白黒させるレン。
「そんな辛気臭い顔をしねえでさ、これ食ってみな!」
「いえ、そういう訳には……。せっかくのご厚意に感謝しますが、お客様の食事を頂ける訳にはいきませんので」
見るところに、アキラは自分が頼んだ品――スペシャル三銃士セットの中にある最後の一串をあげようとしている。客からのチップならともかく、食事をもらうなどと、ウェイトレスとしてあるまじき行為だ。
「あっ、ちょっと」
「いいからいいから」
押し付けられるような形で受け取ってしまった。後から難癖をつけられないか、と一瞬ヒヤッとしたが。その白い歯並びを見るに多分なさそうだ。
受け取ったものは仕方ない有難く頂戴しよう、と口元まで運んだその寸前――隣からやたらと物欲しそうな視線に意識して余計に食べづらい。
「ワア、ズルイ。ワレニモクレ」
(いやいやいや、棒読みすぎ! しかも、一人称は我のまま! だ、大丈夫なんでしょうか……)
「ええー、隊長は自分で頼んでくれよおー。こっちはレンちゃんと親睦を深めるためにやってるんだからさあ~」
(いいんだ! というか、いつもこんな感じなのこの人?!)
内心で驚きまくりのレンの心情をよそに、三人は他愛無い雑談で花を咲かせている。完全に蚊帳の外ではあるけど、三人のやり取りを聞いているだけでとうの昔に捨てざるを得なかった感情が沸々と蘇ってくる。
(楽しい……こうして他人と同じ食卓に囲んだのはいつぶりかしら)
向かい合った兄妹の間に彷徨わせた視線が、やがて悪魔の顔から流れ落ち、最終的にテーブルの天板に着地した。
確かに今の彼女は、悪魔と交わした契約のせいで村を離れられない身ではある。
けれど――。
(偶には、こういうのもいいよね)
会話にこそ参加できないが、彼女なりに楽しんでいる。その横顔を廊下から眺めるシェフの表情はどこか哀愁が滲んでいた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ある日の夕暮れ時。
開店準備に向けてレンは他のウェイトレスと一緒に食器を拭いている。『一緒に』とは言えど、偶々同じ空間にいるだけで彼女らとは別のテーブルで黙々と作業をするだけ。
それもそのはず。まだ半年しか入っていない新入りがすっかり常連客に気に入れられたら誰か喜んで受け入れるというんだ。もっとも、まだイジメに発展していないだけでまだマシだと言えよう。
(とは言え、流石にこのままではマズい)
そろそろ何か対策をしなければ、と思考に沈み掛けるその寸前、
「レ――コホンっ。レンさーん、ちょっと来い――あっ、来て頂いてもよろしいでしょうかー」
「はい……?」
普段から横柄なマスターが甘ったるい声を出しているこの異常事態に思わず耳を疑った。けれど向こう側で「気持ち悪い」と連発しひそひそ騒いでいる先輩たちを見て、現実だと知り。内心で首を傾げつつも声のする方へと向かうと、
「こ、こちらの方がレンさんにご用があるみたいで」
「――え」
入口を塞ぐ白い
赤い胴衣《ダブレット》の胸元につけていた誇り高き王家の紋章を見て、嫌な予感がする。
「貴殿がレン・アシュフォード?」
「は、はい、そうですが」
「なるほど。では貴女が……」
警鐘が鳴っているのに、理性が逃走を許してくれない。
王家の人間から逃げる――それは即ち、王家に背くことと同時に国家反逆者の大罪人として見なされるを意味することだ。と、以前風の噂で聞いたことがあった。
仰々しく巻き物を取り出した王家の使者はコホン、と咳払い一つ置いてから縦に広げる。
「レン・アシュフォード。貴殿はユージェニシア国第4代国王、リチャード3世の嫁候補として選出された」
「――はい?」
今、なんて?
「これはユージェニシア国で女性の生を賜りし者のみ享受できる至高の幸福である。明朝、貴殿には王都にお越しに頂き、王家の住まう地へ――エヴェロン城で暮らして頂いて嫁候補選抜に参加させて頂きます!
尚、国王陛下のご慈悲を拒否する場合、
「え」
(ええええええええええええ!?!?)
現場を取り巻く村人から祝福の拍手に浴びせられても、内心で悲鳴を上げるレン。
だって彼女は知っている。この拍手は、後々崖っぷちから突き落とすための大石に変貌するということを。
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