第6話

「――質問は以上か?」


「え、あっはい。今のところは」


 悪魔の声で我に返ったレンは慌てて姿勢を正す。では、と彼が長い足を組むと、


「まず、初歩的な人除けの結界を見せよう」


 突拍子のない話題変換をした。いきなり何の話、と彼女は内心で更に首を傾げる角度を深めると、瞬く間に部屋全体に紫の結界が張られたのだ。


「―――え」


 一体何が起こったのか――二度瞬きをしても現状をイマイチ呑み込めず、またしても間抜けな顔を晒すことになった。


「この結界の中にいる限り、他の人間に気付かれることはなかろう。まあ、我の力も衰えていたとは言え、これぐらいなら貴様も生きやすくなるだろうが――」


「あの、もっかいやっていいですか」


「おい、人間女。我が言ってる最中に下らない頼み事をするとは。貴様、一体どういうつもりだ――」


 悪魔が言い掛けた途中で取り止めたのは、いつの間に眼前に迫ってくる真剣な面持ちに息を呑んだからだ。

 有無言わさぬ碧瞳に悪魔は嘆息し、もう一回解いて張ってみせた。


「おおー」


「何のつもりなのかは知らぬが、これでま――」


「あのさ、今度は指パッチンやってからして」


 再度遮られても彼は小さな息をついてリクエストに応じると、

 

「わあー、すごいすごい!」


「やれやれ、見世物ではないだろうに……」


 最終的に膝の上で頬杖をつき、嬉しそうにはしゃいでいるレンを呆れた目で眺めることに。


「だってこういう不思議なもの、滅多に見れないんだから! ねえ、もっかいやって」


「やらん。大体、どうして我がたかが小娘のために魔力を浪費せなばならんのだ」


 腕を組んだままそっぽを向かれたが。今でも律儀に結界を維持しているところから鑑みると、悪魔関係なしに根は優しいだと再確認させられた。


「さて、これ以上留めるとこの人間は起きれなくなるから、そろそろお暇す――おい」


「はい?」


「どうしてこっち見てニヤニヤしてる、人間女」


「あ、あはははー、な、何故でしょうねー」


 冷や汗が背中に滲んでいくのを感じながら苦笑いで誤魔化そうとするレンに向かってフンと鼻を鳴らす悪魔。


「まあいい。では」


 退室した背中を立ち上がったまま見送り、足音が遠ざかったのを確認すると、彼女は盛大な息を吐き出した。


「魔力、か……」


 少々はだけているアンダードレスの襟に手をやっては唇を引き結んだレンの双眸からはやはり、嫌忌の色がやや強い。


「――こんなの、力なんかじゃ……」









 

「なんか最近嬉しそうですね、隊長?」


「む、そうか?」


 こちらに向ける黒髪女性の視線はなんだか含みのあるそれと似てるが、全く心当たりがないとばかりに首を傾げるフリント。


「そこはほれ、(気になってる人が)当初より大分話しやすくなったんだぞ? 男なら心底嬉しいに決まってる。な、隊長」


「何の話だ」


 隣の黒髪男性に目を向けるも、無視するように茶色いパンを頬張られた。

 本当、一体何の話だ。


「えー、隊長ー。まさか無自覚でやってますぅ~? だったら相当じゅ――」


 ふと、階段から下りる足音がした。朝ご飯を作って二度寝しているマスターを気遣う静かな足運び。

 まだ霧の濃い早朝に仕事に向かっている住人なんて、彼らのほかに一人しかいない。


「おはよう、レンさん」


「あら、皆さん。おはようございます。今日も早いですね」


 目礼を受け、その場で華奢な背中が出て行くまで見送り振り返ると、


「どう思います、兄さん」


「うーん。やっぱ軽症じゃね? まだ」


「ええー、そうかなー」


 揃いも揃って含み笑いで言った兄妹に首の傾げる角度を深めるフリント。


「だから何の話だ」


「ほらな」


「あー、確かに軽症だね。だけど」









 レンが使用済みの食器を下げている際に「そこの君、ちょっといいかな」と呼ばれ、仕方なく応じると、明らかに場違いな装いに内心驚く。

 これから舞踏会でも行くような、金・銀糸や模造宝石などでたっぷりと刺繍された盛装。あまりの派手さに周りの客がソワソワしているが、本人は至って気にしない様子。


「ほう、これは中々……」


 顎を触りながら値踏みするような目つきでしげしげと見る男性は、明らかにそれっらしい。しかしわざわざこんな辺境なパブに来るような物好きな貴族はもう絶滅したのかと思っていたため、実物を見るまですっかり頭から抜け落ちていたようだ。

 見定められているようで実に不愉快ではあるが、さっさと済ませればいいだけの話だ。


「君、キレイだねえ」


「ありがとうございます」


「名は?」


「レン・アッシュフォードと申します」


「アッシュフォードォ? 聞いたこともないなあ」


 質問というよりも、悪意のある皮肉の類だ。

 自分の家柄の方が格上だと誇張したい、という薄っぺらい承認欲求を満たすための言動に過ぎない。もっとも、言われた本人の心にこれっぽちも響かなかった様子が逆に勇ましく見える。


「ところで、このパンはとても食える代物とは思えないのだが。見てご覧、この薄汚い茶色を。僕の舌は白いパンしか受け付けないのでね、手を付けることすら怖いんだけど」


「申し訳ございません。当店のパンは一種類しか――」


「それになんなんだ、このミルク粥は。明らかに味付けがされてないではないか。一体全体、どうなってんだここの食事は」


「申し訳ございません」


 平謝りするレンに向けて難癖をつける男の言動に周囲がイラつく。

 男の言う上等の小麦から作られる白いパンは、町の有力者や聖職者、上流階級のみが食べられる高級品とされている。そのため、一般の町人は茶色がかかった硬いパンを食べるしかない。

 

「そうだ。いいこと思い付いた」


 男の冷笑に、悪寒が背中を走る。


「レンちゃんはさ、王都で働く気はないかい?」


 えっ、と見開く碧い双眸。

 今、なんて言った?


「正直に言うと、レンちゃんがここにいればいる程、その美貌の価値が下がるじゃないかと心配でねえ。僕のコネを使えば、それを有効活用できると思うんだ。なんなら、王様の嫁候補に入れてやってもいいよ?」


 男のネチネチした言い方に目眩がする。

 散々苦労してやっと逃げ出した地獄にもう一度戻りたいなどと、一瞬たりともレンの頭によぎることはなかった。辞退したいのは山々ではあるが、発言次第で村の存続が危うくなるのも事実だ。


 もし教会と繋がっていたら厄介だ。下手したら、『異端分子の粛清』の猛威の下で滅びかねない。

 言うなれば、今この瞬間、村の存続がレンの双肩に掛かっていると言っても過言ではない。

 一体、どうすれば……。


「レンちゃんだってさ、こんな辛気臭い場所で稼ぐよりも、王都の上品な空気で稼ぎたいと思わない? うん?」

 

「わ、たしは――」


 保身に走るか、自らを犠牲にして村を救うのか。

 相反する思考が胸中でせめぎ合う中、銀鈴の声がか細く震えた――そんな時だ。


「すまないが、これ以上彼女を困らせないで頂きたい」


 凛とした声色に振り向くと、頼もしい顔がすぐ隣にあって心の底から安堵した。


「せ、聖騎士?! どうして聖騎士がここに……」


「陛下の命で遠征中なのでね。暫くここを滞在するつもりだ」


 男は苦虫を嚙み潰したような顔で睨みを効かせても、毅然と立つフリント。

 それもそのはず。如何なる権力者であっても聖騎士の指示を従わなければならないからである。無論、国のトップである国王陛下は例外だが、その次に権威を持っている聖騎士が、今この場で逃走犯のために振りかざしているのだ。

 臆病ハートが震え出さないわけが――。

 

「レンさん、こっち」


 突然手を引っ張られ、きゃっと小さな悲鳴をあげそうになった、そんな時。シーッと口が押えられたおかげでなんとか衝動を堪えることができた。


「今は隊長に任せてどっかに逃げてください、レンさん」


「え、でも――」


「いいからいいから。ああいうヤツの扱いは隊長の方が一枚上手だから」


 片目を瞑る黒髪女性に小さく「ごめんね」を添え、そそくさと裏に避難した。

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