第3話

「レンさん、お願い! 私の代わりに、あのこわーい人たちのテーブルまで運んでくれないかな」


「えっ、わ、たしです、か……」


 レンの聖騎士三人組と関わらない保身プランがつえた今、リネンエプロンの肩紐が肩の下まで滑り落ちたことに気付いておらず、内心で冷や汗タラタラ状態。

 かと言って普段から誰かが嫌がることを自ら進んでやっていたから断るわけにはいかない。


「そうよー! ほら、こういうのって度胸を鍛えられると思うの。ましてレンさんはまだ新人だしさ、色んな経験を積んでおかなくちゃ」


「そうですね……」


 視線だけ辺りを見回すと案の定、休憩室の前でこちらをチラチラと見ては嘲笑する先輩たちの存在に気付いた。なるほど、と解を得てはお得意の営業スマイルを添え。


「分かりました」


「ありがと、助かるよ! レンさん、だーいすき!」


「……困った時はお互い様ですから」


 では、とスカートを翻し件のテーブルに向かうレン。

 背筋をピンと伸ばし微笑む姿はどこからどう見てもウェイトレスの鑑そのものではあるが、内心の慌てぶりと来たら代々まで語り継がれるべき泣き虫ぶりである。


「ご、ご、ご注文はお決まりでしょうか」

 

 いつも口にしていた定型文が頼りなく震えたが、すかさず笑顔でカバー。向こうも気にせず注文してくれたので非常に助かる。


「かしこまりました。少々お待ちください」


 流石人気急上昇のウェイトレス。嫌がる素振りが一切感じさせない洗練された身のこなしは実に目に見張るものだ。

 これで逃れられる――逸る気持ちを抑えつつ一礼して立ち去ろうとしたその時。


「あ、ちょっといいか?」


「はい、なんでしょうか」


 逃走を余儀なくされたレンは内心で「いやー、勘弁してー」と泣き叫びつつも応対。勘付かれたのか、金髪男性はどこか申し訳なさそうな顔をした。


「すまないが、我々は宿を探しているのでな。できれば長期滞在が可能で安く済ませるところがいいが、どこか心当たりあるだろうか」


「出た、隊長のケチ」


「倹約家と言われたいものだな」


 頭の後ろに腕を組む黒髪男性と対抗するように、金髪男性は呆れた目で返す。


「大体、たかが遠征調査で別に資金のことで一々気にすることもないじゃないですか。あとで幾らでも請求できますから」


 机に寄りかかっては頬杖をつく女性の加勢により、更に調子に乗る黒髪男性。


「あ、なんならさっきの街の宿に泊まろうぜ。一泊でもいいからリチャード1世のお気に入りの宿がどんなものだったのか、気になるなあ」


「お、珍しくいい案ですね兄さん。それで行きましょうよ、隊長」


「お前ら兄妹揃ってとんでもないこと言うな……。とまあ、この通り、この近辺で条件が揃った宿に心当たりあるだろうか」


「そう申されましても……」


 自分を捕まえにきたのではないと知ってレンは少し安心したが、少々肩透かしを食らったような気分になったのは実に謎だ。

 それに、村の中で宿と言えばここしかない。ここは酒場兼宿泊所として運営しているパブで、1階が酒場で2階が客室になっている。

 だが、問題はそこじゃあない。

 重要なのは、レンは彼らと同じ屋根の下で暮らしたくないということだ。下手したら、彼女の正体に勘付かれる恐れもあるし、なんとしても彼らの宿泊を阻止しなければ。


「申し訳ござ――」


 答えかけたところで、いきなり頭が下げさせられた。内心で驚いているとは言え、心当たりが一人しかいない。


「誠に申し訳ございません、騎士様。おい、さっさと謝らんか!」


 マスターが声を荒げてはいきなり謝罪を要求した。

 無理もない。騎士がこんな辺境に出向くのは今まで一度もなかったため、今仕方愛人宅から帰ったマスターが勘違いしてしまうのには頷ける。

 だけど、事実確認もしないで真っ先にスタッフに謝罪させるのはいかがなものかとレンは思う。


「申し訳ございませんでした」


 だけど不幸なリにも、部下なのはこちらの方だ。ならばできる限り要求に応えるのも部下の務めというもの。


「あ、いえ。宿泊のことについて尋ねてるだけだから、どうか頭上げてください」


「あ、そうだったんですか。それは大変失礼いたしました」


 お前などもう用済みだとばかりに、いきなり肘で突き飛ばされた。が、想定済みだったため、少しふらついただけで済んだ。

 とは言え、向けられてきた同情の視線は流石に堪えるものがある。大丈夫だとアピールするように、レンは周りの客に笑顔を振り撒き、最後に聖騎士三人組に会釈して今度こそ下がった。


(あの様子じゃあ、迎え入れる気満々だな……)


 へりくだっているマスターの話を聞いて、悩みの種がまた一つ増えたことに内心溜息一つ。

 当然と言えば当然の話だ。今のところ、宿泊を利用しているのはレン一人だけ。パブの存続危機を解決したがる人間とあらば、目前の商機をみすみす見逃すはずがないだろう。

 上手く行けば『聖騎士三人が滞在したことがある宿屋』として大々的に宣伝できる上に、村が花の災害に滅ぼされたとしても手に入った大金でウハウハライフを送れる。正しく、一石二鳥というやつだ。


(暫くやり過ごして、ほとぼりが冷めたらどこかに引っ越さないと)

 

 後ろ向きな考えを最後に、廊下に入ろうと丁度キッチンから出てきたシェフの男と目が合った。


「お疲れ様です、ザックさん。今から休憩ですか?」


「ああそうだが……その、大丈夫か?」


「はい? 大丈夫とは」


「そうか。いや、大丈夫ならいいんだ。気にしないでくれ」


「……分かりました。では、わたしは倉庫を整理してきますので」


 これで、と目礼したレンにザックは「ああ」と返すもどこか心配している様子。その場で彼女が倉庫に入って行ってもやはり憂色がやや濃い。

 ふと、思い出すのはすれ違い様に見た、あのほんのりと赤みを帯びた横顔。


「……気のせいだったらいいけど」






※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※






 

 一難去ってまた一難とはこのことかと、レンは身を以て知ったのはそれから四十分のことだった。


(マズい、マズいマズいマズい!)


 スカートを摘まみ上げながら走るレンの息はやや荒い。怪訝な眼で見る村人たちの前で装う余裕もなく、碧眼を皿のようにして探す。

 倉庫の中に長くいる分、感覚が狂ってしまうもの。最初はただ「蒸し暑いなー」ぐらいしか思っていない自分の愚かさが恨めしい。

 

 激しくなっていく動悸。風邪でもないのに躰全体に熱の膜が張っているようなこの感覚。顔が赤く火照っていることが分かる程の熱っぽさ。

 この前兆とは長い付き合いなはずなのにどうして手遅れになったのか。言わば、これまでの努力を水に差したようなものだ。


(しかもよりにもよって、鍵まで失くすなんて……! もう最悪!)


 倉庫整理に夢中になりすぎたのか、異変に気付いた時には既にポケットになく、いざの時に寝室に隠れるという緊急プランが不発に終わった。過失と言われればそこまでのことだが、彼女にとっては決して許されないミスである。

 だからとめどなく渦巻く自責の念に苛まれていても当然だ。だって、これのせいで危うく捕まりそうになったから。


「どこか安全な場所を……」


 タイムリミットがじりじりと迫る中、レンは暗闇の中へ姿を消した。




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※





「ここなら……」


 休憩するには良さそうなスポットを見つけて、腰を下ろしホッと息をつく。

 パブからちょっと遠いが、座ってみたら案外木や茂みの陰がいい感じに仕事している。これなら誰にも見つけられずに済みそうだが、


「臭い……」


 ゴミ場から少し近いというのが難点だ。


「さっさと終わらせよ」


 レンは眉をしかめながら深呼吸すると、長い間縮めていた羽を伸ばすように、背中から現れた天使の翼が満月の光を浴びる。


「気持ちいい……」


 縛られた苦しみから解放され、長い息を吐き出す。苦しかった顔が見る見るうちによくなっていて、乱れた呼吸も安定になっていく。

 一時はどうなるかと思ったが案外なんとかなってよかった――レンが安心しきったその時だ。


「――見つけた」


 辺りに響く凛とした沈んだ声にガバッと顔を上げる。視線の先、唯一の出口を塞ぐ人影の存在に気付いた。

 暗くてよく見えないが、人の姿をしていることから、相手は人であることはまず間違いないだろう。しかし、その頭上には何やら奇妙な形をした角のようなモノのせいで、余計に判別がつかなくなった。


 ――ガチャ。ガチャ。

 重く鈍い足音が確実にこちらに向かってきている。レンは後退っても背後にあるザラついた表面で逃げ道はないと気付き視線を戻す。しかし羽が展開しているこの状態で逃避すれば、自分の首を絞めるだけだ。

 一体、どうすれば――茂みのざわめきが大きくなる中、背中ごと木に預けたレンはストッキングホーズの留め具である紐を緩み始める。


「そこにいたのか」


 マズい、間に合わな――警戒心を剥き出しにした碧の双眸が一瞬にして驚愕の一色に染まった。

 月明かりの下で現れた男に驚いているではない。先程給仕した時になかった、金色の頭上に生えたあるモノに驚いているのだ。


「あ、あくま……?」


 彼の頭に生えている二つの角。

 それは、お伽話に出てくる悪魔と表現するのにピッタリな存在だ。


「そこにいたのか、フィー。ずっと探してたぞ」


「え――」

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