第6話 霞草

 週末になった。

 今日は静子と秋子が強烈に推進する、宗里雪子主催の男子高校生との懇親会である。

 場所は晴海で、雪子の知っている喫茶店で、という話になっている。

 優は内心少し緊張しながら目的地へと向かっている。

 今までこういうことは一度もしたことがない。どうしていいのやら、である。

 喫茶店に向かう前に女性陣は合流することになっており、優は晴海の手前の入船町にある公園へと向かった。

「お、優ちゃんきた~」

「こっちこっち~」

 ここ十数年で帝都にも西方型の公園がかなり増えた。都市部では、かつては侍たちが使っていた馬場や社寺の境内などが人々の憩いの場としてお祭りなどに使われていたものだが、今では近代的な“都市公園”がそれらに徐々に代わりつつある。

 ここ入船市民公園もそのひとつで、六年前にここにあった神社が移転されたのに伴って建設されたもので、花壇や腰掛けが設置されている。

 長い木製の腰掛けのひとつに、静子と秋子が座ってこちらに手を振っている。

「おまたせー」

 二人に駆け寄る。

 近寄ると、秋子がこっちの姿をじろじろ見て、訝しげに言った。

「あ、ちょっと優ちゃん、それ女学校にいっつも着て行ってるやつじゃないの?」

「うん。よく考えたらあたし他に服持ってなかったわ」

 そう、結局通学時の矢絣の小袖と海老茶の行灯袴といういつもの格好で来てしまったのだ。自分の持ってる数少ない着物を並べてみたが、これが一番女の子らしかった。

「なにその気合の入ってなさっぷり」

 よく見ると秋子も静子もいつもよりも随分と着飾っているようにみえる。特に秋子は随分と高価そうな小袖だ。静子も今まで見たことがない着物を着ている。

「まぁ優ちゃんらしいよね」

 あははは、と秋子が声を上げて笑う。

「まぁねぇ、これでなんか洋服とか着てこられたら逆に引いちゃうよね。誰だよお前! って感じで」

「洋服なんか持ってないもんあたし」

「でもむしろそのお洒落への無頓着さが私たちの優ちゃん! 逆にかわいい!」

「うんかわいい!」

「バカにしてるのか褒められてるのか判断に困るんだけど」

 困り顔の優。

 そのまま十数分ほど三人で雑談をしていると、公園の入口で周囲をキョロキョロと見回す見覚えのある顔が目についた。

 やや面長な顔立ちで、白い髪結で束ねた後ろ髪が頭を振るたびに馬の尻尾のように軽やかに跳ねていた。

 梔子色の小袖に、紫の巾着袋を手に下げている。

「ね、あれって」

「宗里さんじゃない?」

「あ、本当だ。雪子~!」

 気がついて、優が手を振った。

「ごめんね、みんな待った?」

「うぅん、大丈夫」

 静子が笑顔で返す。

 雪子が来ると、秋子がその姿を見て楽しそうに声を上げた。

「やだ宗里さんその小袖可愛い! 高かったんじゃない?」

「え、そんなことないよ。松野川さんこそすっごいかわいいよそれ」

「あー、ほんとだ可愛い~」

「三原さんだってそれ似合ってるよ」

 キャッキャとあっという間に着物品評会が始まった。

「優ちゃんはいつもの格好だね」

「悪ぅございましたね」

 半目で悪態の優。

「うぅん、そっちのほうが絶対いいよ!」

 しかし雪子の反応は他の二人と同じだった。

「ねー、優ちゃんはやっぱり“これ”かあの武道袴じゃないとね~」

「そうそう、それ以外だと優ちゃんっぽくないもん」

「そ、そうすか」

 誉められてるのか微妙な気持ちのまま、優は苦笑した。


 四人は合流してから、今度は男性陣との待ち合わせ場所の晴海の喫茶店に向かった。

 喫茶店は今の若者にとっては一番お洒落な場所である。喫茶店で西方風の珈琲や紅茶を啜るのがまさに今時の若者であり、優たちの年頃だとみんなそれに憧れる。おかげで最近の喫茶店はいつも若者で混雑しており、学生向けに安い店も随分と増えている。

「あー、緊張してきた」

 静子が落ち着かない様子で言う。

「落ち着くのよ静子! 今日はある意味勝負の日なんだから!」

 まだ男性陣は来ていない。朝倉正一という相手が既にいる雪子以外はみんなそわそわしている。

「ね、ね、優ちゃんってこういうお店とか結構来るの?」

 隣りに座った雪子が嬉しそうに話しかけてくる。

「いや全然来ないよ。生まれてからまだ何回かしか来た事ない」

「優ちゃんって武骨だよねー。その強さの源はこういう所なのかなぁ」

 若者の遊びをあまり知らない優。晴海で遊ぶようになったのも、秋子と静子に誘われたからだ。自分で来ようとはあまり思わない。

「優ちゃん硬派だからね。よっ! 男前!」

「静子お前そういうこと言うと後で覚えてろよ」

 静子がケラケラ笑っている。

「あっ、来たよ! あれじゃない!?」

 喫茶店の窓から、こちらに近づいてくる男性四人組が見えた。

「総員戦闘配置! 敵襲敵襲!」

 さっきまで雑談していたくせに、あっという間にみんな物静かな上品な感じで紅茶をすすり始める。

「変わり身早いな……」

 優だけあんまりついていけてない。

 扉が開くと、付いていた鐘がカランカランと鳴り響いた。

 四人は真っ直ぐにこちらの席に歩み寄ってくる。

「雪子さん、おまたせ。遅くなってごめんね」

「正一さん。大丈夫、私達も今来たところだから」

「じゃあ失礼して。みんな座れよ」

 正一と、他三名が着席する。

「今日は楽しそうな場が設けれてよかったよ。紹介する、こっちは僕の同級生たちで、左から今川、財津、小野里」

「よろしく」

「こんにちは」

 紹介された三人は、いずれもなかなかいい男である。みんななかなか背が高いし、太っていたりガリガリに痩せていたりもしない。清潔感があり、女性に人気の出そうな感じの面々である。

「じゃあこっちね。私のことは……財津さんは初めましてね。正一さんの許嫁の宗里雪子です」

「話は聞いてたよ。おい朝倉、お前随分と美人を捕まえてるじゃないか」

「よせよ」

 冷やかされてもやっぱり満更でもない正一。

「でこっちがお友達の、八神さん、三原さん、松野川さん」

「こ、こんちは」

「初めまして」

「よろしくお願いします」

 横目で見ると静子はちょっと頬が桜色に染まっている。秋子も秋子で緊張した面持ちだ。

 自分はきっと、笑顔がひきつってるような気がする。

 柔術の試合に出る時の心地良い緊張ではなく、嫌な感じの緊張の仕方だ。あぁ、なんとなく居心地が悪い気がしてきた。

「みんなは同じ学校なの?」

 財津、という人が最初に尋ねてきた。短髪で、ややがっしりした体格をしている。

「あ、いえ。宗里さんだけ違ってて。私達三人は一緒なんです」

 秋子の返事に、今度は今川が乗ってきた。

「ん。じゃあどういう繋がりなの?」

「私と優……八神さんが、柔術のお友達なんです」

 雪子がそう返すと、みんながへぇ、と小さく呟いた。

「柔術やるんだ」

「凄いねぇ、女の子なのに」

「八神さん、この中で一番小さいのに一番武闘派だったか」

 ははは、と冗談交じりの男性陣。

「宗里さんも柔術やるんだよね。どっちが強いの?」

 興味本位であろう。小野里と呼ばれた男が何の気なしに、軽くそんな質問をした。

 八神優と、宗里雪子と、どちらが強いのか。

「……」

 優は無言で何も言わない。

 雪子も無言で固まった。

「……あれ、変なこと聞いちゃったかな」

 なんとなく気まずい雰囲気を感じて、小野里が自分の失敗に気づく。

 これは非常に敏感な話題だったようだ。

「……この間、優ちゃんに負けましたから。優ちゃんのほうが強いですよ」

 少しして、無理して作った笑顔で雪子が答えた。

「へ、へぇ。そうなんだ」

「雪子も強いですよ。あたしとほとんど変わらないです」

 優がそう付け加える。

「……そ、そういえば八神さんって下の名前は“ゆう”って言うの?」

 小野里が空気に耐えかね、話題を変えてきた。

「え? あ、はい。優です。優しいって字を書くんですけど」

「いい名前だね。“子”が付かない名前って最近少ない気がするよね」

「……そういやそうですね。今日ここにいるのも秋子に雪子に静子ですもん」

「優ちゃんも優子が良かった?」

 秋子が笑ってそう聞いてきた。

「うぅん、別に。あたし自分の名前気に入ってるし」

 首を振って答える。

「じゃあ、八神さんのこと優ちゃんって呼んでもいい?」

 小野里が続いてそんな事を聞いてくる。

 なかなかぐいぐいと迫ってくる男のようだ。

「え……」

「おい小野里、気安いぞ」

「そうか?」

 まだあまり初対面の女性を下の名で呼ぶような習慣のない世の中である。

 このような男性と相対したことのない優は戸惑うばかりだ。

(なんかこの人やりづらいなぁ……)

 内心そんな事を思ってしまう。

 今まで、父親以外の男性とはあまり接したことがない。みんなこんな感じなのだろうか。

 一度下げた目線を再び上げると、小野里がまだこちらをじっと見ていたので、気まずくて優はまた視線を落とした。

「そういえば、麹町に新しい劇場が出来たらしいね」

 今川がふと話題を変えた。

「あぁ、知ってます。なんでもすごい大きいとか」

「お、松野川さんってもしかしてお芝居とか好きな人かな?」

「はい、大好きなんです! まだ新劇場には行ったことないですけど、柏木町の旧劇場には何度も」

 秋子が楽しそうに言う。

 秋子は歌謡や演劇が大好きな現代っ子だ。こういう話は大得意。

「西方型の演劇とかみんな観ます? 私、谷口幸次郎が大好きで」

 秋子が出した名前は、今評判の俳優のことだ。帝都で知らない若者は少ない。

「谷口幸次郎! いいねぇ、僕も好きなんだ」

 今川も秋子の言葉に乗っかった。

「この間静子と一緒に観に行ったんですよ。もう最高で!」

「私はどっちかっていうと大倉洋介の方が好きで……」

「売り出し中の若手だよね」

「僕は喜瀬美津子だなぁ。あの怒る演技が格好いいんだ」

「わかるわかる。背が高くて格好いいんだよ」

「でしたら、渋沢美子の方が……」

 みんなが演劇の話題で盛り上がり始めた。

 現代蓬莱の娯楽と言えば、歌とお芝居とまで言われるご時世だ。みんな歌手と俳優女優には詳しくて、劇場には足繁く通うものばかりである。

 今日の男性みんなもそのようだし、秋子や静子がそういうのが好きなのは前から知っている。

「八神さんは誰が好き?」

 今川が話題を振ってきたが、優はちょっと困った顔をすると、

「あたし、お芝居とか観ないんで全然わかんないです」

 正直にそう答えた。

「あ、そうなんだ。じゃあ歌手とか……」

 小野里が話題を少し変化させて優に助け舟を出そうとするが、その話題も同じだ。

 まるでわからない。

「優ちゃんあんまりそういうの興味ないんですよ。誘っても一緒に来ないし」

「ねー。たまには付き合ってよ」

「あはは、今度ね」

 秋子と静子が話題をキッパリと断ち切ってくれた。

「……」

 他のみんなはまた別の話題で盛り上がり始める。

 話題はあれこれと変化に富み、野球の話、洋菓子の話と次々と変化していく。

(……参ったなぁ)

 会話に全くついていけないのは自分だけのようだった。

 自分は世の中のことをあんまり知らない。

 箱入り娘でもないのに世間知らずなのだ。

 わいわいと騒ぐ若者たちの中で、優は少し孤独感を感じていた。


 一時間も経っただろうか。

 みんなは話がかなり盛り上がり。店を移動しようという話になった。なんでも男性陣がおもしろい店を知っていて、そこで洋菓子を食べようというらしい。

「結構離れてるんですか?」

「いいや、すぐだよ。十分も歩かないさ」

 秋子や静子はすっかり男性陣と打ち解けていた。二人とも社交性が高い。大したものである。

 わいわいと騒ぎながら歩き始めて少しして、優は他のみなに見つからないようにこっそり雪子に近づくと、その手をそっと引いた。

「雪子」

「優ちゃん。なに?」

 雪子は嬉しそうに振り返った。

「ごめん、あたし今日はもう帰るよ」

「えっ」

 帰ることを告げると、雪子の顔色が曇った。

「ごめん、つまんなかった?」

 雪子が申し訳なさそうに言う。

「うん、いや、そういうことじゃないんだけど」

 ちょっと考えて、言葉を選びながら続ける。

「なんていうかさ、こういうの慣れないよ。ちょっと疲れちゃった」

「そう……」

 笑顔で言うが、雪子は残念そうに呟いた。

「二人ともどうしたの?」

 正一が二人の足が止まっていることを気にかけて、声をかけてきた。

「ごめんなさい正一さん。ちょっと乙女の内緒話なの。先に行っててくださる? すぐに追いつきますから」

 雪子の言葉に、正一は何やら察したらしく、

「わかった。じゃあ、僕はそこの角の所で待ってるから、終わったら来てね。道わかんないだろう?」

 そう言って立ち去った。気配りのできる男だ。

「……じゃ、帰っちゃう?」

「うん、ごめんね」

「そっかぁ。残念」

 雪子が寂しそうに言う。

「あたし、あんまりみんなみたいな話も出来ないから、ってのもあるんだけど」

 優の言葉に、雪子が何か気がついた顔をする。

「今ちょっと忙しいから」

 何で、とは言わない。しかし、雪子にはなぜ忙しいのかがわかる。

「……そっか。そうよね」

「?」

「優ちゃん。この間、津吹先生の所に行ったんでしょ?」

「うん」

「じゃあそうよね。私も適当な所で切り上げて帰るわ」

「雪子もなんだよね」

「うん」

 雪子の表情が変わっていた。瞳の奥に、何か燃えるものが見える。

「優ちゃん、私強くなってるよ」

「あたしも強くなってるよ」

「……選抜試合、多分どこかで当たると思う。本気でやれるね」

「楽しみにしてる」

 さっきまでの女学生の宗里雪子ではなく、柔術家宗里雪子がそこにいた。

「……でもさ、もし外国行くことになったら正一さんどうすんの?」

「痛いとこつくね……」

「いいのかな~。三年も離れてたら浮気されるぞ~」

「大丈夫よ! 正一さんそういう人じゃないから! 心理攻撃はやめなさい!」

 あははは、と二人で笑う。

「でもね、優ちゃん。実は私、今日結構楽しみにしてたんだ」

「そうなの?」

「優ちゃんと普通にお友達として遊んでみたかったのよ」

 笑顔で言う雪子。

(そういうこと言われると帰りづらいなぁ……)

 ちょっと困る。

「あはは、困らせたいわけじゃないのよ。そうじゃなくて、また今度一緒に遊んでね、って言いたかっただけなの」

「なんだ」

「約束ね。戦うだけの間柄はちょっと寂しいから」

 雪子が右手をそっと差し出してくる。

「うん。いいよ」

 優が握手すると、雪子は左手も添えて両手でぎゅっと優の手を握った。

 雪子の手が温かい。

「じゃ、正一さん待ってるから行くね」

「うん」

「またね!」

 大きく手を振って雪子は早足で去っていった。

 優は、先程までのなんだか寂しい気持ちが、すっかり吹き飛んでいることに気がついて、一人家路についた。

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