第5話 柊南天
宮若流の百花館で津吹珠緒から話を聞いたその夜。
日もとっぷりと暮れると、庭で鈴虫がリーンリーンと泣き出した。
八神家は四人家族で、父母と姉妹だけで毎晩の食卓を囲む。武術一辺倒の優の作る料理はあまりの不味さで家族に大不評のため、今日もちゃぶ台にはいつもの様に母が一人で作った手料理が並んでいる。
「いただきまーす」
今日の夕飯の献立は白米に豆腐の味噌汁、漬物、大根の煮物、サンマの塩焼きである。
「おい優、今日津吹先生の所行ってきたんだろ」
サンマをつまみながら、父が今日の報告を促してきた。
「あー、行ってきたよ。すごかったよ今日はー。色々あってさー」
「あんた失礼なこと言わなかったでしょうね」
「姉ちゃん醤油とって」
「自分で取れよ」
今日も八神家の食卓は賑やかである。
「でさ、父ちゃんと母ちゃんに話があんだけど」
「ん?」
「なによ改まって」
「あたし外国行きたい」
優の言葉に、家族が全員固まった。
「はぁ?」
「あれだよ父ちゃん、姉ちゃんバカだから隣の県のこと外国だと思ってんじゃない?」
「違ぇよ! これ本気の話!」
怜は姉の言葉を全く信じない妹である。
「……外国ってどこによ?」
「なんだっけ。ユシだかなんだか」
「ユウィか?」
「そう、それそれ」
「お前、ユウィってすっごい遠いんだぞ? 船でひと月はかかるんだからな」
「らしいね」
「らしいねってあんた、そもそもなんであんたがそんなとこ行くのよ」
母がもっともな質問をしてくる。
「なんか、ユウィが柔術家を蓬莱から呼び寄せて、柔術の研究したいんだって。で、若い女子柔術家にも声がかけられて、こないだの桜花の帝都予選で優勝したあたしに声がかかったの」
「……それ本当の話?」
「うん」
「津吹先生が言ったの?」
「うん」
母が完全に固まっている。
「姉ちゃんすごいじゃん!」
「だろ!?」
「……いや、たまげたな。そんな話だったとは。無理してでも今日は付いて行くべきだったか」
父も驚いた顔のままで、味噌汁を一口すすった。
「冬に選抜試合があって、そこで決まるらしいんだ。上手く行けば春から外国」
「でもそれって旅費どうなんの? まさか自腹じゃないよね?」
妹がボリボリとタクアンをかじりながら聞いてくる。
「なんか国が出してくれるってさ」
「へー。じゃ、むしろ給料とか出るんでしょ?」
「うん。もしかしたら毎月三十圓くらいもらえるかもって」
三十圓。大金である。十五歳で働いたとして、普通はこの半分いけばいい方だ。
「うっそすげぇ! お姉ちゃん大好き!」
「あたしお前のこと嫌いだけどな」
満面の笑顔で抱きついてきた妹に冷たく言い返して、改めて父母に向き合う。
「だから、父ちゃん母ちゃん、卒業したら外国行かせて下さい!」
優は頭を下げた。
父母に頭を下げるなど何年ぶりだろうか。
「……八神無双流を外国人に見せるのか」
父は少し渋い顔で言う。
「あれは一家の人間にしか教えちゃいけないんだけどな、建前上」
「でも」
「だから、あんまり奥伝に関わるようなことは教えるなよ。初歩だけにしとけ」
「じゃ、父ちゃん」
「父ちゃんは反対しないよ。お前の人生なんだから好きにしろ。その代わりなんかあっても自分でなんとかするんだぞ」
「母ちゃんは……」
母に向きあうと、母は……。
「……駄目よ! 絶対駄目!」
「えっ」
「嫁入り前の十五の娘を一人で外国にやるなんてとんでもないわ!」
意外にも母は断固として拒否の構えだった。
普段から口うるさい母親ではあったが、割と子供の自主性を尊重する人のはずだ。こんな風にはっきり『行くな』と言うとは思いもよらなかった。
「津吹先生たちも一緒だし……」
「駄目よ! あんたみたいなそそっかしい子が外国だなんて……」
「おいおい、母さん」
「あなたもいい加減なこと言わないで下さい! 優になにかあったらどうするんですか! 帝都でだっていい働き口がいくらでもあるんです、可愛い娘を外国にだなんて……」
そういう母の目からは涙が溢れていた。
外国行きだなんて、びっくりさせすぎたのかもしれない。
喜んでくれるものだとばかり思っていたが、そうでもなかったようである。
「おい母さん、泣くなよ」
「優、お母さんは許しませんからね」
母は涙のまま、味噌汁をすすりはじめた。
母の涙からは、自分を心配する親の愛情を感じるだけに、こちらもこれ以上は言い返し辛い。ただでさえ、普段から心配かけてばかりなのに。
「姉ちゃんこの食卓の空気どうすんだよ」
「……お前もさっきまでノリノリで参加してたじゃん」
結局この日の夕食は、無言で終わってしまった。
夕食後、優は怜と少し稽古をして汗を流した。
秋になり、夜半の空気が涼しい。過ごしやすい季節である。
鈴虫の音が道場の中にまで聞こえてくる。
その後、風呂に入り、寝間着に着替えて、就寝。
八神家は狭く、部屋数がそんなに無いので、自室は妹と共用である。
「寝るぞー」
狭い部屋で妹と枕を並べ、灯りを消した。
「おやすみねーちゃん」
「おやすみ」
優はこの季節の夜が好きだ。
暑くて寝苦しくもないし、寒さに震えることもない。
自分の大好きな武術のことでも考えながら眠りに落ちるのは最高に安らぐ。
(明日はなんの練習しようかな……)
そんなことを考えていると、すぅすぅと隣から聞こえてきた。
怜はもう眠ってしまったらしい。
妹の寝息を聞きながら、自分もまどろむ。
そのまま眠りの世界に入ろうとしていた時だ。
とんとん、と襖を叩く音がした。
「……だれ?」
「父ちゃんだよ。優、起きてるか?」
「うん」
襖を引くと、着流し姿の父が立っていた。
「怜は寝てる?」
「うん」
「ちょっと話さないか」
「いいよ」
「うるさくして母さんや怜を起こすとかわいそうだ。道場に行こう」
父に連れられて、道場へ移動する。
夜の道場はひんやりとした空気が漂っており、窓から雲のかかった月が見えていた。
二人で適当に座り込む。月明かりのせいで灯りを付けなくても道場内は明るい。
「……さて」
父は優の姿をじろりと舐めるように眺めた。
「……大きくなったなぁ、お前」
「何いってんだよ」
「いや、まだ小さいけどな。でも、ついこの間までよちよち歩きしてたと思ってたのに、今じゃもうすっかり大人顔負けだ」
「十五だからね」
「……お前、こないだ好敵手が出来たと言っていただろう」
「ああ」
「誰だ?」
「桜花大会の決勝で戦った、宗里雪子だよ」
「小野椿流の宗里先生の娘さんか」
「知ってるの?」
「宗里先生とは顔見知りだからな。あの子が小さかった頃に抱っこしてやったことも有るよ」
津吹もそうだが、雪子の父も知り合いだとは知らなかった。
意外と父は顔が広いのだろうか。
「そうだったんだ」
「試合の時になにか言われなかったか?」
「直接話はしなかったけど……。あ、そういえばあたしの寝技に気を付けろとか叫んでたなぁ。なんで知ってんだろと思ってたけど」
「俺が昔、宗里先生を寝技で破ったことがあるからな」
「そういうことかぁ」
父の他流試合の話は今まであまり聞いたことがなかった。
若い頃有名だった、という津吹先生の話も、あながちホラではないのかもしれない。
「不思議な縁ってやつだな。親同士、娘同士で戦ってるとは」
「雪子、いいやつだよ」
「良かったな」
「うん」
ちょうど父が座っている位置に、この間は雪子が座っていたのを思い出す。
「西行きの件だがな」
「うん」
父はいつもの笑顔。
「母さんには父ちゃんからちゃんと言っておくから、お前は自分のしたいようにしろ」
「いいの?」
「いいんだよ。母親は心配するのが仕事なんだから」
ははは、と笑う父。
「……泣かれるとは思わなかったんだもん」
正直、あれはきつかった。
今までに散々叱られたが、泣かれると自分がとんでもないことをしでかしてしまったのではないかと心が辛くなる。自分のことを心配しての涙だと思うと、尚更だ。
「優、お前はまだ若い。好きなことをしてみなさい。うちは貧乏だから金銭的にはあまり援助はできんが、それ以外なら出来る限りは力になるつもりだよ」
「父ちゃん」
「正直に言えば、うちには男の子が生まれなかったが、女のお前に八神無双流を継がせるのは少し抵抗があった」
「そうなの?」
「やっぱり武術は危ないからな。女の子にわざわざ危険の多い道を歩ませるというのもどうしたものかと随分悩んだよ。でも、親父と……いや、じいさんと話してな。お前に対する一番の贈り物になるんじゃないかと考えなおしたんだよ。お前のこれからの人生において、他の人にはないお前だけの財産になるんじゃないかと思ってな。別に、武術家にならなくても、普通の人にはないものだ。何かの役には立つんじゃないかと――」
父は遠い目をしながら、懐かしそうに語っていた。
「俺も若い頃には色々と無茶をした。自分がこの世で一番強いんじゃないかと思い込んで、いろんな相手と戦った。運良く命を落とすことはなくこの歳まで生きてこられたが、死にかけたことは何度も有る。本来、武術というのは悲惨な最後も十分にありえる……」
「うん」
「俺も母さんも、お前たちが可愛い。無茶はしないでほしいが、それは若い頃に俺が無茶するなと言われてもしてしまったのと同じ様に、お前たちも結局無茶してしまうんじゃないかと思うよ。だからまぁ、うまく言えないが、やりたいようにやればいいんじゃないかと思うよ」
「……うん」
「お前が居なくなるのは寂しいが、お前が八神無双流を継いでくれたのは嬉しかったからな。俺が教えた武術がお前の将来を切り開いてくれたのなら尚更だ。好きにしなさい」
「……あのさ」
「ん?」
「冬の選抜試合に、さっき言った宗里雪子が出るみたいなんだ」
「そうか」
「雪子ともう一度戦いたいんだ」
「……次はきっと、寝技対策を相当にやってくるぞ」
「こっちも立ち技対策するから大丈夫だよ」
「そうだな。しごいてやる」
「次も勝つよ」
「うん」
普段は父親などぞんざいに扱うのが姉妹の常だった。
しかし、父親と話していると心が安らぐものがある。
小さな頃の、その胸の中で眠った時の心地よさを、今でも心の何処かに覚えているからかもしれない。
海老茶の行灯袴に矢絣の小袖。
いつもの女学生の格好で女学校への道をいつものように歩く。
最近は通学中も色々考えてしまう。それは主に今後のことと、柔術のことなのだが、考えが全然止まらない。夢中になるとそのことは頭から離れなくなってしまうものだ。
歩いていると、いきなり目の前に一輪の野菊が突き出された。
「おっ!?」
「はぁーい、お嬢さん! 今日もかわいいねぇ!」
秋子だ。
「なにその野菊」
「来る途中に見つけたから摘んじゃった。かわいいでしょ?」
秋子の言うとおり、白い花びらの野菊は小さく愛らしい姿をしている。
気が付けばもうそんな季節になったのか。
「そういや最近涼しいね」
ふと気が付けば、最近は日中歩いていても全く汗をかかなくなった。
風が心地良い。
「もう秋だもんね。秋! 秋ですよ! 秋子ちゃんの季節!」
「秋子ちゃんのウザさが強化される季節ですよね?」
「いやんもう! 本当は嬉しいくせにっ!」
秋子は今日も明るい。
春まであと何ヶ月だろうか。
こうして秋子と一緒に通学できるのも残り少ない。
学校の授業は今日も退屈そのものだ。全くおもしろくない。
なんでこんなに今日のない話をみんなまじめに聞いてられるのかが不思議でしょうがなかったが、その謎はとうとう卒業まで解けることはなさそうである。つまらないままだ。
ふと外に目をやると、校庭の隅の方に藤袴が花をつけているのが見えた。
「八神さん?」
「! はい!」
「授業ちゃんと聞いてる?」
「あ、すいません」
ぼーっとしてたら保科先生に注意されてしまった。
近くの席で、静子がこっちを向いて笑っていた。
放課後に保科に再び生徒指導室に呼び出され、優は秋子や静子を待たせたまま生徒指導室に向かった。
「八神さん、進路はどう? 決まった?」
保科の手元には何枚かの書類が置いてある。
ちらりと見えたが、女給や工場、病院の事務など、どうも就職斡旋の書類のようだ。優を心配して、就職先を幾つか探してきてくれたのだろう。
「実はね、先生の知り合いで働き手を募集してる所が……」
「あの、先生」
保科の話を遮って、優が声を出す。
「なに?」
「実はその、まだちゃんと決まったわけじゃないんですけど」
「どこか進む先が見つかったの?」
「はい」
「あら、良かった。どこ?」
保科はにっこりと笑った。
親身になってくれる、良い先生である。
「あのですね、えーと」
懐から一枚の紙切れを取り出す。覚えられないので書いておいたのだ。
「蓬莱帝国渡悠派遣使節団です」
『悠』というのはユウィのことを示す略語である。
「……え? もう一回言ってもらってもいいかしら」
「えと、蓬莱帝国渡悠派遣使節団です」
「それってその、どういう内容の」
「なんか、外務省って所でユウィに送り出す人たちの……」
ガイムショウというのがなんなのかよくわかってないが、父いわく外国と話をするお役所だそうである。
「その使節団で間違いないのね……。どういうことなの」
混乱した顔の保科。
「なんか変ですか?」
「変というか……。あなた、どういうツテでそんな仕事を?」
「柔術です」
「柔術?」
「あの、外国で柔術を教える仕事があって、それに選ばれるかもしれないんです」
「……凄いわねあなた」
なんとなく話の概要がわかったらしい保科。感心している。
「この間、柔術の大会に出たって言ってたものね」
「あ、はい。その時の審判長が女子の柔術指南役を選んでるんです」
「芸は身を助けるとは言うものの、まさかこんな話になってるとは先生びっくりしちゃったわ」
あはは、と保科が笑う。
「で、それには選ばれそうなの?」
「冬に選抜試合があって、それに勝てばなんとかなりそうです」
「そう。先生、柔術のことはよくわからないけど、きっと八神さんすごく強いのよね」
「強いっすよ」
「でしょうね。先生、応援してるからがんばってね」
「ありがとうございます」
「今日はもう行っていいわよ。八神さんの面談も一応これで終わりにしとくわ。合格できたら教えてね」
「はい、失礼します」
生徒指導室を出ると、部屋の前には秋子と静子が待っていた。
「おつかれさま。終わった?」
「うん」
笑顔で答える優。
「よし、帰ろっか」
「おーう」
三人は校内を玄関へと向かって歩き出した。
廊下を歩き、階段を降りれば出口はすぐである。
「そういや今週末ですねお二人さん!」
「なにが?」
なんのことだっけ、と優が生返事をすると、静子と秋子が鬼の形相に変化した。
「宗里先生主催の男子高校生様とお友達になる会だよアホ!」
言われて思い出す。そういえばそういう話をこの間していた。
「あーあー。思い出した。そういやそういう話してたわ」
「忘れるんじゃない! いいかお前絶対にすっぽかすなよ! 宗里さんと何話していいんだか私ら共通の話題とかないんだからな!」
横から二人がかりで優をぶんぶんと振ってくる。
「ええ~~~ 別によくね? あたし居なくってもさぁ」
「よくねぇよ!」
静子が優の頬を両側からつまむ。
「貴様これがどれほど貴重な機会なのか全くわかっておらんなさては!」
「こういうの逃したら後々に悲惨なお見合いが待ってるんだ! 親のツテで微妙ヅラのオッサンとか紹介されたりするかもしれないんだぞ!」
「は、はいすいません」
静子と秋子の説教がなんか本気っぽくて怖い。
今は稽古に打ち込んでいたいのだが、今週末は逃げられそうにない。
夜。
自宅で優はいつものように稽古に励んでいる。
今日の相手は怜である。父は今日は帰りが遅いようで、妹に無理やり付き合わせている。
西行きの話があって以来、最近は稽古も柔術の比率が非常に高まっている。
今、寝た状態の優の上に、怜が覆いかぶさっている状態だ。優が下、怜が上。
「よっ」
寝技の攻防の稽古である。
優は抑えこまれた自分の右足を上手く抜き、勢い良く回転して怜を押さえ込んだ。
怜は綺麗にひっくり返され、先程までとは上下が逆になっている。
こういった寝技で上下を入れ替える技術を八神無双流では“返し”と呼んでいる。
「おお、今のちょっと良くなかった?」
「新しい返し?」
「うん。今日授業中に思い付いたんだ」
「いや勉強しろよ姉ちゃん。留年するぞ」
技は無限に存在する。
これだけ毎日練習していても、次から次へと覚えるべき技は湧いてくるのだ。
戦いではどういう状況に追い込まれるかわからない。
どんな状況でも戦えるように、あらゆる状態を想定して技を磨く必要がある。
怜の右腕を腕ひしぎ十字固めにとる。
腕が伸びかけた所で怜が床を叩いた。参ったの合図である。
「ふー……」
技を解いて優が立ち上がる。
「姉ちゃんやっぱ強いわー……」
怜も続けて上体を起こす。
怜も弱くはないのだが、優にはまるで歯がたたない。技術力の差に加えて、二歳年下で体格が優よりも更に小さい。腕力もない。
「あ、そういやさ」
優が、思い出したように怜のほうに振り返った。
「なに?」
「ちょっと相談なんだけどさ、今度の週末出かけるんだよ」
「うん」
「友達何人かと、男の人数人で」
「えっ!? なにそれ!?」
怜がびっくりした顔をしている。我が妹ながら反応がムカつく。
「色々とあってそうなった。でさー、あたしどういう格好していきゃいいのかな」
「え、ええー……、色々突っ込みどころは多いけどさ、まず最初に」
「うん」
「それ逆だろ逆! 妹が姉貴に聞くことだよ! なんで妹に相談するんだよバカ!」
怜に怒られてしまった。まぁ、言われてみればもっともな気もするが。
「え、い、いいじゃん。あたしよりあんたのほうがまだそういうの詳しくない?」
ちょっとしどろもどろの優。
「姉ちゃん武術バカだからなー。まぁしょうがないかぁ。にしても、姉ちゃんが男と遊ぶとか信じられないわ」
「成り行き上しょうがないんだよ。あたしだって別に積極的に行きたがってる訳じゃなくてね」
「姉ちゃんも十五だしそういうのに興味持ってもいいんだとは思うけどさー。でもそもそも姉ちゃんほとんど服持ってないのになにを悩むの? 選択肢がないじゃん」
「えっ、いや、それはそうですけど」
痛いところを指摘された。確かに可愛い服とかほとんど持ってない。いつも学校に着て行ってるのが一番かわいいんじゃないかという気すらしてくるほどだ。
「私の着物でしたら貸しませんことよ?」
怜が先手を打って釘を差してくる。
「そこまでは言わないけどさー、なんかあたしだけ変な格好で、あんまり周りから浮くような感じだと困るし……」
「絶対浮くから安心しろ」
きっぱりと断言する怜。
「そうかなぁ」
こいつに相談したのは間違いだったな、とひとりごちる優。
妹への相談はいつもどおり全く役に立たなかった。秋子や静子に服を借りるのもなんとなく嫌だし、そこまでするほどの事か? という気もする。
なんとかなくモヤモヤした気持ちを抱えたまま、優は気を取り直して稽古を続けた。
その日、寝る前に少し母と話をした。
母は寂しそうに、「勝手にしなさい」と告げてきた。
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