第3話 花椿
あれから数日が経った。
宗里雪子と会って以来、八神優はすっかりやる気を失っていた。
稽古にも身が入らない。なんだかやる気がでないのだ。
別に武術が飽きたわけでも、嫌いになったわけでもない。
たぶん、目標がないことが原因だと自分で思っている。
特に大きな大会もないし、女の武術で何か社会的に成功できるわけでもない。戦いたい強敵もいない。
すっかり宙ぶらりんである。
教師の保科からは、進路について考えろとせっつかれているが、なんにも思いつきやしない。そんなこと言われても今の自分にはなんにもやる気がわかないのだ。
そんな日々が続いてしまったある日。家で一人で悶々としているのが嫌で、優は秋子と静子を誘って、街へと遊びに出かけることにした。
行き先は学校から片道一時間程の港町、晴海町である。
晴海は帝都の玄関口であり、外国人も多い蓬莱でも随一のお洒落な場所で、舶来品を扱う商店街や流行りの珈琲の喫茶店など、若い女の子を魅了するものが山ほどある。
「優ちゃんが晴海行こうなんて珍しいね~」
秋子が優を見てそんな事を言ってきた。
「そう?」
「いや絶対そうだよ。珍しい」
静子も全くの同意。
「こういうとこにあんまり興味ないじゃない?」
「ん、まぁ興味ないっちゃないかも」
「今日はどしたの?」
「うーん、なんか最近色々行き詰まっててさー。気分転換したかったんだよ」
「あら、珍しい」
驚き顔で静子が言う。
「でもさ! 私達花も恥らう十五歳じゃない! 華の女学生じゃないですか!」
急に秋子が声を張り上げる。
「お、おう」
「もっとこういう所で遊んでもいいんじゃあないかと思うんですけどもね! そのへんいかがですかお二人!」
「秋子は暇人だからいいけどさー」
「暇じゃないよ! なに私が何もしてないみたいに言うの!」
「チッ、これだから金持ちのお嬢は困るんすよね。私ら貧乏人の小娘には毎日苦労が一杯なんすよ」
静子の嫌味が今日も冴えている。
「ちょ、そういう逆差別みたいなのやめてよ! なんか居づらくなってくるじゃない!」
「格差って嫌ですよね優さん」
「ホントですわね静子さん」
「やめろー! 友達じゃないのか!」
晴海の一角、秋本通りを通称『煉瓦街』と呼ぶ。
その名の通り、煉瓦で出来た建物が並ぶ、晴海の中でも一番の繁華街である。
三人はそこをキャッキャと騒ぎながらウロウロ歩き回っている。学生なので懐が寂しいため、ほとんど見てるだけなのだが、気の合う友達と冗談を言い合いながらこうしてうろつくだけでとっても楽しい。
煉瓦街の舶来品店は、目新しい商品で人目を引こうと扉を大きく開いて一見の客が入りやすいようにしており、店内に気軽に入って品物を眺めることが出来る。優たちと同様に舶来品店巡りをして楽しむ女学生はここでは山ほど見かけるほどだ。
「でさでさ、ちゃんとした時計とか欲しいじゃない。鳩が飛び出て鳴いて時間を知らせてくれるのがあって、それを買ってみたいのよ」
「え? 鳩が鳴くってなにそれ? うるさくない?」
「鐘の音より可愛いじゃん」
晴海で一時間ほどウロウロとほっつき歩いているとき、会話の途中で優が急にびっくりして固まった。
「あれ!?」
「どしたの?」
雑踏の中で、見覚えのある人影を見かけたのだ。
「見間違いかな?」
「だからどうしたの?」
「いや、そこの店の中に知り合いがいたような」
「知り合い?」
視線の先にあるのは時計店である。流行りの懐中時計を扱う店である。
「あそこすげぇ高い店ですよ?」
「だよね」
「え? 金持ちの友達とか?」
「いや、そんなはずは……」
少し見ていると、時計店の扉が開いて、若い男性が出てきた。歳の頃は十代後半だろう。かなり裕福な身なりをしており、高価そうな洋服を着ている。
そして、そこから続いて出てきたのが……。
「あっ!」
長身に、艶やかな長い黒髪をなびかせて。
見覚えのあるその顔は、宗里雪子であった。
「なに? やっぱり知り合いだった?」
「知り合いだった! おーい、雪子ー!」
優は急ぎ駆け寄った。
まさか、宗里雪子とこんなところで会うなんて。
「雪子!」
歩き出そうとする雪子の袖を捕まえて、優が名前を叫ぶ。雪子はいきなりの出来事にびくりとして緩むいた途端、こっちの顔を見て固まった。
「……えっ、優ちゃん!?」
「やっぱり雪子だ! 偶然だ!」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔が、途端にほころんだ。
「優ちゃん! すごい、こんなとこで会うなんて!」
にこにこの笑顔で、雪子が優の両手を握った。
二人はもちろん、この間雪子が道場に訪ねて来て以来である。
二人できゃあきゃあ言い合ってると、
「雪子さん、お友達ですか?」
隣にいた青年が雪子に問いかけた。
身なりが良いだけでなく、背が高くて美男子である。
「あ、ごめんなさい、いきなり会っちゃったからびっくりしちゃって。」
そう言うと、雪子は優の手を握ったまま男の方に向き合った。
「この娘、柔術のお友達で。八神優さんです」
「ああ、この間話してくれた。どうも八神さん」
青年は、帽子をとって会釈した。
「朝倉正一と申します」
ニコリと笑う。笑顔の爽やかな、控えめに見てもいい男である。
「……ど、ども。八神です。……あの、雪子さん?」
んん、といぶかる優。
なんだか雪子とこの朝倉という男の間に流れる幸せそうな空気に不思議を感じる。
「なに?」
「この間言ってた結婚相手って」
この人ですよね? と恐る恐る優。
「えぇー、もー、ちょっとわかっちゃった?」
雪子の顔からこぼれ落ちる、まるで隠し切れていない笑みがすさまじい。
「実はこの正一さんがそうなの~」
「へ、へぇー……」
「やっぱりすぐわかっちゃったかぁ~。いやぁ~、困ったなぁ~」
「顔がぜんぜん困ってないじゃねぇか……」
恐ろしいほど満面のニヤケ面だ。
「なんだ雪子さん、友達にもう喋っちゃってたの?」
「ごめんなさい正一さん、ほら、優ちゃん大親友だからー、しょうがなくってー。こんな素敵な話内緒に出来ないじゃない? ねー、優ちゃん」
「お、おぅ……」
なんか前回と全然印象が違う。
「お前こんなヤツだったっけ……」
「やだもー優ちゃんったら~」
「仲良しだねぇ二人とも」
はっはっはと笑う朝倉。
いや、これは違うだろ。
「……つーか待てオイ! お前こないだの涙はなんだったんだよ! 幸せ絶頂なツラしやがって! 結婚すんの嫌じゃなかったんかいお前は!」
優が雪子の襟に掴みかかる。
「えっ! い、いやアレはね、ほらあの時ってまだ会ったことなかったから」
「あたし本気で悩んじゃってたんだぞコラ! 『正一さーん』じゃねぇっつーの! もっと不幸そうな顔して歩けよバカ!」
「だって会ってみたらすっごい素敵だったんだもん! しょうがないじゃん!」
真剣に思い悩んだのがアホみたいである。
だが、優の言葉に今度は朝倉が慌て始めた。
「えっ、雪子さん僕と結婚するの嫌だったの!?」
優は衝撃を受けてる朝倉に、
「そうだよコイツそれで柔術やめるからってすごい泣いて」「いや違うのよ正一さん! この子ちょっとアレな子だから全然違うの!」
説明してあげようとしたら雪子に口を塞がれた。
「柔術続けてもいいですよって言ったじゃないですか! やめてくれなんて一言も言ってませんよ僕!」
「ハァ!? ちょっと待て! 今何て言った!」
なんだか想定外の台詞ばっかり出てくる。どうなってるんだ。
「ご、ごめん優ちゃんこないだの引退宣言は無しの方向で」
「ふ、ふざけんじゃねーよ! お前乙女の涙をなんだと思ってるんだ!」
とうとう二人が掴み合いを始めたあたりで、静子と秋子が追いついてきた。
「……何してんの」
「おうやっと来たか! このアホを取り押さえろ! 正義の名の下に制裁を加える日がやってきた!」
「なによー! 友達の幸福を祝福しなさいよ素直に!」
「やめなさい二人とも! 往来の真ん中で女の子がはしたないよ!」
「……なんだこの状況」
秋子がため息混じりに呟いた。
さすがに人目が集まってしまったため、近くにあった喫茶店に移動してきた。
宗里雪子を中心にして、怖い顔の八神優が対面し、尋問会の様相を醸し出している。
「つーと要するにアレか。実際会ってみたら相手は金持ちで男前で優しくて柔術もやっていいよって言われたから全部丸く収まりましためでたしめでたし……って事か」
「まぁその、大体そんな感じです」
珈琲を一口すすって雪子が答える。
「裁判長」
ぴしりと細い腕でまっすぐに挙手して、静子が発言した。
「なんだね静子君」
「そろそろこの二人が誰なのか紹介してもらえませんでしょうか」
「あれ? まだしてなかった?」
「してたらこういう発言してないと思いまーす」
静子の言うこともまぁもっともだ。
「じゃあ……、まぁ、一応するか。こっちの女学生は宗里雪子さん」
「どうも。宗里です」
雪子がすすっていた珈琲を受け皿に置いて、静子と秋子に会釈した。
「小野椿流柔術の使い手で、この間大会で対戦しました」
優が言うと、雪子は半眼で嫌味っぽく笑って
「負けましたけど」
そう付け加えた。
「そして泣きながら柔術やめると言っておきながら、今日会ったら金持ちの色男とイチャイチャしながら幸福絶頂ヅラしてた上に柔術もやめなくて良くなったと言ってる最低の裏切り者です」
「その紹介酷いよ!」
負けじと付け加えられた紹介文に、雪子が抗議する。
「ははぁ、つまり優ちゃんに柔術の勝負では負けたけど人生と言う名の勝負では完勝してるってわけですか」
「見様によってはそういうことですかね」
「お前ら人を勝手に負け犬にするなよ!」
静子と秋子は今日も言うことが辛辣だ。
「……で、こちらは雪子の婚約者の朝倉さん」
「どうも、朝倉正一と申します」
「あ、これはご丁寧に……」
朝倉の気品の良さ、所作から伝わる育ちの良さ。身に付けるものからわかる上流階級の匂い。そして高身長と二枚目な顔。
なかなか美人の雪子とすら釣り合わないんじゃないかとすら思えるほどにいい男である。
男性への免疫が薄い秋子と静子も、なんだかそわそわしている。
「こっちは松野川秋子と三原静子。女学校の同級生です」
「松野川です」
「三原です」
あの無礼千万な秋子と静子も、初対面の相手だけあってしずしずと頭を下げる。
「こんなに可愛い女学生に囲まれると照れちゃいますね」
ははは、と朝倉が笑う。
「も、もぅ。朝倉さんったら」
静子がちょっと顔を赤くしている。
「朝倉さんってどちらの学校に通われてるんですか?」
「稲荷町の平野高等学校です」
「高校生!」
静子がびっくりした声を上げた。
この蓬莱ではせいぜい中学卒業で学校教育を終了して働くのが普通の男性の人生である。高校に進むというのはそれだけの学力と経済力が無ければできない、言わば『イイトコのお坊ちゃん』の証拠なのだ。
「正一さんったら高校出たら帝国大学の受験を目指してるんですよ」
「だ、大学!?」
大学自体がそれほど数がない世の中である。大学に進学できるということは、すなわち末は博士か大臣か、というヤツだ。大学行ってますなど世の中で放言しようものなら、他の人にどれだけ尊敬されるかはお察し願いたいほどだ。
「……す、すげー」
「住む世界違いすぎなんじゃないすかこれ……」
「雪子さん、あんまりそういうの言わないでくださいよ」
嫌味っぽく聞こえるのを気にしてか、朝倉。
「ごめんなさい、正一さんがいかにすごいかわかってもらいたくて」
「過剰にわかったからもういいです……」
ブンブンと手を振って遠慮する秋子。
会話が一段落した所で、優がおずおずと進み出た。
「……あの、朝倉さん」
「なんですか?」
「雪子の柔術のことなんですけど」
「私の?」
「いいんですか」
やっても良いのか。
やっても良いと言われているとは先程聞いた。
しかし、それがどこまでなのかは聞いていない。どの程度までやってもよいものなのか。
趣味で続けていく程度なのか。柔術家として蓬莱一を目指しても良いほどなのか。
それをどうしても聞いておきたかった。
「柔術ですよね。僕は反対しません」
「怪我しますよ」
「怪我はしてほしくないですけどね。雪子さんがそうしたいなら応援しますよ」
珈琲を一口すすって、朝倉は言葉を続けた。
「僕が雪子さんと結婚したいと思った理由の一つですけど」
「ふむ、それは?」
恋愛の話題で秋子と静子が食いついてきた。
「我が家は商売をやってまして。海外から洋品を買ってきて蓬莱で売る……、まぁ、貿易業なんです」
「すごーい! じゃあ外国の」「今大事な話してっからちょっと黙ってて」
しゃべろうとした静子の口を塞ぐ。
「だから、自然と我が家は洋物が多いんですよ。外国の文化に触れることが多くて」
「洋服も似あってますもんね。ウチのお父さんなんかいっつも」「だから黙ってろ」
再び静子の口を塞ぐ。
「僕は西方の文化を取り入れること自体はいいことだと思ってます。でも、そればかりに偏重すると、何かおかしくなる気がして」
「?」
「蓬莱的な価値観を忘れないように、我が国の文化伝統を大切にしてくれる人と結婚したいと思ったんですよ」
「それで、柔術?」
「まぁ、偶然なんですけどね。社員の一人が宗里家の道場に通ってて、その縁で雪子さんのことを知ったんです」
「へぇ……」
ちらりと横を見てみると、秋子はすっかり聞き入っていた。静子も今は静かである。
「僕は柔術はやったことがありませんけれども、柔術に一生懸命取り組む雪子さんが好きなんです。だから、本人が満足するまで邪魔はしません」
「正一さん……」
横では雪子が目をうるませて大感動の真っ最中だ。
(雪子、柔術やれるのか)
この男性は理解があった。
雪子にも理解があるし、柔術にも理解がある。女が柔術をやることにも理解がある。
雪子は本当にいい男性に見初められたようだ。羨ましいほどだ。
彼女が幸せいっぱいなのもうなづける。
「……じゃ、雪子がまた最強目指してもいいんですね」
「もちろんですよ。妻が蓬莱一の女流柔術家だなんて凄いじゃないですか。やれるところまでやってほしいです。そのためなら結婚だって待ちますよ」
こんな男性が世の中にいるのか。
本当に珍しい。女性を世の中の日陰者だとは微塵も思っていない。
「……じゃあ、雪子また戦えるんだ」
「うん。次は負けないよ」
にっこりと雪子が笑った。
「良かった。嬉しいよ」
そんなつもりは全然無かったのに、不意に目頭が熱くなった。
「あ、あれ?」
鼻の横を何かが流れる感触に、驚いて指をやると、濡れている。
涙がこぼれていた。
「な、なんで泣いてんだあたし。ごめん」
気づいていなかったが、そんなに嬉しかったのか。
涙が出る。
「はは、なんだあたし。こんなのおかしい……」
照れ笑いを浮かべて、優が視線を席の反対側に戻すと、
「……ッッ」
奥歯を噛み締めて、泣き声を漏らさないようにして、雪子が泣いていた。
くしゃくしゃの泣き顔で、肩を揺らしてしゃくりあげている。
「ゆ、雪子?」
「……!」
雪子の両の目からは、大きな涙がボロボロとこぼれていた。顎先を伝ってぽたぽたと落ちて、卓上に透明な水玉模様を描いている。
「うっ……。うぐっ……」
嬉しかったのだ。
自分のことを涙を流してまで喜んでくれたのが、嬉しくてたまらない。
ここまで自分のことを想ってくれる相手がいてくれる。
それが、雪子の心を震わせていた。
「……ゆ、優ちゃん」
落涙を止める様子も見せず、声を震わせて、雪子が優の名前を呼んだ。
「優ちゃん、ありがとぅ。うぅ~……」
「ゆ、雪子まで泣くなよ……」
感極まった雪子に食卓越しに、ぎゅう、と力いっぱい抱き締められた。
一瞬、雪子に試合中に送り襟絞めで締めあげられた事が思い出されたが、良い匂いのする彼女の首筋に顔が押し当てられた時に何もかもがどうでも良くなってきた。
「雪子ぉー」
「優ちゃぁぁぁん」
涙が止まらない。泣ける。
なんだかよくわからないが、次から次へと涙が出てくる。
「友情っていいなぁ……」
朝倉は感動的な二人を見ながら微笑んでいた。
「ちょ、ちょっと二人とも! みんな見てるからそのへんで!」
「朝倉さんも見てないで止めて! すっごい注目されてますから私達!」
「な、なんでもないですからみなさん!」
喫茶店のど真ん中で泣きながら抱き合う女学生を引き剥がす。
そこかしこから『何アレ……』という声が聞こえてきた。
二人がやっと泣き止んで落ち着くまで五分ほどかかった。
店員が飛んできて『何かございましたか』などと気を使ってくれたのが逆に恥ずかしい。
「あっと、そろそろ時間が……」
雑談に花を咲かせていた五人であるが、時が経つのは早い。
懐から取り出した懐中時計を見て、朝倉は驚いて立ち上がった。
「ごめんよみんな、これから用事があるんで先に帰るよ。ここの支払いは任せてもらっていいから、みんなはのんびりしていって」
「え、それはさすがに……」
「いいからいいから。気にしないで。それじゃ雪子さん、またね」
「はい。正一さんもお気をつけて」
朝倉は会計を済ますとそのまま早足に店を出て行った。
店内にチリンチリンと鈴の音が響き渡る。
「……宗里さん」
「はい?」
「素敵な旦那様ですねぇ」
静子が去っていった朝倉を見送りながら言う。
「でしょう? 自慢の人なんですよ~」
「……高校にはあんな感じの方がいっぱいいらっしゃるんですかね」
秋子がぽつりと尋ねると、雪子は笑顔で答えた。
「さぁ。どうでしょう? 正一さんほどの人はいないにしても話を聞く限り、他にも素敵な方がたくさんいらっしゃるんじゃないかと……」
「!」
秋子の眼が光る。
ばん、と音を立てて秋子と静子が優の肩を掴んだ。
「オイ八神、ちょっとツラ貸せ」
「ごめんなさーい、宗里さん。ちょっとお時間くださいな」
「え? なに? なんなの?」
そのままずるずると優を引きずってちょっと離れた所に連れて行く。
「な、なんだよ」
「八神さん? あんないい友達居たのを隠しているなんて大親友の私達に申し訳ないとは思わなくて?」
「へ?」
「幸せとはみんなでわかちあうべきものです。わかりますよね?」
「何が?」
「ひとつお願いを聞いて戴きたいのですけれども。よろしいですわね?」
「なんか怖いんですけど」
二人とも目が据わっている。
「宗里さんに頼んで」
「何を?」
「朝倉さんみたいな人紹介してって」
「えぇー! やだよ!」
ふざけんなといった顔の優。
「あんたはいいかもしれないけど私たちはあんな感じの彼氏が欲しいのよ!」
「武術バカと違ってこっちは華の乙女なんだよ!」
「別にいいじゃん男なんか」
「良くないんだよ! わかれ!」
両側から二人がゲシゲシと小突いてくるのが地味に痛い。
「わ、わかったわかった。一応言うだけ言うから」
「一応じゃねぇ。誠心誠意頼めよ」
「ちゃんとやれよお前」
「お前らなんでそんな目線が上からなの……」
二人に背中を押され、元いた席に戻る。
「話し終わったの?」
雪子がもうぬるくなった珈琲片手に優を出迎えてくる。あんなしょうもない話で離席してたのがなんだか申し訳無くなってくる。
しかし、あの悪友二名の手前、言わないわけにもいくまい。自分まで男に餓えてるみたいでなんだか嫌だけれども。
「あの……。雪子さん」
渋々と言いにくそうに優。
「どしたの?」
「この二人がですねー。どーしてもって言うんですけど」
「何を?」
「男紹介して下さい……」
「は?」
何言ってんだコイツと言わんばかりの雪子。
その反応を見て、後ろで見ていた秋子と静子が会話に割り込んできた。
「いえね! 朝倉さんのお友達とかで素敵な方々がいらっしゃるんじゃないかなぁ、って」
えへへ、と愛想良く笑う秋子。
「女学校だと男の人とお知り合いになる事なんかほとんどないでしょう? だからぜひお近づきになれる機会を戴けないものかと……」
「はぁ、なるほど。そういうことですか」
「どうですかね……?」
うーん、と思案顔で唸る雪子を前に、いつになく神妙な表情の二人。優は呆れ顔である。
「じゃあ、交換条件は?」
「条件?」
「そう。優ちゃん、男性との場を用意するから、代わりに私に八神無双流を見せてくれないかな」
「無双流を……?」
優の表情が変わる。
柔術を見せろ。
要するに、どんな技があるのか教えろということだ。
「なんだぁ、そんなの別に全然構わないんじゃ……」
秋子がいつもの調子で茶化そうとして、空気の違いに気がつく。
武術が絡むと優は怖い。
「……」
「断る」
「ま、そうだよね。ごめん、言ってみただけ」
ニコリと笑って雪子は条件を撤回した。
「私も小野椿流を見せろと言われたら断るもの」
「ごめん雪子」
「いいの。こっちこそふざけてごめんね」
「雪子に負けたくないから」
「うん」
優の一言で、雪子が視線をそらす。
珈琲を匙でくるくるとかき回し始めてごまかしているが、口の端が笑みで歪んでいる。
逆に優は、真顔でじっと雪子を見つめている。
少しして、雪子は先程まで同様の愛想のいい笑顔に戻り、三人に言った。
「まぁ、他ならぬ優ちゃんの頼みとあれば仕方がないかなー。よろしい。正一さんに頼んでみましょう。出会いの無い苦しみは私もよくわかりますし」
秋子と静子の表情がぱっと明るくなる。
「やった!」
「よろしくお願いします!」
きゃー、と嬌声をあげて二人が手をつないで喜んでいる。
そんなに嬉しいのか。
「じゃあ男女四対四ですかね」
続けて言った雪子の言葉に、優がぽかんとした顔をする。
「え、あたしは別にいいよ」
「えぇ、優ちゃん来ないの?」
「あんまりそういうの興味ないし……」
気まずそうに優。
『恋愛』というのは元々奥手ということも有り、苦手な分野だ。
「優ちゃん可愛いからモテるんじゃないかな」
「そんなの言われても……」
褒められても全然気乗りがしない。可愛いと言われて悪い気はしないが、今は別に恋人などほしくないのだ。
むしろ今欲しいのは柔術の稽古の時間である。
「いいから! 参加しろ!」
「してくれ! お願いします!」
「え、ええー。あたしそういうの怖いんだけど」
「人生は経験だから!」
悪友二名に押し込められて、強制参加となった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます