会敵


 湿った土を踏みしめながら、微塵も人気が無くてどこか陰気な雰囲気の薄暗い森を歩き続ける。時刻は夕刻に差し掛かろうかという頃合い。まだ空には太陽が輝いている時間だろうが、生い茂る木々に阻まれて日の光は森の中まで届かない。

 だが、それでも。


「あ、暑い……というか、ムシムシして気持ち悪い」


 湿度が高いせいか、暑い空気が体に纏わりついてくるような不快感すらある。

 まったく、これだから夏は嫌いなのだ。勿論、もう人目は無いからローブを脱げばいいのだが、脱ぐとそれはそれでよろしくない。だって虫とか体に付いたら嫌だし。


「暑いわね……ちょっと、何してんの? 風を――あっ!?」


 今日初めて感じた筈なのに、昨日初めて出会った筈のなのに、今までいないのが当たり前だったはずなのに、気を抜くといないことに気付かないでそんなことを口走っている。

 全く、本当にダメだな私は――勢いよく首をブンブンと横に振って雑念を頭から追い出すと、更に歩を進める。

 そうして、不快な熱気と湿度を我慢しながら歩くこと数十分後。


「いたっ!」


 一際太くて立派な木の幹に背を付けながら、その幹越しに覗きこんだ先に広がる不自然に開けた場所で漸くターゲットの一団を捕捉した。

 人里からは幾許か距離があるとはいえ、森の木々を我が物顔で伐採――それも不自然に開けた箇所の広さからして相当な本数である――して、それを利用して巨大な櫓とも陣地とも言える何かを作り上げている二足歩行のトカゲ共。いや、トカゲではないか。何せ彼らは自らを竜人族と名乗っている。私にはトカゲにしか見えないが、奴らの自認は竜なのだ。

 竜人族――五大魔族の中でも屈指の戦闘力を誇る種族であり、矢玉を通さぬ頑強な体表と薙ぐだけで人体など容易く両断できる鋭い爪に肉食獣然とした鋭い牙を持つ、魔族の中でも特に獰猛さに優れた種族。

 しかし、そんな厄介極まりない連中が一体どうしてこんな辺鄙な森にやって来て土木作業に従事しているかといえば、当然それは森を開発する公共事業のため等ではない。人間に利する行動でもない。寧ろ、その逆に人間領土への侵略の足掛かりの拠点を作るためだろう。

 五大魔族はどれも魔王と呼ばれる絶対的力を有する闇の支配者から賜った者たちにして、王の忠実なる僕。数百年の周期で眠りから覚める魔王の復活を成し遂げ、その魔王の威光によって人類を含めたあらゆる種族に対する支配者となることを目的としている。

 そして闇の支配者たる魔王を復活させるカギとなるのが、人間の恐怖や絶望らしい。より多くの嘆きと怨嗟を積み上げたその先にこそ魔族としての栄光はあると、真偽のほどは別として連中は本気でそんな話を信じている。

 だからこそ、奴らは隙あらば人間世界へと侵攻して恐怖と絶望を振り撒く。そして今回も、性懲りもなく進撃のためにここへ来たというワケだ。


「ホント……つくづくムカつく連中。なにより、傍迷惑な建物ね」


 情報によれば、この場には総数二十体を数える規模の竜人族の部隊が駐屯しているという。数からして、連中は間違いなく斥候の類ではない。何より手練れの冒険者まで返り討ちにされたということからして、こいつらは間違いなく侵攻の先遣部隊と考えるべき。


「そんな相手に単身挑む以上、先手必勝不意打ち上等じゃないとね!」


 無理矢理受けさせられた、命を懸けたクエスト。正気の沙汰ではない戦いに身を投じる以上生還こそは諦めているが、勿論ただ何もせず死ぬつもりなどない。

 半ば強引にとはいえクエストを受けてしまった以上、『プリム』の冒険者である以上、何より魔族の血を引く者である以上、人類のために戦って戦って戦って戦って――そして激闘の果てに凄惨なる戦死を遂げなければならないのだから。

 今にも逃げ出したいくらい怖いけれど、そんな弱音を不退転の覚悟で捻じ伏せて木の陰から一歩を踏み出して身を晒す。

 そして。


「燃え盛れ……【霊魂の焔(ウィスプ・インフェルノ)】」


 右手を前に差し出して、掌に青白い火球を生成。

 拳大を遥かに超えた巨大さまで一気に増幅させると、それを思いっ切りぶっ放す。

 思わず尻もちを突いてしまうくらい強い反動に弾かれながら放った火球は、滑空しながら一直線に飛翔。そして連中がせこせこ必死に作り上げた建物に命中すると一気に燃え上がって炎上する。


「流石は木製……言い燃えっぷりじゃないの」


 燃え盛る建物を見て、動揺からかギャアギャアと喚き散らすトカゲ共。そんな奴らを嘲るように笑いながらそう言ってやれば、連中の目が自然と私一人へと注がれる。その目には労力と制作物を台無しにされたことへの怒りの炎が滾っており、鋭利な牙と爪を剥き出しにして威嚇してくる。さて、本番はここから。


「いいわよ、どこからでもかかってきなさい!」


 威勢よく啖呵を切ると、私は連中に向かって疾駆。

 私の動きに反応するように、トカゲ共も一気に私へ群がってくる。

 さあ、ただのトカゲ共がネクロマンサー様にどこまで太刀打ちできるか、見せて貰おうじゃないの!



「――やあっ!」


 青白い焔を纏った拳を、飛び掛かって来たトカゲの土手腹にカウンターで叩き込む。めり込んだその一撃でトカゲは吐瀉物を撒き散らしながら、その場に蹲った。


「次っ!」


 一匹を潰した私を背後から抜け目なく狙ってくる卑怯者の不届き者にも、青白い焔を纏った上段回し蹴りを顔面に叩き込んでやる。脳が揺れたのか、そのトカゲは千鳥足に。下手なダンスのようなステップでたたらを踏むと、その場に力なく倒れ伏す。

 単体で攻め寄せても勝てぬと、その小さな頭で悟ったのか。今度は全方位から一気に攻め寄せてくる。抜け目も隙間もない、完全なる同時攻撃。流石は魔族の分際で軍隊のような統率された社会性を有しているだけのことはあるというべきか。

 けれども。


「何匹集まろうが、雑魚は雑魚よっ!」


 全身に青白い炎を纏い、一瞬収縮させた上でそれを一気に爆発させる。

 爆発と同時に青白い炎が衝撃波と共に私の周囲360度にもれなく拡散されて駆け巡り、あるモノは炎に焼かれてあるモノは衝撃波に吹き飛ばされる。


「……はぁ……はぁ……はぁ……」


 ここまで、どれだけ倒しただろうか。周囲を見渡せば、倒れ伏して動かないトカゲ共の群れ。その数は、ざっと十数体ほど。勿論全員が死んでいるワケではないだろうが、少なくとも全員手応えのある一発を叩き込んでいるので骨の数本は圧し折って戦闘不能にまでは追い込んでいるハズだ。

 当初の聞いていた数からして、恐らく大部分は始末できたはず。でも、それにしては。


「……おかしい。こいつら、ただの雑魚じゃない。組合屈指の冒険者ですら返り討ちに遭ったって話だったのに、まるで手応えが無さ過ぎる」


 ふと妙な違和感を感じ取った、その時だった。


「へぇ、こりゃ凄い。一人でこれほどの大立ち回りたぁ、大したモンじゃねえか?」

「喋るな、バカが。というか、感心している場合か? 折角あそこまで完成していた砦、見るも無残な様にされているのだぞ」

「――っ!?」


 突然背後から声が響き、慌てて振り返る。同時に、思わず瞠目してしまう。

 視線の先にいたのは、二人の竜人。雑兵のトカゲもどきとは違い、その背には翼を生やして頭部には立派な一対の角を生やせた如何にも竜といった風貌。しかし性格は対照的なのか、一方は生真面目で気難しそうな堅物然とした雰囲気を醸し出しており、もう一方は対照的に快活とした享楽的で軟派な雰囲気を纏っている。

 ――いや、連中の纏う雰囲気など今はどうでもいい。何よりも驚くべきなのは、声を掛けられるまで一切気配がなかったということ。

 戦いに集中していて背後への警戒が疎かになっていたとか、そういうことは一切ない。それなのに、声を発されるまで気付かなかった。既に連中と私の距離は、目測で数メートル程度まで縮められている。ここまで接近を許していたということは、もし音もなく忍び寄られて背後を取り、攻撃を仕掛けられていたら……想像するだけで、ゾッとしてしまう。


「んだよ、兄貴ぃ~イライラすんなって! カルシウム、足りてねえんじゃねえか?」

「そういうお前は思慮が足りていない。全く、このまま静かに接近し、背後から仕留めれば楽に片付いたモノを」

「わかってねぇなぁ……それじゃあつまんねぇだろ? 折角それなりに楽しめそうな敵が現れたんだ。戦わねえと、勿体ねえだろっ!」


 語気強くそう言い放つと、弟分らしい片割れが私目掛けて突進してくる。

 

「ぐっ!?」


 繰り出された鋭い爪による斬撃攻撃を、後方への跳躍によって紙一重に交わす。

 かなりの速力……半ば反射的に飛んで遮二無二躱さなければ、避け切れなかった。

 それに斬撃が命中した地面の抉れ具合も尋常ではない。体に当たれば、肌どころか内臓まで持っていかれそうな尋常ではない威力。こいつ、トカゲ共とはまさに次元が違う。


「ははあっ! いい反応だ。この前の格好だけ一端の剣士やそいつが連れ歩いていたモブ共と比べて、遥かに優秀だぜ! 良いねぇ、殺し甲斐がありそうだ!」

「――くっ!? 戦闘狂の変態が、これでも喰らって黙ってろ!」


 大振りの攻撃を回避されてもなお饒舌な竜人の顔面目掛けて、私は右拳に青白い焔を纏った拳を振りかぶって叩き込む。


「ははは……ん? おおっ!?」


 余裕のつもりか、戦闘狂特有の打って打たれてのつもりか。ともかくそいつは、あろうことか私の殴打を回避やガードの素振りすらも見せることなく甘んじて顔面で受けた。

 まともに入った私の一撃を食らい、最初はニヤニヤと不敵な笑みを浮かべていたヤツも予想外の威力の驚いたのか一瞬瞠目。そのまま全力で殴り抜いた私に押し切られる様にして、ぶっ飛ばされた挙句に地面を転がる。


「お~ぉ、いってぇなぁ……いいねいいね! 今のはいいパンチだったぜ!」


 しかし、やはり並みの敵ではないようで、トカゲ共なら一撃でノックアウトさせられた一撃を受けてもなお完全にダウンすることはなく。間髪入れずに起き上がると、殴られた頬を手で押さえながら首を左右に動かしてケロッとした表情をしている。ゴキゴキという首の骨の音だけが、不気味に響く。

 それにしてもこの力量、間違いない。人類と各魔族との戦いが始まってから、十数年。これまでに幾度も強大な魔族が現れ、その都度固有の識別名称――組合ではそれをネームドと呼称していた――を与えられてきたが、こいつらは組合が把握していないだけで恐らくはネームドとして扱われるだけの力量を秘めている。

 弟分でこれなら、きっと未だ静観を決め込んでいる兄貴分も同等以上の力量を秘めている筈。ネームド級を二体同時……もしこれを独りで乗り越えられれば、私はきっと。


「勝てる……アイツにも!」 

 

 自然と、口元が緩んでしまう。

 死ぬかも知れないと弁えて、死ぬ運命を確信して、私はここへ来た。

 でも、それは決してただ諦めて殺されることと同義ではない。寧ろその逆に、死の運命を覆す力が私にあることを証明するためにここに立っている。

 そうとも……この程度の死の運命にすら逆らえないようなら、どの道私に生きている意味などない。私には、命を懸けてでも果たさねばならぬ悲願がある。そのために冒険者に身を窶して、ここまで頑張って来た。

 なら、悲願を遂げられるだけの力がなく、死の運命から逃れることも出来ないのなら、辛苦に耐えて生きる意味が一体どこにあるというのか?

 ただ死ぬためではなく、運命を打ち破って生き残るために――闘争による脳内麻薬の分泌でハイになった私は、眼前で余裕綽々な態度を崩さない竜人目掛けて疾駆する。


「はぁああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 全速力で駆け抜けて、同時に両の手に凝縮した青白い焔を生成できるだけ生成する。そして眼前間近まで最接近したところで、その隙だらけの胸元目掛けて全力の【霊魂の焔(ウィスプ・インフェルノ)】をお見舞いしてやった。

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