らしくない


 王族や貴族のような特権階級ではない民間人が使える基本的な移動手段など、精々粗末な荷馬車か定期便の帆船くらいのもの。当然移動速度はお世辞にも速いとはいえず、加えて天候や気温に地形といった諸条件の影響で運航に大きな影響が出てしまうこともしばしば。

 だが、討伐対象とて魔族とはいえども生き物であることには変わりない。

 必然冒険者が馬車や船でモタモタ移動してくるのを察して大人しく待っていてなどくれないワケで……クエスト前の移動などに無駄に時間をかけていたら、その間に討伐対象に逃げられてしまう可能性が高い。最悪、移動の遅延で討伐が遅れたことで魔族による被害が無駄に大きくなってしまう可能性だって十二分にある。

 それに移動だけでなく、難度の高いクエストや大型クエストの場合には増援や支援物資の供給だって必要になることもあるだろう。

 つまり、冒険者稼業に置いて迅速かつ安定した移動手段が必要不可欠であるということ。尤も、少し考えれば誰でも想像できるそんな当たり前のことに、冒険者を統括する組合もその上部組織である国の統括機関も数か月前までまるで手付かず状態だったのだが。

 移動や運搬といった諸問題を解決すべるために漸くその重い腰を上げた統括機関は、各組合と連携。対策として急遽導入されたのが、ガルドニクスと呼ばれる竜を思わせる巨大で立派な体躯の雄々しい鳥を育成し、その鳥による空路での運送手法の確立であった。

 空を駆けるこの鳥は、体躯こそデカいが空を飛ぶ都合上荷車などの拡張スペースの類は増設出来ていない。更に操縦役の人間まで必要になるため、大々的に導入された割に最大輸送力は軽装の冒険者三名程度が限界とかなり限定的。

 大規模輸送が出来ないという苦笑物の欠点に加え、鳥の飛行故に空模様や時間帯の影響もモロに受けてしまうワケだが……それでも荷馬車や船に比べれば革命的な進歩でもある。陸路や海路よりも移動時間が遥かに短縮されている点と、地形の影響を一切受けない点は特出すべき評価点だろう。


「ホント、今日が良い天気で良かったわ。時間はあまりかけられないからね」


 ガルドニクスの背中に腰掛けて、全身で感じる風を浴びながら小さく呟く。

 ガルドニクスは人語を解さないし、操縦役の人間は自分に仕事に手一杯なのか乗り合わせた私の方になど見向きもしない。けれど、それでいい。別段誰かに答えて欲しいわけではないし、何よりいつでもどこでもこんな感じだ。私が人と話すことなど、ほとんどない。

 そう、殆ど無いのだ。いや、全くと言ってもいいだろう。だからこそ、驚いた。


「……私にも、誰かにあそこまで感情を剥き出しにして言い争うなんてこと出来たんだ」


 レイスとはいえ感情も意思も持ち合わせた相手に、あんなにも胸の内を曝け出したことに自分自身で酷く驚いている。

 十九年ちょっと生きてきて、初めての経験だった。

 あまりにも縁遠くて、てっきり自分には出来ないことなのかとも思っていた。

けれど、出来た。知らなかっただけで、もしかするとずっと前から出来たことなのだろう。

 それなら、もっと早くやっておくべきだったか?

 いや、寧ろ知らないままでいた方がよかったかも知れない。

 心残りになりそうなことを、人生の最後の直前たる今更になって知っても遅いのだから。

 懐に手を伸ばした私は、胸ポケットから一枚のカードを取り出す。描かれたのは、物騒な首狩りの鎌を携えて不気味に笑う骸骨の絵。その絵をぼんやりと眺めていた、その時だった。突如強い風が吹き抜けて、驚きから緩んだ私の手からカードは放れて何処へか飛んでいく。


「ああっ!」


 反射的に手を伸ばすが、もう遅い。

 風に攫われたカードは瞬く間に小さくなって、やがて見えなくなっていく。

 そして完全に見えなくなったところで。


「……はぁ。ホント、どうかしている。イヤな目に遭ったからって、腹立てて、八つ当たりして、決めた覚悟捻じ曲げて、あんなこと無様な事ばっか言って――ホント、私ダサいわ」


 自嘲と溜息が入り混じった無気力なその言葉は、果たして誰にも受け取られることなく風に流れて何処かへと消える。

 それでいい。こんな言葉、誰にだって聞かれたくない。

 いや、逆に誰だって聞きたくなどないだろう。

 半分化け物で誰からも忌み嫌われて死を願われる、そしてその願いに応えてこれから無様に死にゆく者の、みっともない自己嫌悪の言葉など。

 そうだ……こんなこと口走っても、意味などない。考えるのすらも、無意味だろう。寧ろこれ以上は、ただ私が辛くなるだけ。認めて、弁えて、諦めて、私は静かに目を閉じる。

 全てはただ、これから始まる激戦に向けて。目を閉ざした私は静かに精神を整えて、同時にあらゆる思考を悉く放棄した。



「アンタ、ホントにこの先へ一人で行くつもりかい?」


 ガルドニクスの背を降りた私に、操縦役の男が恐る恐る声を掛けてくる。

 正直気にも留めていなかったからまともにその姿を見ていなかったのだが、声を掛けられて振り返って初めてその姿をしっかりと目に焼き付ける。人のよさそうな、しかしどこか気弱そうな初老の男性。深い皺の目立つ日焼けした顔に白髪交じりの頭。身に纏う平服もところどころ傷んでいるのを余り布で繕っている辺り、失礼だがその生活ぶりが伺える。

 しかし、それも無理のない話。何せ国の一機関と冒険者組合が絡んでいるとはいえ、ガルドニクスによる輸送は民間へ委託されている。理由は単純に、経費の削減。名誉だの国への奉仕だのと都合のいい言葉を並べ立てて、そのために協力してくれとせがまれれば民間に拒否の選択肢などない。断れば当然、不届きだの金の亡者だのと世間から糾弾された挙句に爪弾きされて碌に商売も出来なくなることは目に見えているから。

 国も組合も、自分たちの権力と威光を笠にそうした半ば強引なコストカットを断行して、負担を民間に押し付けた上で成果だけを抜け目なく吸い上げているのだろう。無理の皺寄せは決まって弱者へと押し付けられて、今回であればきっと彼のような一番立場の弱い末端の実働部隊へと転嫁されてしまったといったところか。

 何ともまぁ、胸糞の悪い話ではないか。しかし、それは何もガルドニクスの運送事業に限った話ではない。冒険者稼業そのものにも言える。そう、『プリム』などという名前だけは立派な称号と共に戦死前提の危険な任務を単独で押し付けられた、私の様に。

 そうして考えているうちに、同じ境遇の彼に思わず同情してしまったのか、将又ただの気紛れか。私は彼の質問に答えることはなく、代わりに腰元に下げた麻袋を取って放り投げる。


「うぉっと……いきなり何を――ん?」


 手にした袋から感じるズシッとした重みに中身が気になったのか、徐に袋を開ける。そして中身と対面した瞬間、その目を白黒させながら私を見つめて来た。


「こ、これは? アンタ、一体どういう――」

「あげるわ、それ。置いてくるの忘れちゃってね。ここから先、戦うには重くて邪魔だから」

「で、でも……こんな大金受け取れないですって」

「ふぅん。善良なのね、貴方。まあ、貴方が受け取ったモノだもの。要らないなら、捨てていけばいい。好きにしなさい」

「いや、好きにしろって……どうして、こんなことを?」

「さぁね……まぁ、正直に必死に生きている者は報われるべきって、そう思ったから――いいや、今のやっぱりナシ。忘れて頂戴」

「お客さん……アンタ、一体――」

「悪いけど、これ以上悠長にお喋りしている時間は無いの。早くいきなさい。危険だから」


 そう言うと、有無を言わせる間も与えずに私はさっさと歩きだす。

 私の覚悟が伝わったのか、或いは曲がりなりにも冒険者と関わって来た彼の経験則から私の悲壮の決意を察したのか、とにかく彼はもう何も言わなかった。

 それでいい。私と関わっても、何もいいことなどないのだから。

 数分ほど歩いた頃、遠い空に翼のはためく音が微かに響く。

 それはきっと、彼がガルドニクスと共にここから立ち去ったことの証左。


「それでいいわ。貴方は、私のことなど忘れて早く日常へ帰りなさい。そして苦労と努力の報われた平穏で幸せな人生を歩みなさい。幸せになってよ、私の分まで」


 祈りを捧げた。名も知らぬ初老の男のために。それが気遣ってくれた感謝故なのかこれからも先があることへの羨望故なのか、それは私自身にも判然としない。

 でも、祈った。幸せになって欲しいと、心から。

えっ? ネクロマンサーらしくないって? うるさいな、別にいいでしょ? 柄にもなく他者の幸せのために細やかな祈りを捧げるネクロマンサーが、一人くらい居たって。

 誰に対してでもなく毒吐くと、私は再度歩を進める。

 祈りも捧げた。人との繋がりも断ち切った。これでもう、後ろを振り返る必要はない。あとはただ前だけを見て、進めばいい。そうとも、いつまでもウジウジと「死にたくない」なんて嘆いていたってしょうがないのだから。

 人類の未来と魔族の打倒のために、私は今日死ぬかも知れない――名誉だの国のためだのというお題目で民衆から搾取する方針を毛嫌いしていた筈なのに、随分と染まったモノだ。まあ、死にゆく者にとって心の拠り所になることは間違いないのだから、死ぬかもしれない私が縋ったっていいだろう。

 死への恐怖と生への未練を不退転の覚悟で捻じ伏せて、私は只管に前へと進む。

さあ、報われるべき人々を守るためにも、何よりこの世界に必要のない魔族のゴミ共を消し去るためにも、精々この命を使い潰すとしましょうか!

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