第42話 化け物となったアガルマ
王立研究所は王都の一等地に建てられている。特に王宮とは近く、間に通りを一本挟んでいるもののほとんど同じ場所にあると言っていい。
王都の中心部に王宮、通りを挟んで右側に王立研究所という位置関係だ。ちなみに反対の左側には王国の軍事を司る騎士軍省があり、王宮の裏に当たる北側には元老院議場がある。さらに周辺には冒険、商業ギルドの本部や大貴族の邸宅もあり、王都の、いや王国そのものの中心部と言っていい。王国の権力組織で足りないものと言えば、静寂を求め繁華な中心部を避けて建てられた国教会の大聖堂くらいだった。
王都全体の警備は王都
それゆえ、王立研究所内部には近衛騎士団の騎士は配備されていない。出入り口を警備する騎士ですら、それこそ門番レベルの数しかいなかった。
これが、事態を致命的に悪化させた。
◆◆◆◆
アガルマ研究室は地獄と化していた。
「教授! いったいなにが……ひいっ!?」
「ば、ばけものおおおおおっつ!!!」
「ひいいいっやめつぃにたくない死にたくない」
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っ、やめ゙っ゙お゙ご」
アガルマ研究室所属の研究員たちは肉塊となったアガルマに次々と飲み込まれていく。彼らもまたアガルマとともにネイサンをいじめていた者たちとはいえ、哀れな最後であった。
アガルマの方でも、別に研究員に恨みがあったわけではない。もはや人間としての意識はほとんど消えつつあった。あるのは、より若い肉を貪りたい、寿命を吸い取りたい、若さがほしいという本能のみ。肉塊アガルマは他人の命を吸い、取り込み、無限に増殖していく肉獣と化していた
アガルマと研究員たちの意識はいつしか溶け合い、ただ新たな生贄を求めてさまよいうごめく。
◆◆◆◆
おかしい、とジェイルは思う。
追い詰められた狂気の元、アガルマを襲うべく王立研究所へと入ったジェイルだが、途中でさすがに違和感を覚えた。
人がいない。ふだん研究員や職員が忙しく歩き回っているはずの玄関ホールに誰もいない。それどころか建物内から労働の喧騒が聞こえてこない。
ジェイルを正気に戻したのは研究所の異常さだ。
正気に戻ったジェイルは自分の格好を見回す。どう見ても王都の裏路地をねぐらにする浮浪者だ。おまけに手には刃物持ち。いくらジェイルが元関係者と言えど、この格好を
そこまで考えてようやくジェイルは、自分が正門でも警備詰め所でも受付でも一度も呼び止められなかったことを思い出した。
まるで、ジェイルにかまっていられないほどの異常事態が起きているかのように。
ジェイルの頬を冷や汗が伝う。自分はなにか、とんでもない失敗をしでかしたんじゃないか?
彼に後悔する時間は与えられなかった。
どこからかかすかな悲鳴が聞こえる。遠くに聞こえた悲鳴は次第に大きくなり、やがて大勢の走る音ともにジェイルの元へとやってきた。
王立研究所の人々が逃げ惑っている。恐怖に青ざめ絶叫しながら、我先にと逃げ出していた。もはやどんな叡智も研究も役に立たない。ただただ原始的な生存本能からみんな逃げ続けていた。
ぼうっと突っ立っているジェイルへ注意を払うものなど誰もいない。皆それどころではなかった。
ジェイルは虚をつかれたように立ち止まったまま、逃げ出す人々を見送る。何故か自分も逃げようとは思わなかった。脳の何処かが痺れたように動けないままでいる。
やがてジェイルの元へと、地獄に招く使者がやってきた。
「ネ゙イ゙、ザン゙ン゙ン゙ン゙……ネ゙イ゙ザア゙ア゙ア゙ア゙ン゙ン゙……」
ズルズルと這いずる肉塊が現れる。人間とスライムが合成されたようだった。肉塊はうわ言のようになにかを叫びながらジェイルの元へやってくる。すでにその大きさは3メートルに達していた。
「……ハハ」
ジェイルの口から乾いた笑いがこぼれる。直感的に理解してしまった。あれが自分の末路だと。あの不気味で醜い肉塊に自分もなるのだと。
成り果てるのだと。
いまさらながらにジェイルは踵を返す。研究所から逃げ出すべく、力を込めて走り出す。
肉塊から目にも止まらない速度で触手が伸びた。足首を掴まれてジェイルが無様にすっ転ぶ。顔を床へしたたかに打ち付けて鼻血を流しながら彼は叫んだ。
「いやだああああああああああああ! だれか、誰かたすけてくれえええええええ!!!」
獲物を捉えた触手がゆっくりとジェイルを引きずっていく。ジェイルは髪を振り乱し、叫び、命乞いを続けた。しかし助けるものは誰もいない。
「いやだあああああ! 死にたくない、死にたくない、……ア゙ッ゙」
ジェイルの身体が肉塊に取り込まれ、悲鳴が途切れる。
肉塊はジェイルのことなどとうに忘れている。ただ新たな若い肉が手に入ったと感じるだけだった。
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