第38話 若返りの魔法奪われる

「わかった。若返りの魔法を渡す」


 ネイサンの出した結論に、アガルマはニンマリと笑う。


「ハハハ、ようやく観念したか。そうともそれが正しい態度だ。いや、そもそも貴様の古代ガラル語研究は儂の研究室で行われていたもの。ならばその成果はすべて儂のものとも言えるな。はっはっは、よく考えれば若返りの魔法を得るのは当然の権利だったな。むしろ今まで隠していた貴様が悪いのだ」


 勝利を確信して好き勝手なことを喋りだすアガルマ。もちろんネイサンはアガルマ研究室でひどい扱いを受けていて、研究が捗ったことなど一度もない。アガルマ教授による手助けもまったくの皆無である。これはただただ教授が暴力によって弟子の成果を奪い取ろうとしているだけだ。


 だが、アガルマはもはやそんなことにも気づかないらしい。


「さあ、若返りの魔法をさっさとよこせ、ネイサン!」


「…………」


 ネイサンは黙って空間収納魔法から紙とペンを取り出すと、空中でさらさらと書き物をした。書き終わった紙を、アガルマに見えるよう掲げる。


「エタルシカリナーラ・ケセルウォナリス……あなたの言う若返りの魔法の全呪文をここに書きつけた。これでいいか」


 するとアガルマが眉をひそめた。


「貴様、なにも見ずに呪文を書いたな? でたらめで儂を騙すつもりか!」


「自分の訳した呪文くらい全部覚えている。当然だ。ガラル魔法という強力な魔法を扱うのだから呪文くらいそらで暗記していないと」


「ば、馬鹿な。若返りの魔法はそこらの魔法とは違う。複雑なガラル魔法の中でも特に長い呪文を持つはず。それをすべて暗記しているなど……」


 信じようとしないアガルマに、ネイサンはムッとして軽く詠唱をする。


「エスピリトゥソィス・ディヴィナシェール・オブスクギカリス・エーテルナル・リディム・ヴォルタリス・アストラリス・セレス・ミステリウム……」


 呪文に合わせてネイサンの周囲に魔力が集まり始める。それを見たアガルマが慌てて止めた。


「わ、わかった! わかった! 本物だな、信じよう」


 ネイサンが詠唱を途中で辞めると魔力も霧散した。改めてネイサンがアガルマに言う。


「では、若返りの魔法を渡す前に、メリッサを返してもらおう。もしゴートさんを捕まえていているなら、そちらもだ」


「ふん、生意気な。貴様ごときが儂に命令か? 貴様が呪文を渡すのが先だ」


「そうはいかない。あなたが約束を守らないことは、研究室時代でよく知っている」


「いいのかそんな態度を取って? おいザンバ! そこの小娘を痛めつけて、こいつに立場をわからせてやれ」


「なっ!」


 いきなり人質を傷つけようとするアガルマに、ネイサンが動揺する。


 すると、今までずっと黙っていた大男『烈掌のザンバ』が初めて口を開いた。


「アガルマ、約束が違う。俺は一般人を不必要に傷つけることはしない。人質に取るところまでは了承したが、無意味な傷害は無しだ。もしこの少女を襲えと命令するなら、俺はもうこの依頼から降りさせてもらう」


 低く重々しい声だった。鋼のように強靭な精神を感じさせる渋みがある。

 アガルマが慌てたようにザンバへ言った。


「ま、待て待て待て。冗談だ。あの生意気なネイサンを少し脅かしてやっただけだ。いまお前に抜けられては困る。取り消そう」


「ならば、良い」


 ザンバは静かに頷く。アガルマは歯噛みして悪態をついた。


「ぐぬぬぬ、冒険者風情が調子に乗りおって」


「なにか言ったか?」


「いいやなんでも」


 ぶんぶんとアガルマが首を振る。

 ザンバが、ネイサンへと向き直った。


「ネイサン殿。このような状況になって誠に相すまぬ。常ならばこんな依頼受けぬのだが……。いや、なにを言っても言い訳になるな、よそう」


 ザンバは、強面ながら真っ直ぐな意思を感じさせる瞳でネイサンを見た。


「アガルマの願いが叶えられれればこの少女は必ず解放しよう。俺が約束する。絶対に反故になどさせん。俺がそちらにおもむくから、その呪文を書いた紙とやらと交換でどうか」


「いいでしょう」


 奇妙なことだがネイサンはザンバの言葉を信じる気になった。ネイサンは襲われている側だが、ザンバには冒険者としての気骨がある気がしたのだ。

 ザンバが先に動く。ネイサンもまた歩き出し、若返りの魔法と交換でメリッサを受け取った。


 メリッサはすすで汚れてはいたものの、怪我は無いようだった。とは言え相当怖い思いをしたに違いない。だというのに口から出たのはネイサンへの気遣いだった。


「ネイサンごめん、あたしのせいで貴重な魔法を……」


「なに言ってるんだ。君の安全には変えられないよ。無事で良かった。親父さんは?」


「裏で眠らされてる。あの大男すごい強くてさ。親父もそれなりに強いはずなのに、まるで相手にならなかった」


「二人とも大きな怪我しなくてよかったよ。僕の方こそごめん、僕のせいで二人を巻き込んで、北の明星亭まで……」


 ネイサンの言葉で、メリッサは改めて実家である定食屋を見上げた。北の明星亭は今炎を上げて燃えている。

 幼い頃からゴートと二人でやってきた店だ。色んな思い出が詰まっているに決まっている。それでもメリッサは感傷を押し殺すように視線を切って、ネイサンに言った。


「なーに、また建てりゃいいんだよ。それよりネイサン、危ない真似しないでくれよ」


「僕は大丈夫だよ。メリッサこそここは危険だから離れて。北の明星亭は残念だけど、僕がきっと復活させるから」


「うん……」


 メリッサはうなずきつつ、最後にもう一度燃える北の明星亭を見上げてから、ネイサンの元を離れた。


「セシル、メリッサと親父さんのこと頼めるかな。そして、なるべくここから離れていてくれ」


「承知しました」


 セシルは頷くと、メリッサを抱えて姿を消す。おそらく裏で寝ているというゴートの元へと向かったのだろう。


 これで、この場にはネイサンとアガルマ、ザンバの三人だけだ。

 ネイサンは燃える北の明星亭を見上げた。許せない。この場所はネイサンにとってあたたかく、帰る場所だった。傷ついたネイサンを最初に助けてくれたのもここだった。それを今、よりにもよってアガルマの身勝手な欲望によって燃やされた。

 いつになくネイサンは怒っていた。


 一方アガルマは、ネイサンの怒りに気づく様子もなく若返りの魔法を手に入れてはしゃいでいた。


「ぐふふふ、ついに、ついに手に入れたぞ! 若返りの魔法さえあれば再びの賢者称号は確実。儂は歴史に残る大魔法使いになるのだ!」


 アガルマは本当に、堕ちるところまで堕ちてしまったんだな……と思いつつネイサンは声を掛ける。

 

「勘違いしないように言っておくが、その紙に書かれているのはエタルシカリナーラ・ケセルウォナリス若返りの魔法の呪文を解読したもので、きちんと詠唱するには原典のグリモワールへの理解が必要だぞ。詠唱に失敗すれば大変なことになる」


 するとたちまちアガルマが顔をまっ赤にして怒り出す。


「馬鹿にするな! 貴様にできることくらい当然儂にもできる。いいか、古代ガラル語を解読したくらいでいい気になるなよ。貴様はたまたま、運良く、解読に成功したにすぎんのだ。それも30年もかけてな! 儂がその気になれば貴様と同じことは必ずできた!」


「はいはい、わかったよ」 


 ネイサンは根が超のつくお人好しだ。実際このときも、これほどひどいことをしたアガルマに対してさえ助言しようとしていた。

 だがアガルマのまるで良心に呵責のない態度と、北の明星亭を燃やされたことでそんな気持ちもなくなった。

 どうでもいい。好きなようにすればいい。

 もともと無理やり奪われたものなのだから、自分には関係ない。


 ネイサンがそんなことを思っているとも知らず、アガルマは意気揚々とザンバに命じた。


「ザンバ! しっかりネイサンの足止めをしておけよ。儂はこれから早速研究所に戻って若返りの魔法の実践だ! ぐふふふ、早くこの魔法を使うのが楽しみだわ」


 アガルマの命令に対し、ザンバもまた不快そうな顔で返事する。


「……わかった。足止めはやっておく。さっさと行け」


「ではなネイサン。最後の最後に儂の役に立ったことを褒めてやる! はっはっはっは!」


 哄笑を残してアガルマは去っていった。

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