第36話 鮭と熊
目的のものはすぐに見つかった。サリー地方を流れるサリー川の河畔までやってくると、すでに遡上でおびただしい鮭が舞い踊っているのが見えたのである。
サリー川の鮭は「サリーキングサーモン」といい、普通の鮭の2倍の大きさがある。それが何千匹も川を登っている様は圧巻だった。決して狭くはない川幅を持つサリー川が、鮭の大群で黒く染まったように見える。
川岸まで行けば手づかみでも取れそうな魚群だったが、そう簡単にはいかないわけがあった。
「熊……だねえ」
「さ、サササササリーレッドベアー!!?
川には同じく鮭の遡上を狙ってやってきた熊の魔物、サリーレッドベアーがいる。体高は平均3メートル、大きいものだと4メートルに達する巨大熊だ。
それが、鮭を狙って大きな群れを作り川岸を我が物顔で埋め尽くしている。サリーレッドベアー達は一部が川の中に入って長い爪で鮭をとっては川岸に放り投げていた。その巨大な手で、まさに熊手のごとくかき集めて獲っている。
「なるほど、鮭が急に不漁になった原因はコレか」
「どうするんですか? 少なく見ても川のこちら側だけで100頭以上はいるようですが」
「サリーキングサーモンはおいしいからね。魔物でもそりゃ食べに来るよね。かわいそうだけど魔物だし討伐しようか」
「は? え? サリーレッドベアーですよ。赤熊種が100頭ですよ?」
驚いたようにセシルが訊ね返すが、ネイサンはもうどのガラル魔法を使うかについて頭がいっぱいになっていた。
「うーん、氷魔法や炎魔法だとこの土地の気温が変わってしまうかもしれないな……」
「いやいやいや待ってください、サリーレッドベアーの群れ討伐なんてEランクのクエストじゃありません。低く見積もってもBランク、下手するとAランクの冒険者が相当ですよ! いったんここは引いたほうが……」
「雷魔法だと川の鮭にも影響があるかもしれないし、闇魔法だと大規模に使ったら闇魔力が滞留して更にモンスターを呼び寄せるかもしれないし……そうだ! 『サンカルスペラ』」
ネイサンが手を空に向かって掲げると、白い光の剣が無数に現れる。突然輝く光剣が現れたことでサリーレッドベアーたちもネイサンの存在に気づくが、向かってくるより早く魔法が発動した。
光の剣が空から熊の方へと降り注ぎ、その巨体を切り裂いていく。クマたちはその場から動くこともできないまま次々と倒されていった。
その光景をセシルは唖然として見つめていた。
「な、なんて威力……赤熊種は鋼の剣も通さない硬い毛皮で覆われているのに……」
ネイサンはしばらく光の剣を発射し続け、川にいたサリーレッドベアーをほぼ全滅させた。わずかに残った数頭の熊たちも、恐れをなして川岸から逃げていく。
ネイサンはそれを見ても特に追いかけようとはしなかった。
「逃がしていいんですか?」
「ほとんど倒したからね。逃げるなら無理に追わないさ。それに人間の怖さはわかっただろうから、しばらくはダンジョンに隠れて大人しくしてるんじゃないかな」
打ち倒した200頭近いサリーレッドベアの死体は
「さて予想外のトラブルもあったけど、さっそく鮭漁を始めようか」
「あれがトラブルで済むんですね……。そしてメインはやっぱり鮭漁なんですね」
あらかじめ冒険者ギルドから借り受けていた魚を捕らえる魔法道具の網を使い、ネイサンとセシルは早速サリーキングサーモンを獲っていった。
熊がいなくなったことで川にはさらに多くの鮭が押し寄せ、二人は面白いように獲ることができた。
◆◆◆◆
昼前にはネイサンもセシルもたっぷりと鮭を取ることができた。
樽いっぱいに取れたサリーキングサーモンを見て、ネイサンが言う。
「せっかくだしここで少し焼いて食べてみようか」
「いいんですか?」
「朝早くに出発したからお腹すいたでしょう? これからまた帰るために空を飛ぶし、その前に腹ごしらえしとこう」
「とてもいい考えだと思います!」
早速二人は野外バーベキューの準備をした。火を起こし、鮭をさばき、調理台に乗せる。
作るのはサリーキングサーモンの包み焼きだ。火でも簡単に燃えない丈夫な葉っぱに鮭を載せ、玉ねぎ、きのこ、バターを加えて蒸し焼きにする。
すぐ川原にバターと鮭の焼けるおいしそうな匂いが漂い始めた。
すると、今まで姿を隠していた守護神獣、スフィンクスのハウルが現れる。
「マスター!」
「わ、びっくりした。どうしたのハウル。この土地は寒いから現界しないんじゃなかった?」
ハウルは身体を霊体化することができる。暑い地方出身の彼女はサリー地方の低い気温を嫌って今まで霊体化していたのだが、なぜか突然実体化したのだった。
ハウルはうらやましそうな顔で言った。
「ずるいです、マスターたちばっかりそんなおいしそうなもの食べようとして! 私も食べたいです!」
「あははは、いいよ。一緒に食べよう」
携行食料として持ってきていたパンやスープと合わせて昼食にする。
「いただきます」
「いただきます」
「いただきまーす!」
三人(一人は神獣だが)は早速焼きたての鮭を口に入れた。美しいピンク色の切り身から、じゅわっと甘い脂があふれる。
「むむっ、これは!」
「うん、おいしいね」
「さすが新鮮なサリーキングサーモンですね! 脂がのってておいしいです」
「…………………」
ハウルは早くも無言で鮭を頬張っていた。
その姿を見てネイサンが笑顔になる。
「冬の醍醐味だね。たくさんとれてよかった。サリーレッドベアもいなくなったから、これかからは普通に漁ができるだろう」
「結局高ランククエストになっちゃいましたね」
おしゃべりしながら新鮮な鮭の味を楽しむ三人。
お腹いっぱいになったところでバーベキューを片付け、帰る準備をした。
樽いっぱいのサリーキングサーモンももちろん空間収納にしまわれている。
「楽しかったね。今回はクエストだったけどまた来たいな」
「私は寒いのであまり来たくないです。鮭はおいしかったですが」
「ハウルさん、そんな露出の多い格好をしているからじゃ……」
「失敬な! これは守護神獣としての正装ですよ」
「ははは、さ、二人ともそろそろ帰るよ。鮭をギルドに納品してから、北の明星亭にも届けなきゃ」
ネイサンが
ハウルは再び霊体化し、セシルはネイサンに抱えてもらった。
忘れ物がないことを確認し、ネイサンは王都へと飛び立った。
◆◆◆◆
しかし平和に終わるかに思えたその日に、とんでもない事件が待っていた。
ネイサンがアエルリアで空中を飛んでいると、突然ハウルが実体化した。
「マスター、失礼します。マスターが拠点としているあの宿、北の明星亭の様子がおかしいです」
「どうしたの?」
「距離が遠いためはっきりとはわからないのですが……どうも何者かが侵入しようとしているようです」
「なんだって!?」
「敵の正体はわかりませんが、相当な実力者のようです。マスターがかけたシルヴァレンディア・アスティスの結界が破られそうになっています。申し訳有りませんが、先に私が戻って宿を護衛してもいいですか?」
「お願いしていいかい」
「承知しました」
ハウルは一つ頷くと、ギュウン、と加速してネイサン追い越し飛んでいく。さすが守護神獣と言うべきか、ネイサンのアエルリアよりもさらに段違いのスピードだった。
ネイサンは険しい表情で王都の方向を見つめる。腕の中でセシルが不安そうに訊ねた。
「ネイサンさん、北の明星亭には確か守護結界が張られていましたよね。ガラル魔法による」
「ああ。だけど、あれは簡単な泥棒や盗賊、家事なんかを防ぐもので、本格的な戦闘にまで盤石じゃないんだ。北の明星亭を守るには、それで十分だと思っていたんだけど……」
「王都に魔物や国の軍隊が攻め込んでくるはず無いですからね。ではいったいこれは……?」
「わからない。なにも」
敵の正体も、力も、そもそもなぜ北の明星亭が狙われたのかもわからないネイサンは、焦りつつも急いで帰るしかなかった。
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