第35話 アガルマの暗躍とサケ漁

 賢者称号を剥奪されたアガルマは、鬱々とした日々を過ごしていた。


 すでに研究者として成功し、金も地位も手に入れたアガルマにとって、最後に欲しいものは後世まで残る名誉だった。それだけに一度得た賢者称号を剥奪されるというのは耐え難い屈辱なのだ。古代ガラル語を解読に成功するまでのネイサンと違い、すでにアガルマは十分安定した生活を手に入れているが、それとは関係なく称号剥奪を人生最大の失敗、屈辱と考えていた。


 今のアガルマはなんとか賢者称号の再任を得られないか、それだけを考えて過ごしている。何度も国王へ謁見を申し出ては(当然門前払いされている)、自分の教授としての経歴をアピールしようと奮闘していた。


 そのために本来の仕事であるはずの研究室の指導監督すら疎かになっている。日々の研究をコツコツ進めその成果によって賢者称号を再び手に入れるという発想は彼にはないのだった。


 彼に従っていた研究員たちも、日を追うごとにアガルマに失望し、中には研究室の異動を真剣に考える者さえいた。今までネイサンに押し付けていた雑用が一気に降り掛かってきたことも、研究員の不満を高めていた。もちろん全て自業自得と言える。


 さて、アガルマが王宮でネイサンを見かけたのはそんな何の意味もない賢者再任嘆願に赴き、いつものようにすげなく断られた帰りのことだった。


 はじめは、やけに年若い研究者らしい男が出てくるな、と注目したのだった。人一倍プライドの高いアガルマは、自分より遥かに若い研究者が王宮に呼ばれているのを見て勝手に不機嫌になった。

 そうして若い研究者に視線を向けていたら、それが若き日のネイサンとそっくりであることに気づいたのである。


 ネイサンが王立研究所に就職した頃、アガルマはすでに先輩研究員として働いていた。それからトントン拍子に出世しやがて自分の研究室を持つことになるのだが、そのためネイサンの若い頃の姿をよく知っていたのだ。アガルマ以外の研究員が見てもネイサンだとは気づかなかっただろう。


 ネイサンはすぐに王宮から立ち去ってしまったため声をかけることはできなかった。唖然として若返ったネイサンを見送ったアガルマは、その日家に戻って自身の書斎にこもると考え込んだ。


「あれは、たしかにネイサンだった……どういうことだ? なぜ若返っている? 他人の空似とはとても思えん」


 しばらく机の上で唸っていたアガルマだが、やがてなにかに気づいたように立ち上がると、本棚から本を幾冊か取り出して猛然とページをめくり始めた。


「……あった! これだ、古代ガラル魔法にだけ存在したと言われる、若返りの魔法……! これを使ってやつは若返ったに違いない」


 アガルマの目が怪しく輝く。しばらくして彼は、肩を揺らして笑い始めた。


「ぐふ、ぐふふっ、これだ! これこそ儂が再び賢者の称号を手に入れられる大成果になる! 

 ぐふふ、若返りの魔法とはネイサンも良いものを解読してくれたな。この魔法をネイサンから盗み、それからあいつを殺せば若返りの魔法は儂のものだ。若返りなど誰もが欲する最高の奇跡。国王だって欲しがるぞ! 

 くっくっく、ネイサンの阿呆め。この魔法があればすぐにでも宮廷魔術師にもなれただろうに……やはり研究しかできんバカは駄目だな、世渡りということを知らん」


 自分勝手な妄想と理屈をこね回しながら、アガルマは笑い続ける。


「そう、若返りの魔法さえれば儂は世界で最も重要な魔法使いになれるぞ! 各国の王侯貴族から呪文依頼が殺到にするに決まっている。賢者称号などもはやくだらん! 儂は世界で最も偉大な魔法使いになれるんだ!」


 アガルマは再びバラ色の未来を夢想し悦に入る。早くも彼はネイサンからどうやって若返りの魔法を奪いとるか真剣に考え始めた。



 ◆◆◆◆



 それから数日たった、ある夕方の北の明星亭。


「う〜〜ん!」

「おいしい!」


 北の明星亭の夕食は今日も絶品だった。

 今夜のメニューはイクラとサーモンのクリームパスタ。もう文句なく美味しい。ネイサンはセシルと二人で舌鼓を打つ。


「どうだネイサン、うまいか?」


「今日も最高に美味しいです! 親父さん!」


「そうかそうかそりゃあよかった」


 ネイサンの返事にゴートが満面の笑みを浮かべる。

 思えばこのときおかしいと思うべきだったのだ。ゴートは普段味を褒められても照れくさそうにちょっと笑うだけで、満面の笑みなど浮かべない。

 だがネイサンはなにも気づかずパスタと、白ワインを楽しんだ。


 ゴートも、給仕をするメリッサも、美味しそうにパスタを食べるネイサンとセシルをニコニコ眺める。

 さすがにセシルはなんか妙だなと違和感を覚えたが、ネイサンは最後まで幸せそうに夕飯を食べていた。



 ◆◆◆◆



 ゴートとメリッサの奇妙な態度のわけは、夕食の後ですぐネタばらしされた。


「「頼む! イクラを取ってきてくれ!!!」」


 その日の夜、定食屋が閉まってから食堂に集められたネイサンとセシルは、いきなり二人に揃って頭を下げられた。



「ど、どうしたんです二人とも」


「実はここ最近鮭が不漁でなあ。新鮮なイクラが入ってこないんだ」


 と、ゴート。


「なんでも北の方でモンスターが暴れているらしいんだ。でも冬はやっぱり鮭といくらが食べたいだろ。だからネイサンが冒険者ギルドでクエスト受注して、なんとかしてくれないかなって思って」


 と、メリッサ。


「今日の夕食のイクラは……」


「実は、あれが家にある在庫の最後なんだ」


「ではこのまま鮭が取れないと、さっきのイクラが最後ということですか!?」


「頼む! ネイサン! お前さんしか頼れるやつがいねえんだ!」


「あたしからも頼むよネイサン! もう市場にはイクラひと粒も残ってないんだよ!」


 ゴートとメリッサの二人に拝むようにして頼まれるネイサン。

 二人とも深刻な顔つきで頭を下げているが、セシルは呆れかえっていた。


「あの、お言葉ですが……ネイサンさんはすでにB級、立派な上級冒険者なんですよ。鮭が取れないというのは大変ですが、そんな食べ物につられてクエストを受けるわけ……」


「よろしい、お引き受けしましょう!」


「えええーーー!!?」


 まだネイサンの性格を掴みきれていないセシルが驚く。


「ネイサンさん本気ですか!? 冒険者ギルドに行かないとわかりませんが、イクラを取るなんて多分Eランク向けのクエストですよ! 報酬激安ですよ!」


「もちろんだよ。メリッサと親父さんが困っているし僕もイクラは食べたい。受けるに決まってるじゃないか」


「ええ……やさしすぎる」


 そう、ネイサンは超のつくお人好しなのである。


「親父さん、メリッサも、僕にまかせてください! 明日にでも新鮮なイクラを樽いっぱい取ってきます」


「おお! 助かるぞネイサン! 戻ってきたら今日に負けない鮭料理を食わしてやるぜ!」


「ありがとねネイサン!」


 トントン拍子でイクラを取ってくることが決まってしまった。

 セシルはあんぐりと口を開けて立ち尽くすしかなかった。


「……ええー……」



 ◆◆◆◆



 翌日。

 朝一番で冒険者ギルドに行き、予想通り出ていたイクラ納品のクエスト受けたネイサンは、王国北方、サリー地方へとやってきた。

 馬車で行けば10日はかかる距離だがそこはネイサン、アエルリアを使えばひとっ飛び……とまでは行かないが、1時間半ほど飛ぶことで着くことができた。


 ちなみにクエストを受ける際、受付嬢のキャロルは何度も何度も確認をしてきた。


『本気ですね? 本当にイクラを取ってくるクエストを受けるんですね!? 今日は報酬が金貨100枚のやつもあるんですが!』


『イクラで』


『承知しました……手続きします……』


 ほんとにいいのかなあ……、でも本人の頼みだしなあ……とブツブツつぶやきながら、キャロルは手続きを進めたのだった。



 クエストには護衛兼パーティーメンバーのセシルも当然付いてきている。ネイサンがセシルを抱え、アエルリアで一緒に飛んできたのだ。アエルリアは周辺に風の結界を張るので、一緒に飛べばセシルも高空の低温低圧を受ける心配はない。

 ただ、彼女の心のダメージは深刻だった。



「うう、私の空中飛行初体験がまさかイクラを取ってくる旅だなんて……もっとロマンチックな、満月の夜に舞うとかしたかった……」

 

 サリー地方についた後も落ち込み続けるセシル。一方ネイサンは空間収納の魔法ユラティーニノルボから魚用樽をいっぱい用意し、目を輝かせている。


「さあ、がんばって鮭を取るぞイクラを取るぞ〜」

 

「も〜〜、こうなったらやけですよ! 魚市場にあふれるくらい鮭を取ってきてやろうじゃないですか」


「やる気だねセシル。うれしいよ」


「誰のせいだと思ってるんですか!」


 サリー地方の気温は3℃。ネイサンはセシルに体温保護の魔法をかけてあげると、さっそくサケ漁へと繰り出した。

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