第32話 スフィンクス

 スフィンクスの登場に調査隊は大きく動揺した。


「スフィンクス……伝説の神獣じゃねえか」


「Sランクのモンスターなんて勝てるわけない!」


「おしまいだ……俺たちはここで全滅するんだ……」

 

 不安、混乱、絶望……、様々な負の感情が調査隊に渦巻く。


 一方、ネイサンもまたスフィンクスの登場に大きく動揺していた。


「すごい、すごすぎる! 聞きましたかセシルさん、あのスフィンクスはガラル語で話していますよ!!!」


「なんでそんなに喜んでるんですか! スフィンクスですよ、伝説のモンスターですよ! 私達食べられちゃうんですよ!」


 興奮するネイサンにセシルがつっこむ。


 スフィンクスが話している言葉は正確には古代ガラル語よりもだいぶ簡略化された言語だった。新ガラル語とでも呼ぶべき言葉だ。

 失われた古代王国の時代でも、ガラル帝国から五千年の月日が経っているのである。言語が変化しているのは仕方のないことだ。


 それでもネイサンは興奮を隠せなかった。自分が生涯をかけて解読した言語で、会話ができるかもしれないのだ。

 モンスターとは言え、もしかすれば五千年前から生きているかもしれない相手と会話できる。絶体絶命のピンチだと言うのに、ネイサンは喜びで胸が爆発しそうだった。


「話したい……しゃべりたい……」


 思わずユニコーンから降りてスフィンクスのそばへと向かうネイサン。

 セシルがぎょっとしてすぐ追いかける。


「なにしてるんですかネイサンさん! 危ないですよ!」


「ちょっとだけ! ちょっと会話するだけだから!」


「馬鹿なこと言わないでください相手はモンスターですよ!!」


「離してくれ! ガラル語で会話できるかもしれないチャンスなんだ!」


「も〜〜〜〜〜〜、この人ガラル語のことになると頭おかしくなる!」


 セシルが引き止めるのも聞かず、ネイサンはスフィンクスの下へと向かう。他の冒険者や騎士達は、恐怖に当てられ動けないでいた。代わりにユニコーンがネイサンとセシルを守るように寄り添う。


 スフィンクスの前へと飛び出したネイサンは、さっそく話しかけた。


「《は、はじめまして!》」


 スフィンクスが目を見張る。明らかに動揺していた。


「《お、お主……。ガラル語を解するのか!!!?》」


「《はい。こうしてお話できて光栄です》」 


 「《なんということだ……私が生まれて一千余年、ガラル語を話せる人間とは初めて相まみえたわ……》」


 スフィンクスは威厳たっぷりだった登場から一転、混乱しきった表情で話す。

 大墳墓迷宮は五千年前から存在しているが、スフィンクスはさすがにその時代から生きているというわけではないらしい。

 それでも千年というのは魔物にしては途方もない長命さだ。


「《改めましてスフィンクスさん。あなたがこのフロアの主とお見受けします。フロアを守るため我々を襲うのはもっともですが、どうか少しの間だけ僕とお話をしてくれませんか?》」


「《は……話!? 私と!!? 貴様正気か!!!?》」


「《はい、僕はあなたとおしゃべりがしたいのです!》」


「《おしゃべり!? 人間が!? 私と!!?》」


「《どうか、どうかお願いします! こんなチャンス二度と無いんです!》」

 

 ネイサンがその場に土下座して頼み込む。隣のセシルは、もうどうにでもなれという顔で天を仰いだ。

 スフィンクスが、人間で言えば驚愕と表現するしかない表情をする。


 異常な成り行きにガラル語がわからない調査隊のメンバーもいつしか固唾をのんで見守っていた。


「…………………………」

「《………………………》」

「…………………………」



 しばらくの間、誰もが沈黙した。

 やがて、スフィンクスが小さな声を発する。


「《……少し待て》」


 続いて、まばゆい光がスフィンクスを包む。

 新たな敵の攻撃か、と調査隊は身構えたが、そうではなかった。

 まばゆい光の消えた後、そこには美しい女性が立っていた。


 大きさは人間大になっているが、長身で、腰まで届く長い黒髪を持っている。褐色の肌で、目には濃い隈取の化粧をしていた。頭に青と金の横縞で染められたネメス頭巾を被り、片手には先が二股に別れた神杖ウアスを持っている。


 古代の魔物故か、服装は過激だった。胸部を宝石と金糸で編まれた前垂れで隠し、腰部を白い腰布で覆っているほかはなにも着ていない。それでいて肉体は魅力的な膨らみに満ちていた。

 特に胸の前垂れは少し動くだけでも色んな意味で危険なはずだったが、なにかの魔法を使っているのかしっかりと胸元を覆って中が見えることはなかった。


 変身したスフィンクスの格好を見たセシルが思わずつぶやく。


「うわえっろ……」


「セシルさん?」


「すみません! つい思ったことがそのまま口から出て!」


 幸いスフィンクスは現代語を解さず、慌てるセシルに不審そうな一瞥をくれたのみであった。


 スフィンクスが、咳払いする。


「《……あー、コホン。ちょっと、そこの人間》」


「《はい!》」


「《ど、どうかな? 人間に変身するなんて初めての経験だから勝手がわからないの。変じゃないかしら?》」


 もはや最初の威厳ある話し方はなりをひそめ、人間の少女のような口調で話すスフィンクス。

 スフィンクスの衣服は現代のネイサンから見ると色々と危ないものだったが、そこは文化の違いと捉え感想のみを述べる。


「《とってもよくお似合いですよ。美しいです》」


「《うつくしっ!? ……っんっ、人間に褒められても別に嬉しくないけど、変じゃないならよかったわ》」


 褐色の肌をわずかに赤く染め返事するスフィンクス。

 ガラル語がわからない調査隊のメンバーはネイサンとスフィンクスがなにを話しているかはわからないが、どうやら相当ちょろそうなモンスターであることは肌で感じ取っていた。


「《それで、私となにが話したいの? 人間ごときが不遜過ぎる願いだけど、まあ、聞くだけ聞いてあげる》」


「《ありがとうございます。申し遅れましたが僕の名前はネイサンです。よろしくお見知りおきを》」


「《ふーーーん、ネイサン、ね。取るに足らない人間ごときの名前なんてどうでもいいけど、一応覚えておきましょう。それから私の名前はハウルよ。スフィンクスなんて種族名で呼んだら許さないから》


「《わかりました。ハウルさん》」


「《〜〜〜〜〜〜〜っ》」


「《ハウルさん、どうしました?》」


「《な、なんでも無いわ! 続けなさい》」


「《?》」


 ネイサンは知らなかった。スフィンクスが一千年間孤独にダンジョンで過ごしたため、ものすごい寂しがり屋だったということを。今生まれて初めてまともに他者と会話できて、喜びに打ち震えているということを。

 

 ネイサンはなにも知らないまま、ハウルに話しかける。


「《ハウルさん、あなたはどうしてガラル語を話せるのですか? 人間の世界ではもうガラル語の意味は失われてしまい話せる人はいないのです》」


「《は〜〜、人間はなにも知らないのね。私を作りだしたメンフィス王国が古代ガラル帝国の後継国家だからよ》」


「《メンフィス王国?》」


「《本当になにも知らないで来たの? このダンジョンはメンフィス王国がかつて作った王墓であり空港なの。今はもう滅んでしまったけど、かつてこの大陸を統一しかけた偉大な王国なんだから》」


「《王墓、というのはわかりますが、空港とは?》」


「《そんなことまで失われてしまったの? メンフィス王国は天空国家よ。空を永遠に飛び続ける天空都市から地上を支配したの。メンフィス王国は滅んだけれど天空城の動力はまだ動いているはずだから、多分どっかの空を今も飛んでいるわよ》」


「《空に浮かぶ城があるんですか!?》」


「《五千年前、メンフィス王宮に仕える大図書館の司書たちが古代ガラル語の解読とガラル魔法の復活に成功したの。ガラル魔法があれば空に城を浮かべるくらい簡単だわ》」


 ハウルの言葉によっていきなりとんでもない事実が次々と明らかになってしまった。あっさりと失われた古代王国の名前や歴史までもが判明する。

 大墳墓迷宮を作った王国の名前が失伝したのは、ピラミッド以外に王国の遺跡がなにも見つからなかったためだった。どんな国家にもある宮殿や首都といった場所が全く無かったのだ。


 まさか天空に王宮があったとは、誰も想像だにしなかった。


(予想はしていたけど、滅亡した王国はガラル帝国の力を受け継ぐ国だったのか……)


 大陸統一に最も近づけたのも、それならば納得だった。なぜガラル語の解読法が再び失われてしまったのかという新たな疑問も生まれたが……。

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