第27話 国王からの褒章
「そ、そんな! 陛下はなにも悪くありません。顔を上げてください」
ネイサンは慌てて立ち上がる。実際国王の責任はまったくないと思っていた。どう考えても悪いのはジェイルとアガルマ、及び研究室の研究員たちだ。国王はなにも悪いことをしていない。
それでもカール5世は律儀に謝罪をしてくれた。本来それはジェイルとアガルマの役割なのに……。
国王はゆっくりと顔をあげる。
「ジェイルとアガルマ、及び王立研究所については今官房第三局に内偵を進めてもらっている。内偵調査が終わり次第、管轄する内務省に命じて監査を行わせる。ジェイルとアガルマには必ず責任を取らせるゆえ、どうか許してほしい」
「許すも許さないも、国王陛下の御心に感謝いたします。私の受けたことはもうそれほど気にしていないのですが、私のような研究者はもう出てほしくないです。そのきっかけになるのであればこれほど嬉しいことはありません」
「そう言ってくれるか。ありがとう。君はあの二人と違って実に人格のよくできた人物だな」
カール5世はそう言って、ようやく笑顔になる。ネイサンも笑って、二人ようやく座り直した。
新しいお茶を注いで、ほっと一息つく。
国王が穏やかな表情で言った。
「ネイサンくんが実に物分りが良くて助かった。正直罵倒されても仕方ないと思っていたものでな。君が怒り出して余に掴みかかったとしても、決して手を出さないようあらかじめ護衛に言い含めておいたくらいだ」
「そんな……先程も言いましたが、国王陛下はなにも悪くないと思っていますよ」
「だが君の貴重な人生の時間と、それを捧げることで手に入れた成果の両方とも奪われたのは事実だ。しかも王の名を冠した研究所で……。余は心から申し訳ないと思っている。そこでだ。先にネイサンくんの望みをいておきたい。何でもいいから申してみなさい」
「よろしいのですか?」
「うむ。実は第3局の方から君の意向についてある程度聞いておる。謝罪の場での発言ということにしたほうが何かと都合がいいのだ。どんなことでもいい、ぜひ話してくれ」
どうやらセシルがネイサンの考えについてすでに話してくれていたらしい。安心して望みを口にした。
「それでは申し上げます。私の望みは二つだけです。一つは、のびのびと自分の好きな研究に邁進できる環境。2つ目は、研究成果――特に新たなガラル語魔法は、すぐに世間へ発表せずしばらく国家機密としていただきたいということです」
国王が笑みの皺を深くする。
「理由を聞いてもいいかな?」
「1つ目は、申し上げるまでもありません。研究に没頭できる環境こそ研究者にとって夢の生活なのです。自分の好きなだけ研究できる環境があれば、それ以上はなにも求めません。2つ目ですが、陛下もご承知の通りガラル魔法は非常に有用かつ革新的である反面、世界を何もかも変えてしまう可能性があります。圧倒的な破壊力を持つ魔法、黄金をいくらでも生み出せる魔法、果ては生命という神の領域に踏み込む魔法まで……。これらの魔法がなんの制限もなく世間に公表されれば、どれほどの混乱を生むか想像に難くないはずです」
「ふーむ……」
国王がなにか思案するように顎の下の髭を撫でる。その姿はネイサンの言葉に認められない点があるかのようだった。
ポーズだけだな、とネイサンは思った。実年齢が45歳だけにこの程度の揺さぶりは察せられる。ネイサンが二十代の経験の浅い若者だったら国王の態度に動揺したかもしれないが、そこはさすがに年の功だった。
カール5世は、とっくに要求を飲む気なのだ。
「……ひとつ、訊ねたいのだが」
しばらくして彼は、重々しい口調で言った。
「ガラル語解読の研究成果を秘密にするということは、君の業績がいつまで経っても世間に発表されないことになる。それはいいのかな? 無論これから君の名誉回復は行うが、君の30年間の研究成果は日の目を見ないことになる。それでも構わないと?」
「はい、かまいません」
迷いなくネイサンは答える。
「仮にもし、ガラル語解読成功を発表すれば、ジェイルやアガルマと同じように教授や賢者と言った地位も手に入る。王国、いや、世界の学術史に名を残せるだろう」
「地位や名声と言ったものに興味はありません。私にとって大事なことは、安心して研究をできるかどうかです」
「ふーむ、なんとも。君は魂からの研究者だな」
国王は感心したようにうなずくと、少しもったいぶってから言った。
「……わかった、ネイサンくんの望みを叶えるとしよう。これはミストリア国王カール5世としての約束だ」
「ありがとうございます」
ネイサンが礼を言って頭を下げる。うまく交渉するものだ、と内心唸っていた。
おそらく王国側でも、際限のないガラル魔法の氾濫は望むところではないのだろう。ネイサンの望みは王国の考えとも一致していたはずだ。それを カール5世は先に自分が謝罪しそのお詫びとしてネイサンの要求を飲むという形にすることで、ネイサンに恩を売る格好となった。やることは同じでもそこに二重の利益を生み出したのだ。
最初に寛大な態度を見せ、後に感謝させて恩を売る。さすが国王陛下、老獪だなとネイサンは感心した。
「ネイサンくん、君には国王直下の特命研究者という形で保護させてもらおう。国内の学術誌にも海外向けの発表にも君の名は乗せない。もちろん人事院の名簿にもだ。君の研究、業績のみならず、名前そのものが機密となるわけだ」
「ありがとうございます」
「君の研究費用は王族機密費から出そう。ああ、王族機密費は王家の直轄領と金融資産から生み出しているものだから、心配しなくていいぞ。税金から流用しているわけではない。いわば余の個人的な財布から出すようなものだから、遠慮なく受け取ってくれ」
「重ねてありがとうございます」
研究費の保証までされて、ネイサンは深く腰を折る。
もっとも、国王からポケットマネーを渡されて、遠慮なく受け取れる者がいるとは思えなかったが。
「陛下のご厚情、痛み入ります。代わりに私はなにをすればよろしいでしょうか」
「今まで通り研究を続けてくれればよい。研究成果は余と宮廷魔術師長にだけは教示してもらいたいのだが、どうじゃな?」
「もちろんです」
国王と、宮廷魔術師長の二人だけなら、ガラル魔法がむやみに広まることはないだろう。私的欲求より国家公益を考えられる二人だ。
「そうそう、君を捜索し連れてきてくれたセシルのことだが……」
ネイサンはドキッとした。
連れてきたと言えば聞こえはいいが、事実上セシルは秘密調査に失敗しなし崩し的に王宮へ案内したのだ。まともに考えれば任務失敗である。
もしかして懲罰的ななにかを受けるのでは……と、心配したときだ。
「彼女だが、今後は君の護衛兼連絡役としてそばにおいてもいいだろうか? 官房第三局の職員はほとんどが秘密諜報員でな。顔が割れるのは職務上好ましくない。その点君と彼女はもう会ってしまっているわけだし、ちょうどいいと思ってな」
まさかの提案にネイサンは驚く。また、懲罰ではないと知って内心安堵もした。
「構いません。短い時間ですがセシルさんの人柄はよくわかりましたし……ですが、私に護衛、ですか?」
「鈍いぞネイサンくん。君はもう国家機密を所有する重要人物になったのだ。国として庇護するのは当然だろう。もし君がガラル語を解読できることを諸外国が知れば、君に直接手を出してくる可能性もある」
国王に言われて初めてネイサンも自分の立場が理解できた。もはやネイサンは金の卵、いや、金の卵を産み続ける鶏なのだ。王国以外の国も狙わないわけがない。
僕はただ研究がしたいだけなのになあ……と思いつつ、ネイサンはうなずいた。
「わかりました。護衛よろしくお願いいたします。また自分も十分身辺に気をつけます」
「うむ。まあ、そんな守護獣が召喚できるなら心配はいらないだろうがな」
国王が笑ってユニコーンを見た。たしかにユニコーンだけで騎士団の一個中隊と戦えるだけの戦力がある。ネイサンならば大抵の外国の魔術師や傭兵には負けることはない。
「長々とつき合わせて悪かったな。突然の会合となったが、あえてよかったよ。君に謝罪と、今後の庇護が保証できてなによりだ」
「私も、陛下とお話できてよかったです」
寛大だが老獪さも備えている、理想の君主だった。この人が国王で良かったとネイサンは心から思う。
「お茶会はそろそろお開きとするが、最後になにか欲しいものはないか? 礼が国家の保護というだけではどうもな。金貨でも宝石でも何でも用意しよう」
「いえ、もう十分で……。そうだ、でしたら今日の茶葉を少しいただけませんか? 陛下のお茶は美味しかったので、持ち帰ってお土産にしたいです」
国王は一瞬真顔で目を見開いた後、呵々大笑した。
「最高の賛辞をもらったな。よろしい、用意させよう」
こうして国王とのお茶会は終わり、ネイサンは王宮を辞去した。
その日の終わり、北の明星亭に帰ったネイサンがメリッサにそのお土産を渡して度肝を抜かせることになったのは余談だ。
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