第25話 セシル
◆◆◆◆
「つまり、あなた方は国王の命令で僕を探していたと」
「はい……」
30分後。
ネイサンはセシルと名乗った国家諜報員を、部屋に上げてお茶でもてなしていた。彼女はすべての事情を話し、今はうなだれてお茶を飲んでいる。
北の明星亭の前で鼻を赤くしていたどう見ても怪しすぎる人物を、ネイサンはひとまず自室に招き入れた(ネイサン自身が招けば守護結界は発動しないようになっている)。
メリッサは反対したが、ネイサンはひとまず危険はないと判断したのだ。それに、仮に何らかの悪意に基づく行動を彼女が取ったとしても、ネイサン自身にも守護結界がかけてあるので安全である。
それよりも、どうして北の明星亭の前で見知らぬ少女が座り込んでいたのかのほうが気になったのだ。気になったことは調べずにはいられない性分なのである。
そして数十分かけてセシルのこととその事情を大体聞き出してしまったのだった。
「いやー、びっくりだなあ」
いつも通りのほほんとした笑顔でお茶をすすりながら、ネイサンは言う。
「王立研究所にいた頃は良くも悪くも政治的な動きとは無縁だったから、知らないことばかりだったよ。国王陛下がガラル魔法に注目しているとか、官房第三局とか、秘密調査とか……。いやおもしろかったよ。ありがとうセシルさん」
「あ、はい、どうも」
場合によっては強制連行しようと考えていた相手から素直に感謝されて、セシルは戸惑ったように目を瞬かせる。
代わりに、隣のメリッサが大声を上げた。
「そんなのんびり茶ぁしばいている場合じゃないだろ! 王国からネイサンが狙われたってことじゃないか!!!」
「そうだねぇ。困ったねぇ」
「なーんでそんな落ち着いているんだよ! 命まで狙われたかもしれないんだぞ!」
「研究所をクビにされた時、一度死のうとまで思ったからね。大抵のことは受け流せるようになっちゃったんだよね」
「それにしても落ち着きすぎだよ……」
呆れたように言うメリッサ。
セシルがおずおずと手を上げて、ネイサンに訊ねた。
「あの〜、死のうとまで思ったとは、どういう? 我々の調査でも研究所をクビになったときの経緯は詳しく分からなかったので」
「ああ、そうでしょうね。では少し長くなりますが、僕の側の話も聞いてもらえますか?」
ネイサンはガラル語解読の成果を奪われた後のいきさつを、簡単に話した。最後まで話し終える頃にはセシルは両目から涙をあふれさせ泣いていた。
「ひどい……ひどすぎる……! そんなことが王立研究所で行われていたなんて! 手柄の横取りや不当解雇だけじゃない、馬車から落とすなんてシンプルに殺人未遂事件じゃないですか!」
「ありがとう。僕のために怒ってくれて嬉しいよ」
ネイサンは言葉通り嬉しそうに微笑む。対してメリッサは、滂沱の涙をこぼすセシルにちょっと引いていた。
「いや、たしかにネイサンの境遇はあまりにも酷いけど、そんな泣くほど……? あんた王国の諜報員なんでしょう? 感情の制御とか、習っているんじゃないの?」
「すみません、なんか話聞いてたら悲しくて涙が止まらなくなって……。普段こんなこと無いんですけど。さっきもあっさり第三局の背景事情話しちゃうし、どうしちゃったんだろう私」
「あ、すみません、それ僕のせいです」
「え!?」
「諜報員が簡単に事情を教えてくれないだろうと思って、部屋に入ったときにちょっと魔法をかけさせてもらいました。すみません」
ネイサンがそう言ってペコリと頭を下げる。ようやく涙の引きつつあったセシルが、それを聞いて驚きの表情になった。
「えっ……!? ま、まあ、なにをされても文句の言えない立場なので気にしませんが……ガラル魔法に自白剤のような魔法がある、ということでしょうか?」
「いえ、そんなことはしません。僕のかけた魔法はクエリアスという魔法です。現代にはない種類の呪文で、無理やり訳すなら性善魔法ですね」
「性善魔法……?」
「簡単に言うと、人の善意を大きくする魔法です。誰でも、なんか今日は人のためになんかしたいなと思う日があるでしょう? あれをすごい強くしたような魔法です。人の中にある善意を増幅させ、悪意を小さくする」
一口お茶を飲んでから、ネイサンはセシルに笑顔を向ける。
「つまり先程あなたが僕に色んな情報を話してしまったのは、僕の調査に後ろめたさがあったから。なにか僕のためになることをしたいと考えていてくれたからです。この魔法はそこにある善意と悪意の量を変えるだけなので、良い心持っている人でないと意味がありません。この魔法が効いた時点で、僕はあなたのことを信用していましたよ、セシルさん」
「私の……、善意」
セシルはつぶやく。善意など、長い諜報員活動ですっかり忘れ去っていた。口には出せない汚い仕事をこなしたことも何度もある。それでもネイサンはセシルの心にわずかに残った善意を見つけ、信じ、大きくしてくれた。
そのことがなぜだか無性に嬉しかった。
「そんなわけで、僕はセシルさんが危害を加えるわけ無いとわかっていたんだよ、メリッサ」
「むーー、それはそれでなんか不満。ネイサン、セシルさんが美少女だから自分に好意向けさせようとしたんじゃないの?」
「そ、そんなことしないよ!? 僕はそんな自分の欲望のために人の心を捻じ曲げたりはしないよ!」
「あはは。わかってる、わかってるって。冗談だよ」
「もう……」
からかうように笑うメリッサにネイサンは肩を落とす。そんな二人にセシルは首を傾げた。
調査によればネイサンは45歳のはずで、二人の精神年齢は親子ほど離れているはずだが、若いネイサンの見た目もあってそんなふうにはまるで見えない。まるで仲の良い兄妹同士のようだ。
ネイサンとそんな関係を築いているメリッサを少しうらやましく思いつつ、セシルは別の話題を口にした。
「ところで……こうなったら何もかも話してしまいますが、国王陛下はあなたとの謁見を望んでいます。申し訳ありませんが、強制です。陛下はあなたを他国に渡す訳にはいかないと考えているのです」
「まあ、そうでしょうね」
真面目な顔になったネイサンは、セシルの言葉にうなずく。ガラル魔法がどれほど有用でどれほど強力かは、彼が一番良く知っている。
「僕もミストリア王国の国民です。王命であれば従いますが……、先に言っておきます。僕は、ガラル魔法を戦争や王権強化のために使う気はありません」
きっぱりと、ネイサンは言う。一時的に諜報員としての顔に戻ったセシルが、冷酷に問い返した。
「国王陛下の命であれば、我が官房第三局や親衛隊、ひいては国軍が実力行使に来ますよ」
「それでも、です。拷問されたってガラル魔法を悪用はしません。それに、僕はもう100種類以上のガラル魔法が使えます。正直この国で一番強い魔法使いだと思います。あなた方が軍事力を背景に脅すなら、僕も本気で戦います」
ネイサンが、セシルの冷たい瞳をまっすぐ見返す。しばらく睨み合っていた二人だが、先にセシルがはあっ、と息を吐いた。
「いつもの私だったらここですぐにメリッサさんを人質に取るのですが……、まったく身体が動こうとしません。すごいですね、ネイサンさんの性善魔法は」
ふぅ、とネイサンが息をつく。
「わかってくれましたか」
「私は所詮使い走りなのでなんの決定権もありませんが……ひとまず先に王宮へ手紙を送って、ネイサンさんの気持ちを伝えておきます。今はネイサンさんがいっしょに王宮まで来てくれることで良しとするしかありません」
「ありがとうございます」
セシルとて苦しい立場だろうに、こちらの気持ちを組んでくれたことにネイサンは感謝する。
「それではいきなりですみませんが、いっしょに王宮へ来てください。私は宿の外で待っているので、ご準備をお願いします。」
「わかりました」
王命が下った以上、ひとまず国王に謁見するしか無い。後はなるようになれだと、ネイサンは立ち上がった。
「そういうことだ。ちょっと王宮へ行ってくるよ」
メリッサへ、まるで買い物行くような調子で声をかける。彼女は心配そうに見つめてきた。
「……気をつけてね」
「そんな心配しないで。なにかお土産買ってくるよ」
「バカ、無事に帰ってきたらそれでいいよ」
使う予定はなかったが、メリッサとロアンナに進められて買っておいた正装が初めて役に立った。着替えを終えて念のためグリモワールを携えたネイサンは、セシルが用意した馬車に乗って王宮へと出発した。
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