第24話 国王官房第三局

「――間違いない、彼だ」


 一ヶ月後。

 秋も深まる王都北4区の路上で、フードを目深に被った人物が小さく呟いた。

 声は若い女性のものだ。フードの女は、路地裏に隠れてこっそりと「北の明星亭」を覗き見る。その視線は今まさに北の明星亭に入ろうとしている男、ネイサンへと向けられていた。

 まだ夕方にもならない時間だが、フードの女を見咎めるものはいない。隠蔽魔法を使っているのかあるいは何らかの魔法アイテムか、女は周囲にまったく意識されなかった。


 女の名はセシル。国王直下の秘密機関、官房第三局の諜報員である。

 彼女はガラル魔法を使うと噂される冒険者を探し出す役目を負っていた。


 セシルは優秀な諜報員である。これまで任務に失敗したことはない。油断はしないがこれまでの経験による自負はある。冒険者捜索の任務を命じられたときも、問題なく達成できる――なんなら一日で――と考えていた。

 しかし思いの外時間がかかってしまったのは第三局の別班が収集した情報に混乱させられたからだ。


 第三局の別班は王立研究所の旧アガルマ研究室について秘密調査を行っていた。その結果、アガルマ教授とジェイルによって一人の研究員が陥れられ、追放されたことが判明する。


 その男こそネイサン。彼が長く古代ガラル語の解読について研究していたことも確認済みで、間違いなく本当のガラル語解読成功者と思われた。

 ジェイルとアガルマによって研究成果を横取りされ、口封じのため研究室を追放された彼は、いまガラル魔法の知識を使い冒険者をやっている。そのような背景はすぐに第三局でも想像できた。


 常に冷徹な判断が求められる第三局職員だが、ネイサンの境遇には誰もが同情した。セシルもそうである。彼女は孤児院から拾われ一流の諜報員となるべく育てられた。それ故社会の闇はいくらでも目にしているが、それでもネイサンの受けた理不尽な仕打ちには不快な思いをしたものだ。殺人や強盗と言った凄惨な事件とはまた別の残酷さ、人の努力や尊厳を踏みにじる行為に怒ったのだ。


 王立研究所内で行われていた不正にも第三局は怒った。同時に、このような不正を見過ごしていた自分たちも恥じた。王立研究所の監査は教育省と財務省の管轄だが、第三局でも調べようと思えばすぐに知ることはできた。今まで見逃してしまったのはおそらく、「立派な学業を修めている学者、研究者が不正など働くはずがない」という思い込みが王宮側にあったのだろう。


 古代ガラル語の解読という大偉業が発表されたときに、一度研究所を洗っておくべきだったのだ。そうすれば成果を上げた研究者の追放などという不条理を許すことはなかっただろう。


 そのようなわけで、第三局は次第にネイサンの連行というよりも保護に動き始めていた。研究者をやめさせられ今は冒険者をやっている彼を早く見つけ出し、国王に紹介して謝罪したい、そんな思いで諜報員たちは動いていたのである。


 しかしここで捜索の進展がピタリと止まる。それもそのはず、諜報員たちの探していたのは45歳のくたびれたおっさんのネイサンであって、若いイケメンとなったネイサンではなかったからだ。さしもの第三局も、ネイサンがガラル魔法で若返っているとまでは想像できない。


 第三局の諜報員たちは半月ほどの間、おっさんはどこだ、おっさんがいないと王都中を駆け回っていたのである。とんでもない魔法を使う新人冒険者ということでネイサンのことはすぐ把握していたのだが、年が若すぎるということで早々にリストから外されていたのだった。


 しかし探しても探してもすごい魔法を使うおっさんの新人冒険者などおらず、もしかしてなにか探し方に問題があるのではないかと原点に立ち戻って捜索資料を見返したときにネイサンの存在に気づいたのだった。


 いやまさか……でも年齢以外の条件は合うし……名前も同じネイサンだし……いやでもまさか……そんな半信半疑ながら第三局はネイサンの調査を進め、ようやく彼がクエスト中にガラル魔法らしき魔法を使っているのを見て確信したのである。


 セシルはその最後の詰めの調査、彼の一日の行動把握に務めている。ネイサンは一週間に一度程度冒険者ギルドからクエストを受け、他は北の明星亭の自室に引きこもっているという。噂では中で魔法の研究をしているとか。もう確定である。


「さて、と……」


 ネイサンへの接触は慎重に行うよう局長から命じられている。セシルはゆっくりとフードを下ろした。


 中から、薄いオレンジ色の髪を後ろで一本にくくった美少女が現れる。

 セシルは18歳、整ってはいるものの化粧や装飾品の類を一切身に着けない顔は地味で目立たない造りだ。セシルはそこから、数秒路地裏に引っ込むと変身を終えた。


 次に現れたセシルは灰色のローブも潜入用地味な服装も脱ぎ捨てた、明るく活発な女冒険者となっていた。顔には薄くそばかすをちらし、いかにも田舎から出てきたばかりの新人冒険者を装う。

 

 今日はネイサンの定宿北の明星亭に泊まり込む予定だ。できれば隣の部屋を確保し、より近くで情報収集したい。現在北の明星亭はネイサン以外に宿を貸していないが、そこは愛嬌と得意の偽装工作でなんとかねじ込む。もし宿に潜り込むことができずとも、食事をするだけでだいぶ情報は得られるはずだった。北の明星亭は食堂だけでなく酒も扱っており、長居しても怪しまれない。


 最後に手鏡で笑顔の練習をしたセシルは、よし、とつぶやくと勇んで北の明星亭へと駆けた。


 そして――勢いよく空中にぶつかった。


 ゴーーン、と固い物に衝突した音が響く。セシルはなにが何だかわからない。北の明星亭に向かった途端、自分がなにかに弾き飛ばされた感じだ。赤くなった鼻を押さえて目を白黒させる。


 セシルは知らない。北の明星亭にはネイサンによる守護結界が張られていることを。


 セシルや第三局はネイサンの保護を考えているとはいえ、本人の意志を無視した連行は悪意と判断される。セシルが入ろうとした時結界が発動し、弾き飛ばされたのだ。


 第三局がなかなかネイサンにたどり着けなかったのも、この守護結界による運命操作が発動していたためだった。その効力は弱いものではあったが、第三局がネイサンの保護に舵を切らなかったら決して見つけることは叶わなかっただろう。


『な、なにこれぇ……』


 心のなかでセシルがつぶやく。鼻がすごい痛い。鼻血が出てないのが奇跡だ。なにか空中の壁にぶつかったみたいだったが……。

 恐る恐る、手を伸ばす。空中で、セシルの手のひらにしっかりと硬い感触が触れるのがわかった。見えない壁がある。


『まさか……結界? 私達が来ることがわかっていたというの!? いや、それなら宿を変えれば済むはず……これはあくまで、防犯用?』


 様々な思考が素早く脳をめぐる。諜報員として育てられたセシルはとっさの判断力も鍛えられている。


『防犯用……、だとするとまずい! 犯罪者を家に入れないだけじゃない、必ずがあるはず!』


 僅かな時間でそこまで思考が至ったのはさすがだが、遅かった。北の明星亭の扉が開き、ネイサンが、続いてフライパンを構えたメリッサが出てくる。


「結界に反応があったってどういうこと、ネイサン」

「そんなに警戒しないで大丈夫だよ。魔力反応から守護結界は超えられない相手だし……あ」

「あ」


 ネイサンと目があってしまい、セシルは絶望に青ざめる。局長から慎重に接触するよう命じられていた相手と、最悪の邂逅を果たしてしまった。


『ど、どうしよう……!!!?』

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