第23話 王宮にて
「いったいどういうことなのだ。賢者アガルマよ」
ミストリア王宮本館、小鳥の間――広大な敷地を持つ王宮内で最も小さく作られた小部屋で、国王カール5世は声を低めた。対面には先月賢者に昇進したばかりの元アガルマ教授がいる。
「ははーっ、まこと恐れ多いことでございます」
「いや恐縮してばかりでは話が進まない。余は説明を求めておるのだ。ジェイル教授の最近の体たらくはいったいどうしたというのだ。古代ガラル語解読に成功した若き天才、お主の愛弟子で王立研究所の麒麟児というはずではなかったのか?」
「ははーっ、まこと恐れ多い……」
「だから、それはもうよい」
平伏したままの賢者アガルマに、国王は苛立たしそうな視線を向けた。
「率直に言おう。余が求めているのは研究成果だ。お主らのお世辞や謝罪ではない、研究成果だ。お主はたしかに言ったな? これから王国の魔法界に革命が起きると。古代ガラル魔法の復活によって国力は格段に上がり、諸国を圧する魔法大国となると。お主とジェイル教授は、これから次々と新たな魔法を生み出していくと。……だというのにこの数ヶ月、新たなガラル語文書の解読どころか魔法の呪文一つ出てこない。いったいこれはどういうことなのだ」
「ははーっ、そ、それはその……、古代ガラル語はまことに難解な言語でして……、言語解読にはそれなりの時間をいただきたく。いえ、これは我ら王立研究所魔法研究部門が決して怠惰なわけではなく……。そう、あと半年、半年いただければ必ず大成果を上げてご覧にれます!」
「いい加減にしろ! そんな言い訳をしていったいもう何ヶ月になる! 最初は一週間、次は一月、その次は数ヶ月、あげくの果てに半年だと……、いったいいつまで余の期待を裏切り続けるつもりだ!」
カール5世が激高する。温厚篤実で知られた善王も、さすがに我慢の限界が来たようだった。
国家最高権力者の怒りをまともに浴びて、アガルマもさすがに顔を青くする。
「は、ははっ。……ま、まことに申し訳……」
「謝罪もいらんと言っておる! ガラル語の解読、できるのかできないのか、どっちなのだ!?」
「そ、それは、もちろんできます!」
「ほう、いつまでに完成できる」
「時期まではなんとも……」
「いい加減にせい! よいか、あと一月だけ猶予をやる。その間に何でもいい、新たなガラル魔法呪文を一つ、発表せよ! 効果は問わん。それこそ水を出すのでも風を起こすのでも何でも良い。とにかく成果を出してみせよ」
「ひ、一月でございますか? その期間は、なんとも短すぎるかと……」
「一月だ。一切延期はしない、一月だ。今までどれだけ余が待たされたと思っている。言っておくが、今後の成果によってはジェイルとお主の地位剥奪も検討する。国王がその名のもとに与えた地位を取り上げるなど、王家の歴史にも傷がつく大失態だがこの際仕方がない」
「そ、そんな、ジェイルはともかく私まで……」
「わかったな!」
「ははーーっ!」
アガルマは地面にうずくまるように平伏した後、のそのそと小鳥の間を出ていった。
◆◆◆◆
「くそっ、くそっ、なぜ儂が国王陛下から叱責を受けねばならん!」
小鳥の間を辞去した後、アガルマは足音荒く王宮の廊下を歩く。
「それもこれもジェイルのやつが無能なせいだ! まったく、ネイサンの解読ノートがありながらガラル魔法一つ新たに訳せんとは思わなかった」
自分のことを棚に上げて怒りをジェイルにぶつける。ちなみにアガルマもジェイルと同じくガラル魔法の自力解読に挑んでいるが、まったく刃が立たなかった。
自分でも解読が不可能なことを悟ると、早々に弟子に全てを押し付けて責任逃れしたのである。
「そうだ、全てはジェイルの不甲斐なさのせいだ。だと言うのになぜ儂まで責任を取らされねばならん。まったくジェイルめ、あれほど目にかけてやった恩を忘れおって……」
ただの責任転嫁だった愚痴が、次第に自分にとって都合のいいストーリーを作り上げていく。いつの間にかアガルマの中では全てジェイルが悪いということになり、自分はその被害者という解釈が確定した。
「ジェイルをひっぱたいてでもガラル語解読を進めねば。研究員への叱咤激励こそ教授の務めだからな!」
◆◆◆◆
小鳥の間は、国王が朝起床してからヒゲや髪の手入れなど身支度を整える場所……ということになっているが、その実秘密会議を行うために作られた小部屋だった。
賢者アガルマが出ていき、国王のみになったかと見える部屋に、声が響く。
「いかがでしたか陛下」
「あれは、ダメだな」
驚く風もなくカール5世は闇に答えた。闇から忍び笑いが漏れる。
「くっくっく、今回ばかりは陛下も、御目が外れたようですな」
「言ってくれるな。余もがっくりきているのだ。あれほど無能とは思わなかった」
額をもみながらカール5世は答える。
「いや、ただ無能というのではないな。単にガラル語の解読には時間がかかることを正直に言ってくれれば、余は怒らなかった。許しがたいのは余に何度も嘘の約束をし、いたずらに時間を引き伸ばし、あれこれ言い訳を述べ立てて自分の非を認めないところだ。余に、ひいては国家そのものに損害を与える許しがたい所業じゃ。あれ程の愚物が王立研究所の教授に長年収まっていたとは……これは研究所そのものも監査する必要があるな」
「くく、承知いたしました。早速内偵をいたしましょう」
闇からの声にはまだからかいが混じっている。そこにいないとは知りつつも、国王はじろりと声の方へ視線をやった。
「ベンケンドルフ、ただ余の失態を笑いに来ただけではあるまい? なにか報告があるのではないか。そなたにはあらゆる忠言放言を許しているが、不快にならないわけではないぞ」
「これは失礼いたしました、陛下。失態を笑うなど滅相も。我ら官房第三局は、国王陛下の御ためにこそある組織です」
国王官房第三局。国王直下の諜報組織、秘密警察である。その現局長がベンケンドルフだった。
「ときに陛下、最近市井にはびこる噂をご存知ですか?」
「噂、というと……?」
「なんでも王都北区の冒険者ギルドに、それは素晴らしい魔法を使う者がいるそうです。まだ経験の浅い新人冒険者らしいのですが、すでに上級モンスターを何体も倒し、この数ヶ月で目を見張る実績を上げているとか」
「ほう、昨今の冒険者は優秀であるな。王国魔法師団でも新人魔法使いがいきなり実績を上げることは稀だというのに……」
「は、実はそれに関して奇妙な噂がありまして。……その冒険者は、ガラル魔法を使っているというのです」
「なんと!?」
国王は驚愕して思わず立ち上がる。
「ありえん! ガラル魔法はその威力もあって、現在呪文の発表はしておらん。ガラル魔法そのものを見たものすら、王宮に招いた廷臣貴族のみだ。一般人が使えるわけがない!」
「おっしゃるとおりです」
「いや、待て、待てよ……」
カール5世が限界まで頭脳を回転させる。若い頃稀代の賢王とうたわれた知性を発揮しつつ考えた。
「おかしいと思っていたのだ。一度は解読に成功したガラル魔法に、なぜああも時間がかかる? アガルマはなぜすぐに解読できると息巻いておったのに、成果を挙げられなかった……? 余の不興を買うことは明白だと言うのに。アガルマとジェイルは、他人の研究を盗んだのではないか? それを自分の成果として発表したのではないか? その結果、再現ができず今悩んでいるのではないか? そのガラル魔法を使っている冒険者こそ、研究を奪われた研究者ではないのか」
慇懃無礼な拍手が小鳥の間に響き渡る。
「さすが陛下、もうそこまで推察されるとは。
「心にもないお世辞はよい。ベンケンドルフ、これが事実ならば大変なことだぞ」
「おっしゃるとおりでございます」
「ベンケンドルフ、今より貴様に密命を与える。直ちにその噂の冒険者とやらについて調査しろ。もしガラル語魔法を解読した研究者であることが判明したならば、どんな手段を使っても言い、王宮に連れて参れ。もちろん最初は謝罪と補償、高額な給金の掲示による取り込みが必要だが……ガラル魔法の会得者を他国に渡すわけにはいかん。穏便に済めばいいが、もし抵抗するようならどんな手段を使っても連れてくるのだ」
「御意のままに。官房第三局の総力を上げても、必ずや達成いたします」
「頼んだぞ」
こうして知らぬ間に国家重要人物となったネイサンは、その身を狙われることとなった。
のほほんと研究と冒険に勤しむネイサンへ、新たな魔の手が伸びていく。
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