第16話 若返りの魔法


 数十分後。


「はーーっ、はーーっ、すー、はー。すまんネイサン。落ち着いた。というか怒りを腹の底にしまった」

「ど、どうも……」

「それでな、話を戻すが私及びハミルトン商会は、あなたの翻訳能力や学識を高く評価しているんだ。もし一緒に仕事ができるなら、これほど嬉しいことはない」


 ロアンナは机の上で手を組み、真摯な瞳をネイサンに向ける。


 「どうだ? ハミルトン商会のもとで働いて見る気はないか? 新しく研究室も用意するし、当然研究資金も出す。助手もこちらで雇うぞ。冒険者なんかしなくても、すぐに研究を始められる。」


 ネイサンは目を見開く、それからうつむいて、しばらく返事をためらった。


 その言葉はつい数日前までのネイサンにとって、待ち望んだものだった。自分だけの研究室、整理された研究資料、潤沢な研究資金。そのどれもが、ネイサンが喉から手が出るほど欲したものだ。アガルマ研究室では決して与えられなかったものだ。


 ロアンナは情け深い人間だが、商会会頭としての冷徹な頭も持っている。ロアンナは決してその場限りの道場や口約束でこんなことを持ち出しているのではない。彼女の言葉はハミルトン商会の確約と同じであり、彼女の評価は商会そのものの評価と言って差し支えないだろう。

 自分の知らない間にロアンナが、ハミルトン商会がそこまで自分を高く評価してくれていたことがネイサンは嬉しかった。彼女の誠実さと信頼がまっすぐ伝わってきた。


 だからこそ、これから話すことを心苦しくネイサンは思うのだ。


「君に……僕の能力を評価してもらえるのは本当に嬉しい。自分は、30年間を夢みたいな研究に費やして、実際周りの人々からは馬鹿にされ続けたけど、知らないうちに天下のハミルトン商会が僕のことをちゃんと研究者として見てくれていたのは嬉しい。……ただね、本当、自分でももったいないと思うんだけど、しばらく研究は一人でやりたいと思っているんだ。研究室も資金も助手もいらない。僕はこの部屋で、まずは一人だけでガラル語の研究を再開したい。」

「それは、なぜ?」

「馬鹿な話と思うかもしれないけどね、僕は研究室を追放されて、一回死んだくらいの事があって、ようやく目が覚めたんだ。自分は研究が好きだ。ガラル語が好きだ。一番最初は素朴な好奇心からだった。この文字はなんて読むんだろう。この単語はどんな意味なんだろう。そんな子供の時の疑問がずっと僕を支えてきた。30年経って遅すぎるかもしれないけど、もう一度この気持ちを大事にして再出発したいんだ。それに正直、誰かの下や共同で研究するのはもうこりごりなんだ」


 ロアンナは静かにネイサンの言葉を聞いていた。聞き終えると、ふー、息をついて軽く腕を伸ばす。


「……振られてしまったな」

「ああごめん! 君の提案にはすっごい感謝しているんだよ! それは本当だ! ただ……」

「わかってる、わかってる。残念な気持ちは正直あるが、ネイサンに否はないよ。むしろ君の受けた仕打ちを考えれば当然だった。行けないな私は、すぐ性急に事を進めようとする。もっとあなたの気持ちに寄り添うべきだった。すまん」

「そんな。僕こそ折角のいい話を断って申し訳ないと言うか……」

「いいんだいいんだ。それに契約がこれきりということもないだろう。うちは専任研究室長の席をいつでも空けて待ってるぞ。気が変わったら言ってくれ」

「そんな、不義理を重ねてそこまでしてもらうのは申し訳ないと言うか……」

「気にするな。あなたにはずっと感謝しているんだ、礼としては足りないくらいさ。それにネイサンを抱えるのはうちとしても破格の利益になる話だしな。まあネイサンの今の気持ちはわかった、これ以上無理に勧誘したりはしないよ。あなたの選んだ道を、私は応援する」


 そう言って、ロアンナは上品に足を組み替えるとコーヒーを一口飲んだ。つられてネイサンもコーヒーに口をつける。少し冷めかかっていたが、相変わらず美味しいコーヒーだった。

 さすが商人空気を切り替えるのがうまい、とネイサンは心のなかで感心する。


「ところで、冒険者には成算があると言っていたが実際どうするつもりなんだ? 先程も言ったが、冒険者は体力勝負の上命がけの危険な仕事だぞ」

「ああ、それだけどね……。ちょうどいいや、よければ一つ僕の魔法を見ていかないかい? 実はこの魔法を使うときは誰か客観視点がほしいなと思っていたんだ」

「ほう?」


 ロアンナが興味深そうに片眉を上げる。


「伝説の古代魔法だ、当然見たい。王立研究所が何を考えているのか知らんが、今のところガラル魔法の披露は王宮でしか行われていないからな……いったいどんな魔法なんだ?」


 さすがハミルトン商会の会頭、ガラル魔法を眼の前で見せると言われても落ち着いているな……ネイサンが感心しながら言葉を続ける。


「若返りの魔法だ」

「ぶーーーーーーーーっっ!」

 

 ロアンナがコーヒーを吹き出した。


「だ、大丈夫かいロアンナ!?」

「し、ゲホッ、失礼をした、ゴホッゴホッ。…………だがしかし、若返りの魔法だと!? 実在するのかそんな魔法が!!?」

 

 会頭としての落ち着いた態度はどこかへ消えてしまった。ロアンナはまさに驚天動地といった表情でネイサンを見る。

 彼女がここまで驚くのも無理はない。


 この世界――いまさらだが、この世界の名を「セレスティア」という――セレスティアでは、3つの不可能とされる魔法がある。


一つ、時を操る魔法。

一つ、魔界や天界といった異界へと直接渡る魔法。

そして最後の一つ、――生命の寿命を伸ばしたり、蘇生させるなど命そのものを操る魔法。


 他にも現代の魔法技術で不可能なことはたくさんあるのだが、特にこの三つが三大不可能魔法と言われている。

 このどれか一つでも実現できれば、ミストリア王国では即座に大賢者と認められ王国史に永遠に名が刻まれるとまでされていた。

 

 ネイサンがさらりと言った「若返りの魔法」は間違いなくこの3つ目「生命の魔法」に該当する。実現できれば即座に大賢者……国で百年に一度出るかどうかという魔法使いの最高位に到れるのだ。


 ロアンナは興奮を抑えられなかった。呼吸を荒くしてネイサンに迫る。


「ネイサン、その『若返りの魔法』は、たんに見た目を若く見せるとか、ちょっと3日分くらいの疲れを消して身体を若返らせるとか、そういうのじゃないんだな?」

「もちろん。古代ガラル魔法の一つで正真正銘若返りの魔法だよ。僕も使うのは初めてだから、効果の程はまだわからないけどね」

「凄すぎる。そういえばなにかの文献で見たことがあるな。古代では有能な王が若返って長く善政を敷いたり、人が蘇ることがあったと……てっきり神話上のおとぎ話だと思っていたが」


 ロアンナはゴクリと喉を鳴らす。


「ネ、ネイサン、もし実現したらとんでもないことだぞ。王国魔法史がひっくり返る大発見だ。いやそれどころじゃない、あなたは大賢者だ。英雄だ。永久にこの国に名前が残る」


 ネイサンはロアンナよりずっと落ち着いた態度で苦笑した。


「……古代ガラル語の解読も、大発見だと思っていたんだけどね」

「ああ……」


 ロアンナはあらためて、ネイサンの奪われたものの大きさに打たれた。


「そう、だな。そうだった。ネイサンはとっくに、若返りの魔法なんかよりすごい研究成果を挙げていたんだった。まったく、王立研究所の馬鹿どもめ! ネイサンはとっくに人間国宝級の研究者なのに!!」

「ふふ、ロアンナが僕の代わりに怒ってくれるとなんだかすっきりするな。話を戻すと、僕はこの若返りの魔法を使って肉体を若いときに戻そうと思うんだ。今はこんなおじさんだけど、二〇代の僕なら冒険者もなんとかやれるだろう?」

「……冒険者になるために若返るのか? なんというか、チグハグな使い方だな。国王陛下が聞いたら多分卒倒するぞ。あの方も寄る年波には勝てず日々後継者の育成に悩んでいるらしいからな。もし若返りの魔法があると知られれば陛下が、いや陛下だけじゃなくほとんどの貴族が、大金を積んでお前に依頼しに来るだろう」


 ロアンナがそう言うと、ネイサンは静かに首を振った。


「ロアンナ、僕はこの若返りの魔法を僕以外の誰かに使うつもりはないよ。これに限らず「生命の魔法」は、既存の概念から逸脱しすぎている。生死という人が本来持っている価値観すら破壊しかねない。軽く言ってしまったけどね、僕もこの魔法の危険性くらいはわかっているんだ。秩序が崩壊するようなことにガラル魔法は使わないし、広めたりもしない」


 ネイサンの言葉には、落ち着いた、しかし確かな決意がこもっていた。ロアンナは腕組みして唸る。この態度からして、ネイサンがしないと言ったら死んでもしないだろう。


「あなたはそれでもいいが、ジェイルの方はどうする? やつもガラル語がわかるんだろう?」

「どうかな……生命の魔法はグリモワールの五巻以降にあるんだ。ジェイルが持っているのは僕が作った一巻分の解読用メモだけだから、資料なしに五巻を訳すのは、ちょっと難しいんじゃないかな」

「なるほど、それなら安心だ。ちょっと難しいどころか、あの難解な言語を解読できるのはあなただけだよ、ネイサン」


 グリモワールの写本自体は王国に広く知られているが、ジェイルが心血を注いだ解読資料は1巻分だけだった。今後仮にジェイルが解読法を広めても、ネイサン以外に2巻以降を訳せる者はいないはずだった。

 だが当のネイサンが一番自信なさそうにする。


「そうかなあ。僕でもできたんだ、ガラル語なんて本当は誰でも訳せるんじゃないかな? 今までは、みんな本気で取り組まなかっただけで」

「バカ、一千年あらゆる研究者が打ちのめされてきた最難関言語だぞ。王立研究所の総力を上げたって訳せるもんか。ガラル語を訳せるのはこの世でただ一人、あなただけだよネイサン」

「うん、そうか。それなら、僕も安心だ」


 ネイサンは思わず緩んだ笑顔になる。まったくこの人は、といった表情でロアンナは見ていた。


「それじゃあ早速若返りの魔法を使ってみようかな。ロアンナ、すまないけど部屋の隅に立っていてくれるかい? 僕の変化を観察していてほしいんだ」

「ああ、わかった」


 若返りの魔法はガラル魔法でも特別だ。これまでのように単節呪文を一言唱えて終わりというわけにはいかない。ネイサンはテーブルをどかして部屋の中央に立つと、大気のマナ、地脈を感じつつ長い呪文を詠唱開始した。


「エスピリトゥソィス・ディヴィナシェール・オブスクギカリス・エーテルナル・リディム・ヴォルタリス――」


 ネイサンを中心として黄金の風が吹き上がる。膨大な魔力マナが部屋の中へと集まってくる。


「――アストラリス・セレス・ミステリウム・エンチャンティア・ルミナリ・テンペスタマナ――」


 次第にネイサン自身が光の繭へと包まれていく。初めて目にする光景に思わずロアンナも「おお……」と声を漏らした。

 ネイサンは自身の体に今まで感じたこと無い活力が満ちていくのを感じる。体内に溜まっていた様々なよどみが出ていき、傷ついた部分が修復され、失っていた何かが再生されていく。


「クスロージョ・アビン・フォルティウス――『エタルシカリナーラ・ケセルウォナリス』」


 最後に若返りを意味する言葉を唱え呪文詠唱を終える。ひときわ強い光が放たれた後、空中へと霧散していった。


「――――ふう、成功した、と思うけど……」


 集中するため目を閉じていたネイサンが、ゆっくりとまぶたを開く。途端くらりと視界の揺れを感じた。

 まさか失敗!? と焦るがすぐに原因に気づく。若返って視力も回復したため、眼鏡のレンズが合わないのだった。眼鏡を外すと、今までよりずっとクリアにはっきりと世界が見えた。

 自分の体を眺めてネイサンがつぶやく。身体の各部を見た感じ、不調はない。生命の魔法はとりわけ正確な呪文詠唱が必要なため難しかったが、成功した。30年間の努力の賜物と言えるだろう。


「うん、だいたい二十歳くらいってところかな。……どうだろうロアンナ、うまくいったと思うんだけど」


 と、ロアンナの方を振り返ると、なぜか彼女はぽかんと口を開けたままほうけている。


「? ロアンナ?」

「……ネイサンって、イケメンだったんだな」

「え?」

「あ、いやいやすまん! あまりの変わりように驚いてしまって! うん大丈夫だ、成功している。大成功だと思うぞ」

 

 ほんのり頬を赤らめたロアンナが言う。顔を背けると、ボソボソと何事か呟いた。


 「迂闊だった……ネイサン若返って隈が取れて眼鏡外して姿勢が良くなるとこんなにかっこよかったのか。というか思ったよりずっと背が高い。ずるいぞ」

「ロアンナ? どうかしたかい? やっぱりなにか変だとか……」

「いやいやいや、失敗したところは本当にない。成功している。ただちょっと思ってた以上に変化が激しかったと言うか、見栄えが良くなりすぎと言うか……」


 なぜかしどろもどろになっているロアンナに、ネイサンはやはりどこか変なんじゃないかと疑い始める。

 そこへちょうど部屋にノックの音が響いた。返事を待たずに部屋に入って来たのはメリッサだ。


「ちょっと、なんか窓からすごい光が漏れてたんだけど、またガラル魔法?」

「ちょうどよかったメリッサ。実は今若返りの魔法を使ったんだけど、どうかな? どこか変なところはないかい?」


 いいタイミングだとネイサンが振り返る。メリッサが、ロアンナと同じように固まった。


「………………かっこいい」

「え?」

「へ、だれだれ? ネイサン? ネイサンなの? うそ、すっごいかっこいい……」

「もしもーし、メリッサ?」


 口元を抑え顔を赤らめるメリッサにネイサンが困惑する。

 いったい二人共どうしたというのか。このままでは若返りの魔法が成功したのか失敗かさっぱりわからない。

 しばらくして、メリッサはもじもじと指を突きながら上目遣いでネイサンを見上げた。


「あの……、さ、ネイサンって、彼女とかいるんだっけ?」

「え、急に何の話だ? もちろんいるわけないけど」

「そーなんだ。……へー。ふーーん」


 なぜか嬉しそうにほほえむメリッサ。いよいよネイサンはわけがわからなかった。

 そこへ階下から足音を立てて、宿の主人ゴートがやってくる。


「おーいメリッサ、いつまで油売ってるんだ、早く下に……」

「あ! ゴートさん、どうもネイサンです。どうでしょう、ちゃんと若返っていますか」

「…………(あんぐり)」


 ご多分に漏れずゴートもまたネイサンを見て驚き動きを止める。


「あれ? ゴートさん? ゴートさーーん?」


 自分の姿を見た相手が固まってしまう珍現象に、ネイサンは首を傾げるばかりだった。

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