第14話 ロアンナ

 北の明星亭に帰ってくると、すぐに主人ゴートが迎えてくれた。


「おかえりメリッサ、早かったじゃねえか」

「ただいまー。ネイサンがまたすごかったんだよ。アイテムボックスだよアイテムボックス!」

「またネイサンがなんかやったのか? ガラル魔法ってのはすごいんだな。……ネイサンもご苦労だった。ありがとな」

「いえ、僕はただついていっただけなので。いい散歩になりました」


 アイテムボックスから買ってきた品を店のテーブルに出しつつ、ネイサンが言う。


「ところでネイサン、外行ってた間にお前へお客さんが来てるぜ。お前の部屋で待たせてある」

「僕に客? ですか?」


 ネイサンはキョトンとする。

 心当たりはまったくなかった。研究室からは追放同然でクビにされたので、その関係者がネイサンを訊ねてくるとは思えない。そしてネイサンに、研究室以外の知人など王都にはいない。さらに言えばネイサンは北の明星亭に移ってまだ一日目、もしネイサンに誰か会いにきたとしても、まずはぼんくら亭の方に顔を出すはずなのだが……。


「お名前は伺っていますか?」

「それが教えてくれねえんだ。会えばわかるからってな。ただよ……すげえ美人だったぜ」


 にやにや笑ってゴートが言う。さらには、ネイサンもスミにはおけねえなあ、なんて脇を小突いてきたりした。

 一方のネイサンは困惑するばかりだ。


「僕に、美人の訪問者? ですか?」


 いよいよ心当たりがない。自慢ではないがネイサンは研究に邁進し続けたこの30年間、女性と付き合ったこともない。ジェイルなどはイケメンで話もうまいので数多くの女性と付き合ったり離れたりを繰り返していたが、不器用で研究にしか興味のないネイサンはそんなこと考えもしなかった。


 が、そんな事情など知らないゴートはにやにやするばかりだし、メリッサはなぜか半眼になってじいっと見つめてくる。


「ふーん、ネイサンにもそういう人がいたんだ。こんなおじさんに。意外だねー」

「いやいや僕にも何がなんだか。たぶん何かの間違いだと思うんだけど」

「いーじゃんごまかさなくっても。じゃーあ、あたしは親父の手伝いで厨房入るから。どうぞごゆっくり」


 なぜか急激に機嫌の悪くなったメリッサは、フン、と鼻を鳴らして去ってしまう。ネイサンはおろおろするばかりだ。


「はあ……、いったい誰なんだ」


 なにかの勘違いじゃないかと思いつつ、待たせておくわけにもいかないのでネイサンはひとまず部屋に向かった。



 ◆◆◆◆



 勘違いではなかった。部屋にいたのはたしかにネイサンの知り合いだった。とは言っても顔見知り程度なのだが。


「……ロアンナ?」

「ああネイサン、待っていたぞ。いったいどういうことだ?」


 部屋で待っていたのは二〇代後半の美しい女性だ。


 名をロアンナ・ハミルトンという。王国でも指折りの大商会「ハミルトン商会」の若き会頭を務める才媛だ。燃え立つような赤い髪に抜群のスタイルを持つ彼女は、「たとえ商才がなくとも顔だけで小国を買える」と言われるほどの美人だ。

 そんな、王国民なら誰もが振り返るような美女とネイサンが知り合いなのにはちょっとした関わりがある。


 以前ハミルトン商会に出物が回ってきた。「ル・ゴル・ポスティニアック完本」、四〇〇年ほど前の書物で、天才哲学者ポスティニアックの記した伝説の名著だ。しかし現代ではほとんど話者のいないルゴール語のさらにグレナリア方言という特異な言語で書かれたその本は「言語の暗号文」と言われるほどの難解さで知られ誰も現代語訳できるものがいなかった。


 翻訳どころか本の真贋さえわからないこの本を購入するかにあたってハミルトン商会は大いに悩んだ。あらゆるつてを辿って王国中の言語学者に当たったが、自信を持って訳せるものがどこにもいない。藁山の中から針を探すつもりでようやく探し当てたのが、ネイサンなのだった。


 ネイサンも「自分は専門外なのでどこまでできるかわかりませんが……」と最初卑下していたが、任せてみるとその翻訳は完璧だった。「ル・ゴル・ポスティニアック完本」には同時代の写本がいくらか残されており、それと突き合わせることでネイサンの訳の正しさを証明できたのだった。


 ハミルトン商会は無事に「ル・ゴル・ポスティニアック完本」購入し、現代語訳を刊行することができた。その本は哲学界のみならず王国の知識人を中心にベストセラーとなりハミルトン商会を大いに潤した(この王国ではまだ印刷技術がなく、本は写本が中心となっているために本一冊の値段が非常に高価になっている。屋敷が火事になったら、まず本を持ち出せと言われるほどだった)。


 ハミルトン商会は本の売上と文化保護者としての名声、そして王国知識人とのコネクションという金額では測れない財産を手に入れたわけだが、その功労者ネイサンとは訳本の出版からなぜか急に連絡が取れなくなっていた。彼との連絡はすべて王立研究所のアガルマ教授を通すように言われ、本の訳者もネイサンの名前は消され王立研究所アガルマ研究室に統一された。


 ちなみに、ハミルトン商会は翻訳料に出版料もかなり色を付けて支払ったのだが、その送金はなぜか王立研究所の都合でアガルマ教授名義の預かり所に指定された。さらには商会が新たな仕事を頼もうとすると何故か王立研究所から本人多忙を理由に断られ続けた。後にロアンナは、この時点で怪しいと気づくべきだったと後悔している。


 しかし、まさか天下の王立研究所が学究不正を行っているなど考えなかったのだ。


 ともかく、この「ル・ゴル・ポスティニアック完本」の一件でロアンナはネイサンを信頼し、機会あればもっと交流を持ちたいと考えていたのだった。これが二年ほど前の話。完本翻訳の記憶もまだ鮮明なところに、突如ガラル語解読の一報が入ってロアンナはとりも直さず王立研究所へ祝福に駆けつけたのだった。ガラル語解読は、ネイサンのライフワークだと知っていたから。


 ところが研究所に行ってロアンナは衝撃を受ける。ネイサンは研究所をクビ、ガラル語解読の功績はなぜか顔も知らないジェイルという若い研究者の功績となっていた。

 これは絶対なにか裏がある、と直感したロアンナは、紹介の人を遣ってネイサンのことを調べさせた。そしてようやく今は裏街の北の明星亭にいることを突き止め、こうしてやってきたというわけだった。





 ◆◆◆◆


 ひとまずお互い椅子に腰掛けると、ロアンナは深々とため息を付いた。


「まったく驚いたぞ。王立研究所に行ったらあなたはクビになったって聞くし、新聞をよく読んだらガラル語の解読はジェイルっていう知らない研究者の功績になってるし、あなたの連絡先はわからないし……。一応確認だが、ガラル語解読なんてあなた以外やってなかったよな? あなたのことは感謝も尊敬もしていたが、いくらなんでも不可能な研究で驚いた覚えがある」


 久しぶりに対等な知り合い――とネイサンは思える人と出会って、彼の心はだいぶほぐれていた。罵倒も暴力もない会話というのは実に楽しいものだ。


「そうだよロアンナ。ガラル語の解読なんて夢物語にうつつを抜かしているのは僕だけだった。……まさか王立研究所が全面バックアップしていたとは、僕も昨日知ったんだけどね」


 ロアンナがその碧玉のような瞳をまっすぐに向けて言う。


「なあネイサン、何があったのか私に全て話してくれないか。そりゃあ私はあなたから見たら二〇代の小娘だろうが、なにか力になれるかもしれない。いや、力になれるかよりも、まずあなたの話を聞きたい」


 涙がこぼれそうだった。ロアンナの誠実な優しさが胸に染みて、ネイサンは思わず下を向いた。数秒、涙をこらえてから、ネイサンは不器用な笑顔で言う。


「ありうがとう。聞いてくれるかい、ロアンナ」


 それからネイサンは、これまであったことを順番に、とつとつと話した。

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