第13話 買い物

 ネイサンとメリッサは連れ立って王都の裏街――北の明星亭がある辺りは「北4区」と呼ばれる――を歩く。

 北4区は裏街の中でも比較的治安はマシな方で、例えば明らかにカタギじゃない風貌の男が前から歩いてきたら目線をそらして通り過ぎる、といったことに気をつければ安全に歩ける。もし目が合ってしまった場合は……、どうなるか定かではない。

 

 生まれたときから裏街育ちのメリッサはそういったことに慣れているのか、的確に危険を避けながらスイスイ歩いていく。彼女よりずっと年上で男でもあるネイサンのほうが、かえっておっかなびっくり歩いていた。

 後ろをちょこちょこと子犬のようについてくるネイサンを、メリッサが振り返って急かす。


「ほーら、ネイサン早くついてきて。そんなビクビクしながら歩くほうが危ないよ。裏街ではね、堂々と早足で歩くのが一番いいんだ」

「そ、そうはいっても……僕はこういう街普段歩かないから」


 ガラル魔法によってもはや中級の冒険者以上の実力があるネイサンだが、本人の性格はどうしようもない。威勢のよい行商人の荷馬車が走ってくればひっ、と身をすくませて脇に避け、野良犬に吠えかけられれば飛び上がり、向こうから明らかに裏の筋の人間が肩をいからせてやって来れば壁際に隠れると言った始末だ。


 あんなすごい魔法が使えるのに……と苦笑したメリッサは数歩戻ってまだおどおどと歩いているネイサンの手を取った。


「ひえっ!?」

「なんでそっちが悲鳴あげるのさ。ほら、この方が一緒に歩くには都合がいいだろ」

「な、なななななんで急に手を!」

「ネイサンの足に合わせてたら日が暮れても市場につかなそうだからよ。あたしについてきて。裏街の歩き方ってやつを教えてあげる」

「だ、だけどメリッサは、その、恥ずかしくないのかい? こんなおじさんと手を繋いで歩くなんて」


 メリッサがにま〜〜〜〜と意地の悪い笑顔をする。


「なんだいネイサン、女の子と手繋いだこと無いの? こんなの気にするほうが変だよ」

「な、無いんだ。恥ずかしながら」


 あはは! とメリッサは裏表のない笑い声を上げた。


「あははははは、笑ってごめんごめん。でもあんまりイメージ通りでさ。ネイサンそういう勇気なさそうだもんね。気い遣ってばっかで。じゃああたしが初めての相手ってわけだ。はは〜ん、遠慮しないで握っていいよ」

「いやいやいや! 変な気持ちはこれっぽっちもないよ!」


 ネイサンは断言する。

 これは真実だった。メリッサには先程かけた守護の呪文シルヴァレンディアの効果があるので、悪心、下心を持っているものは触れられない。それは術者であるネイサンでも同じだ。

 ただ、そんな事情はつゆとも知らないメリッサはただの照れ隠しだと思い込む。


「あっはっはっは、なあに心配しなくても、ネイサンとあたしなら親子にしか見えないよ。堂々と歩きな。そうしないと子供の誘拐ってことで警邏にしょっぴかれるよ。まあ周りから見たら誘拐しているのはあたしの方かもだけど」


 からかい混じりの笑顔でそう言って、メリッサは走り出す。ネイサンは慌てて彼女の早足に付いていった。



◆◆◆◆



 予想外にというべきか案の定というべきか、ネイサンとメリッサの二人連れは目立った。

 かたやくたびれた中年男、かたや街の誰もが振り返るような美少女となれば当然である。

 そんな二人が手間で繋いで白昼堂々歩いているので、裏街だけにガラの悪い連中がすぐにからかってくる。


「よーメリッサ! お使いか? 今日も店行くからうまい飯頼むぜ!」

「おー! 待ってるよ」

「隣は誰だよ。デートかあ?」

「ばか、メリッサがあんなだせえ中年と歩くわけねえだろ。あれだよ、パパ活(※意訳)ってやつだ」

「メリッサも年頃だもんなあ。おしゃれにはカネがかかるんだ。しかし何もあんな中年とよう」

「金がありゃあ俺たちも名乗りを上げるんだがよ」

「げっへっへ」

「げっへっへ」


「――あんたたち、今後うちの店出禁だからね」


「悪かった! 口が滑った、許してくれ」

「北の明星亭の飯が食えないなんて餓え死にしちまうよ。勘弁してくれ」

「はーーーっ、ほんと品がないんだから。次からかったら本気で親父に言って出禁にするよ」

「悪かったよ、もう二度と言わねえ」


 ガラの悪い二人組がすぐ謝ったので、メリッサも矛を収める。二人もそれほど悪意があったわけではない。品が無いのは確かだが、こんな会話は裏街では日常茶飯事なのだ。

 そんな裏街流の掛け合いに初めて触れるネイサンは目を白黒させる。


「……やっぱり僕なんかと歩いていたら、君の評判まで悪くなるんじゃないかい?」

「悪くなるような評判なんて無いよ。気にすんなって、裏街じゃこれが当たり前さ」

「でも……」

「ネイサンもしばらくうちに住むんなら、慣れといたほうがいいね。裏街じゃからかわれるのも汚い悪口も当たり前だけど、うーん、なんて言ったらいいかなそんな本気で言ってるわけじゃないんだ。ネイサンからすると変かもしれないけど、これがうちらのコミュニケーションなんだよ」


 んん、と考えながらメリッサは話す。


「たしかに裏街は治安の良いところじゃないよ。それこそ一度舐められたら、ケツの毛までむしられる。でも一度街の一員になれば、何かと助けてもくれる。悪いとこばっかじゃないんだ。ま、最初は面食らうことばかりかもしんないけど」


 振り返りメリッサが笑う。それを見てネイサンは偏見で裏街を見ていた自分を恥じた。

 そうだ。自分はこのメリッサとゴートさんによって助けられたんじゃないか。アガルマ教授やジェイルのような、王国のトップ層に居ても性根の捻じくれている人間も見た。裏街に住む人間がみんな粗暴なんてのは間違いなんだ。


「ま、なかにはぼんくら亭の主人みたいなどうしようもなく悪いやつもいるから、そこはちゃんと見極めないといけないけどね」

「うん、気をつけるよ」

「さ、急いで市場に行こうか。やっぱ手繋いで歩くといつもより時間かかるね。あんまり遅いと親父にどやされちまう」



◆◆◆◆



 しばらくしてネイサンとメリッサは無事市場に付き、買い物を始めた。市場は裏街らしく雑多だが活気に満ちていて、長年研究室の世界しか知らなかったネイサンにはこれまた新鮮に写った。ここでも周囲からからかわれたが、ネイサンはもう気にせず聞き流すことに徹した。

 メリッサは手慣れた様子で食材を見定めては、ひょいひょいと買い物袋に入れていく。


「お、トマトが安いね。うん、物も良い。おっちゃんこれ2袋もらうよ。え? 玉ねぎも100ミルだって? だめだめ。色が変わってるし中も腐ってるだろ騙されないよ。それよりこっちの赤にんにく安くしてくれよ。は〜っ? 一個300ミル? なめんじゃないよ半額にしな……はーっ、わかったわかった200で買うよ。…………へっへっへっへ、もうけた」


 口八丁手八丁で次々値切りつつ食材を買い揃えていく。ネイサンはただただ買い物袋を持ち続けることしかできない。

 やがて半時間とかからず全ての買い物を終えたメリッサは、嬉しそうに両手から買い物袋をぶら下げていた。


「はー、買った買った。荷物持ってくれてありがとうね。やっぱり男手があるとちがうわ」

「いやそれはいいんだけど……。この量、いつもは一人で持って帰るのかい?」

「今日は緊急の買い足しだからね。普段は親父といっしょに買付するし、店に配達してもらうものも多いよ」

「へえ……。実は、古代ガラル魔法には持ち運びに便利なものもあるんだ。試してみてもいいかい? ええっとたしか――ユラティーニノルボ」


 ネイサンが呪文を唱えると、ブオン、と奇妙な音を立てて目の前に半透明の薄板が浮かび上がった。


「うわっ! なんだこれ!?

「ベトリーブィマージュ……現代語で言うと『操作画面』みたいな意味なんだけど、それを出したんだよ。ちょっと待ってね、アイテム欄がこれだから……よっ」


 ネイサンが画面上で何らかの操作をすると、手に持っていた紙袋が光に溶けるように消失した。


「うわわっ!? えっ、買ったものどこ行った?」

「ラゲルバング……こっちでいう『アイテムボックス』の中に収納したんだ」

「アイテムボックスってあれだよね、物をすっごい小さいところに収納して持ち運べるやつ。一流冒険者とか貴族様しか持てないんじゃなかったっけ? すっごいねネイサン、アイテムボックスまで作れるの?」

「そう。古代ガラル魔法の、だけどね。ふふ、ただの自慢になってしまうけど僕のアイテムボックス容量はほぼ無制限だよ。どんなものでもいくらでも収納できる。中の時間も止まっているし、さすが古代ガラル魔法は優秀だね」

「すっごーー。ネイサン、もうそれだけで食べていけるんじゃないの? アイテムボックスで運び人とかやってさ」

「たしかに……考えもしなかったな。僕は普段研究のことで頭がいっぱいだから」


 古代ガラル魔法のアイテムボックスは規格外の性能だ。たしかにこれがあれば運び屋や行商人としてやっていけるかもしれないとネイサンは思う。


「無職を脱出する選択肢がひとつできたよ。それじゃ、お店に戻ろうか」

「うん!」


 荷物を全てアイテムボックスに入れ身軽になったネイサンたちは帰り道を急いだ。

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